« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

一歩前進二歩退却

 太宰治が生誕100年を迎え話題になっています。僕も若かりし頃、夢中になって読んだ太宰治。つい最近では、太宰自身が若かりし頃の作品を集めた『地図』が出版されたのを見つけ、買い、読み終えています。このブログも『我道忘時抄』というメインタイトルを軸にして、サブタイトルを何度か変えてきました。今は落ち着いたかたちであらわしている『誰も知らぬパンドラの匣のロマネスク』というのも、太宰作品をつなぎ合わせて、ブログの雰囲気を出そうとしたものです。誰も知らぬ(あまり多くの目には触れられないであろう)、しかし、なにがとびだしてくるかわからない(パンドラの匣)のなかの、ちょっとしたロマネスク(奇抜な発想と表現、立て続けに記事をアップしては、しばらく沈黙してしまうむらっ気)、我ながら腑に落ちるサブタイトル。このところライフ・ワークのバランスが揺れ、気持ちがざわついて、ブログに向かえずにいます。少し落ち着くまで自分自身を静観していたい気持ちです。きっと太宰を読むと糸口が見つかり、パッと開けるかもしれないと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

読みたい本

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今ここにある現在

「私は過去だとか歴史だとか、そんなものを書き換えたいとはちっとも思わない。私が書き換えたいのはね、今ここにある現在よ」
              村上春樹『1Q84』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひらめきで本を買う

 ぼくらは謙虚でなくちゃいけない。静かな生活の美しさを知るべきだよ。「運命」の目にさえも気づかれないで、そっと人知れぬ一生を終えるべきなんだ。
             『月と六ペンス』 サマセット・モーム

 起-動線の『本日の格言』を読んで、閃いてこの本を買いに出かける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ふうちゃんに留守番を頼むと…

大概の場合、こうなります。

おもちゃ箱をのぞきこんでは取り出して…

咥えて、持ち去っては、ぶん投げたまま…やったのは

「ふうですが、なにか?」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Rhyme(らいむ)家の二女・ふうちゃん


 僕らの家族となってひと月が経とうとしています。人間でも、二女や末っ子というと世渡りがうまかったり、活発だったり、甘えっこだったりという傾向が見受けられるようですが、ふうちゃんも物や人の上を堂々と渡るのがうまく、家の中をダッシュで駆け廻るスピードが速く、活発で、お腹が減っては鳴き、遊んでほしければ鳴き、なんでもなさそうな時でもよく鳴く、我が家の二女・末っ子として元気に暮らしています。
「ふうちゃん、同じお願いを今またしておきます。元気なふうちゃんの姿を見ることができるのはとてもうれしく、楽しいのですが、お姉ちゃんのアビーを本気モードで追いかけて、困らせないでください。アビーは足を痛めていることだし、大人のレディとしての立ち居振る舞いで過ごしていたいらしいから。もうちょっと優しいアプローチで誘ってみたら、仲良くじゃれあったり、体を寄せ合って眠ったりすることができるかもしれないよ、わかってくれる?ふうちゃん。これからも元気でね、あまりお転婆して怪我しないでよ、可愛いふうちゃん」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

synchronized lying 2 同調する横たわり

横たわって、ふうちゃんとじゃれあっているのを、

ベルリンのドアの隙間から覗いているアビー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベストキャットとしての『IQ29』


 ふうちゃんがまたパソコンラックから落ちたらしい。今度は妻がその事後を見たとのこと。ドタッという音に振りかえるとふうちゃんはすでにキーボードをクッションとしてさらに床まで落ちていたらしい。懲りニャいふうちゃんのIQは肉球と相関関係にあるのか。今後のことを考え、妻に届いていた通販の箱を空けてもらい、ラックに乗せ、ふうちゃんのベッドとして活用することにしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

My cat was caught in my hands

 僕がパソコンに向かっているとき、ラックの上でふうちゃんがのたうちまわっていました。自分の体がかゆいのか、自分のしっぽを捕まえようとしていたのか、壁に頭を打ちつけながら右へ左へ寝がえりを打っていました。キーボードを打ちながら、画面を見ていたら、ゴロッという音とともに画面の上から下へとふうちゃんがよぎっていきました。そう、ふうちゃんはラックの上から落ちてきたのです。とっさにキーボードを打つ手を返し、ふうちゃんをキャッチ! 体が横になった状態でキャッチできたので、まったく着地態勢を取れないまま落ちてきたことになります。猫として不覚を取ったふうちゃん。何が起きたか何ら関心を示さないまま、僕の両手のなかにおさまったまま。思わず「なに、やってるの?ふうちゃん。だいじょうぶ?」と声をかけるも、きょとんとしたまま。床におろしてあげたら、素知らぬ顔でその場を退散していきました。天然素材丸出しのふうちゃんでした。

「ナイス・キャッチ! この次も、両手のなかでつかまえて!」…我が家の“懲りんニャー”ふうちゃんの弁

| | コメント (2) | トラックバック (0)

synchronized lying

 追いかけっこをした後、リビングでばったりなふたり
シンクロナイズド・ライイング

 5分後、お風呂に入った音を聞きつけ、バスルーム前に移動してばったり
シンクロナイズド・ライイング
 奇妙に、時間も、姿・格好もシンクロして横たわっているふたり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

♪I'm here with you

 ここ2,3日、疲れがたまっている。そんな状態で迎えた休日の朝、ふうちゃんに起こされたあと2度寝して、ふとつけたテレビで『みんなのうた』が流れていた。曲は遊佐未森さんの♪I'm here with you♪ 落ち込んでいた気持ちや体に残っていた疲れが少し和らいだ気がした。

 I'm here with you

 ぼくはあなたとともにここにいる。

 あえて直訳がいいように思う。
 翻って訳するなら、
“人は一人では生きられない” わかっているけど、否定語が入っていて必ずしも前向きになれない。
“人は多くのものとつながってそこにいる” わかるけれど、僕の中では消化しきれずにいる感じ。
 ひとりで生きているつもりでいたとしても、決してひとりでは生きていけているわけではないという事実。生きとし生けるもの(you)とのつながり、ありとあらゆるもの(you)とのつながり。その中にいる自分( I )。ここ(here)にいる自分。あちらでも、そちらでもなく、ここ(here)にいるということ。“ここ”は“いま”。

 いま、ここに、ぼくはあなたとともにいる

 この言葉を、この気持ちをこれからはもっと強く意識して暮らそう。僕のなかで欠けていたピースのひとつだと強く感じる。

過去を追わず、
未来に自己を失うことなかれ。
過去はすでになく、
未来はいまだ来たらず。
いま、ここ、このいのちを
修行者はゆるぎなく、
自在に生きる。
いま、このとき、今日を励むべし。
修行を明日まで延ばすなかれ。
死はふいに訪れるもの。
いかに死と取引できようか。
昼も夜も〈気づき〉のうちに
住することを知る者を、
聖者は呼ぶ、
「ひとりで生きる
よりよい方法を知る者」と。
   『ブッダ

 この言葉もこの2,3日に出合ったものだ。いま、出合うべくして出合ったように感じる。

 いま、ここに、ぼくはあなたとともにいる。妻というあなた。父と母というあなた。家族という名のあなた。アビーとふうちゃんというあなた。日本というあなた。地球というあなた。宇宙というあなた。

ぼくはあなたがたとともに、いま、ここにいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »