何を食べはよくないのかとか、何を食べたらよいのかとかいうことについては多種多様な意見があり、どれを信じ、従ったらいいのか判断がつかない。むしろこういったことよりもどのように食べるかが大切なのではないかという思いに至った。食べもの、そして食べて生きていくということはいのちにかかわることだ。口に入るまでに、どれだけの生きものがその生を閉じられ、どれだけ多くの人がかかわり、また同時にどれだけ多くの資金がかかっているのかということを思わざるを得ない。
食について考えるきっかけとなったのはコレステロール値の高さをなんとか適正値にしたいと思ったことだ。それには食べもの、食べることについて見直して、実践するしかない。そこでサプリメントやゴマ、ナッツなど効果が上がりそうな食べものを試してみたけれど、思うようには数値は改善されなかった。はたして何を食べたらよいのか、悪いのか、どうしたらいいのかといろんな本を参考にしてみた。でも、そこでの情報は同じ食べものでも評価が分かれ、さっぱり訳が分からなくなってしまった。
去年の秋に至っては、そういうことであるなら、いっそ食べないでいるという選択があってもいいと思った。本にあっても、断食、一日一食、一日二食、少食などあまり食べないでいるという選択肢が薦められていることも知った。実際に断食・少食(≒ファスティング)をやってみると、ファスティング・ハイ(=空腹が心地よい)とでも呼べる心地よさを感じた。からだもこころもリセットされるかのように感じた。すっかりはまりこんで、見る見るうちに体重は落ちていった。若干急激にやったことや知識が不十分なこともあり、脂肪に加えて筋力も落ちてしまったのは軽率だったと反省している。始めた当初は一日24時間断食を目指しつつ18時間断食、次いで一日一食、一日二食、今では空腹を感じたら食べるというように変遷をたどってきている。
ひとつの結論として、食べるときは食べることに意識を向けて食べることが大切なのだということに至った。それがせめてものいのちに対する敬意というものだろうと思う。まずは、テレビを見ながら食べるのをやめる。これはすぐにでもできる。また、きちんと座って食べる。立ったまま食べたり、歩きながら食べたりするのをやめにすること。こういった何気なくやってきていたことをいのちを思い、食べることに専念することであらためていきたいと思う。食べものを少しずつ口に運び、じっくりゆっくり噛みしめて食べる。そうすることで特に玄米はその栄養素を十分に生かすことができ、健康に貢献することにもなる。この試みで自然と食事の時間はこれまでよりも多くかかるようになった。ふたりで食べるときはこれまでより話すことが多くなったと思う。本来はおしゃべりも慎んで、食べることに専念したほうがいいのだろうけれど、コミュニケーションも大切だし、話すことが楽しいし、食事自体をより楽しめる気がするのでこれはこれで構わないと思っている。テレビについても見たい気持ちが強い番組であるなら、見ながら食べても構わない。ギシギシに守らなければいけないというものでもない。
実際にテレビからの情報も役立てている。両手のひらいっぱいの野菜を食べること、起床時、就寝時に血圧を測り記録すること、体重を量り記録すること。これらのことを実践することで健康につながる要素になるらしい。今では毎日ほぼ実践している。野菜を食べることについて今のお気に入りは、セブンイレブンの〈彩り野菜のサラダボウル〉に、惣菜の〈きんぴらごぼう〉や〈ひじき煮〉などを加えて、量を増やし、ドレッシングは控えめにして惣菜の味つけで野菜を味わい食べることにしていることだ。夫婦ふたりで食べるとき以外は肉や魚はあまり食べていない。十分満腹になるし、間食はあまりしなくなったし、あまり疲れを感じることもなくなり昼寝や横になって休むことも少なくなった。また、りんごを毎日食べるようにした。りんごを食べれば医者知らず、というようなことが言われている。納豆は陰性の食べものということで、陰性体質の人は食べないほうがいいということもあって、一時期やめていたけれど、納豆をやめたくらいで冷え性が解消できるわけでもなく、納豆がもつ他の効能のほうを活かしたほうがいいと思い、また食べ始めている。冷えをとるなら、筋力をつけて、血流を良くしたほうがよほど即効性があるという話もある。なかなかからだを鍛えるっていうことに積極的にはなれないでいるところが難である。
こうしてしばらくは食べることを通して、健康面に気をつかっていきたい。今までは食べることについてはどうにもできない、どうコントロールしていいかわからないという思いだったけれど、菜食優先を実践し、定着できたことで、自分でもできるという感触を得られ、これからもつづけられそうである。そしてからだは半年前の食事でできていると言われることから、初夏の頃の健康診断数値がどのように変わるのかが楽しみになっている。