火の心、泉の心、風の心
僕は、火の心、泉の心、風の心をもって精進していくことが求められているようです。
いつでも、どこでも全力で生きることが必ずしもできているとは言いがたい僕には的を射る“心”です。僕はまだ大切な一事を見つけることができていないということなのでしょう。あえて挙げるなら、自分が大事、ただ、それだけでいいのかと自問が浮かんできます。火の心を育むには、与えられた命を全うする心をつくる必要があるようです。健康であることをあまり気にも留めることもなく過ごしている僕はその反面、生命力に溢れているとは言えないと常々思っています。いつ命が尽きようと構わないということでなく、すぐにでも命が果ててしまっては困るということでなく、生命を賭す何たるかが見いだせていないのでしょう。自分にとって大切なのは何なのかを問うことが求められているようです。
泉からの湧水は多くの過程を経て、清水となって、多くの命とつながっています。そうした泉は智慧と相通じるところがあると書かれています。僕は智慧をもって暮らしていると自信をもっているかは言いがたいと思います。せめて“知恵”を出そうとするまでに、泉の清水になる過程ほど多くの時間が必要であることは間違いありません。それほどまでによく考えているのかというとそれもまた違うのですが、何はともあれ、じっくり臨みたい性分なのです。井戸を掘るように、大切な何かを探し求めて、心の奥底を見つめることが求められているようです。そのためにも、どのような状況においても、心の声や呼びかけを聞き逃さないように耳を澄まし、感じ取る力を常に抱いていることが大切のようです。
風がもたらすもの、それはその時までそこにはなかった新しいものを、風は運んできます。風は時に、そこにあった今までのものを壊し、なくし、新たなものを置いていきます。風は変化を、動きをもたらします。淀んだものを生き返らせるという清々しいイメージをももち合わせています。大切な何かがわからず、さまよっているかのような僕は、風が目指しているところを知り、突き進んでいく姿というよりも、目指すところを知らず、流されている姿のようです。やがて千の風になる日が来る前に一陣の風となって、目指すところへと吹き進んでいきたいものです。まずは大切な何かを見つけるために、余計なものを一つ一つ吹き落とし、大切な何かを見い出した暁にはまっすぐに、ひたむきに吹き渡っていきたいと思います。
高橋佳子『12の菩提心』:(携帯)http://jsindan.net
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