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2009年2月

昨日のあったかさじゃないな!

昨日のあったかさじゃないな!

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アレから一年

007
 2月10日はアビーの誕生日。その前日、僕が休日だったので、アビーを病院に連れて行きました。アビーにとってはアレから1年、元気に過ごすことができました。そう、この日、僕らはワクチン接種を受けに出向いたのです。僕がヨガから帰ってきたばかりで、アビーが甘えたい、甘えたいとすり寄ってくるところを抱きかかえ、キャリーの口にアビーを差し入れると、少しの抵抗はあったものの、すんなり入ってくれました。
「だまし打ちニャ!」
とアビーが不平顔で縮こまりました。普段、あまり車を使うことがなくなってしまった近年、時々は動かして、ダメにならないようにする必要があって、小一時間アビーを助手席に乗せて、ドライブに行った後で病院に向かいました。待つこと15分、僕らは呼ばれました。
「こんにちは、今日はワクチンですね」
 やさしい先生と看護師さんに見守られて、じっとしているアビー。家での、いつもの大暴れの姿からすると、まさに猫を被った状態に思える僕。
(なんで、病院ではこんなにおとなしくしているんだろう)
 診察台は体重計になっていて、
「んっ!4.8キロ。去年は4.4キロでしたから、ちょっと太りましたね。少しダイエットしたほうがいいかもしれませんね。でも難しいんですけどね…」
と言われてしまいました。フードもパッケージに書いてある標準より少なめにあげているのに、体重が増えていくのは運動不足ということなのでしょうか。留守番猫の宿命ともいえそうです(実際、留守番中に何をしているかわかりませんが…)。
 先生の言葉に意識を改め、僕はダイエット志向になりました。アビーがすり寄ってきたり、じゃれついてきたりしたら、遊びたいのだと思い、追いかけっこごっこしたり、プロレスごっこしたり、猫じゃらしを使って、部屋中でアスレチックジムごっこしたり、運動する機会を増やすことにしました。食事も小分けにして、いつもの1回分の量を半分にして、出してあげ、少し運動したり、眠ったりして、また小腹が空いた時にもう半分を出してあげるようにしました。これまでの食事の様子を見ていると、1回の量の半分くらいを食べては食べ飽きてしまい、うろちょろした後、残りを食べていたからです。放っておかれる間にフードが劣化したり、匂いが飛んでしまったりするので、食後30分以上経過したものは破棄しなさいという話を読んだことがあるので、小分けしたほうがよいと思ったのです。1日2回の食事を12時間はさんであげるよりも、時間の間隔を少しでも縮めて、程よくおなかがいっぱいの状態のほうが猫には良さそうです。目前に迫る5キロを思うとぞっとしますので頑張ります。

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ふにゃぁ

ふにゃぁ

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それはまた、別の話:風邪をひかない

 “風邪をひかないのは良くないこと!?”なのかもしれないというのを立ち見した本『からだの取扱説明書』で読みました。どういうことかというと、東洋医学・陰陽五行の考えにある血気、つまり体内エネルギーのひとつ、が低くて、風邪をひけないほど体がエネルギーを持ち合わせていない状態になっているかもしれませんよ、ということのようです。風邪をひいたら、体力もエネルギーも奪われるというのは実感としてあるものの、風邪をひくにもエネルギーが必要だというのは、それはまた、別の見方として面白いものだなと思いました。僕も“まともに”風邪をひいたのはいつだったか思い出せないくらいひいていないので、この一文にはドッキリしましたが、血気というのは眠っている間につくられるということなので、僕とアビーには関係のない話だと胸を撫でおろしました。この1年はヨガを通して心身ともにますます快調で風邪をひく気がしません。とはいえ、一番ひく確率が高いのは僕にとってはこの2月。あと半月、用心に越したことはないですね。

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しごとはせずに、はたらく

「はたらくということはなあ、はたにいるひとをらくにしたげるいうこっちゃでえ」

 今、読み進めている本『ゆとろぎ』の一文です。眉間のしわがふぅっと緩む感じがします。傍にいる人は、家族でもあり、仲間でもあり、お客様でもあります。彼らを少しでも楽にしてあげる気持ちで臨むならばきっと、しごとは私事にならず、会社に仕える事でもなく、ましてや疲弊した挙句の死事にもならないでしょう。傍にいる人のなかには、仕事の飲み込みが悪い人や、どうにも動かない人もいます。ついつい(気づいた自分がやればいいだけの話だけどさぁ…)と内心愚痴りながら仕事をしていましたが、今日、この一文に出合ったことで、傍が楽になるならそれもまたありかと気を取り直して、これからは始事しようかと思います。皆さんの志事は傍にいる人を楽にしていますか。

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精なる人の心、神を翻弄す

 精神は神に告げた。
「そなたは私が創ったのだ。そして、死に至らしめたのも私だ」と。

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あの飛行機はどこに行くんでしょうねぇ


飛んで、飛んで、飛んで!

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ナチュラル・アビー・モノローグ

『ナチュラル・アビー・モノローグ』
008

キラキラしてるものほど、地球を汚しているってことか。
「(瞳が)ギラギラしてる時ほど、おなかが空いてるってことよ」

戦争が、盗掘という仕事を生んじゃったのかな。
「欲求不満なのを、壁での爪とぎという主張で訴えるのよ」

グランドキャニオンかと思ったら、となりの惑星だった。
「枕元で鼻を押し付けてくると思ったら、朝ごはんの催促だった」

魚の世界でも、男が女になったりするんだね。
「猫の世界では、人が召使になったりするのは当然なのよ」

人間はもう、すべての生き物の天敵になっちゃったのかな。
「猫好き人間はもうとっくに、すべての猫の奴隷になっちゃってるわ」

天国みたいだな。天国なんて、行ったことがないけどさ。
「おうちは天国みたいだな。おうちの外には、行ったことがないけどね」

SF映画を超える世界が、地球にもあったんだ。
「家猫生活を超える世界が、おうちの外にあるのかも」

新大統領なら、ひとり旅とかしちゃったりして。
「うちの玄関に猫ドアがあるなら、ひとり旅とかしちゃったりして」

いまではもう、動物園のアザラシのほうが幸せかもね。
「それでももう、人間との暮らしのほうが幸せかもね」

好きなことをやり続けてたら、僕ももう少し、なんとかなったかも。
「大好きな居眠りを少し減らしてたら、私の暮らしも、違ってたかしら」

温暖化が、放火魔になってるなんて。
「お留守番猫が、カウチ・カリカリ族になっちゃったなんて」

俺たちもいつか、絶滅しちゃうのかな。
「あなたたち人間がいつか絶滅しちゃっても、我が猫族は永遠に不滅です」

…車内吊りの『ナショナル・ジオグラフィック』の広告を見ながら…

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あっピザ踏んじゃった

あっピザ踏んじゃった

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仄暗い時の果てから

 世界の人口は、あと半世紀もすれば、地球が養いうる人間の数を超えるといわれています。…(中略)…
 飽くなき利潤の追求や、より効率的な生産手段の追求を人類が相変わらずなし続けるならば、人類はまもなく取り返しのつかない状況に追い込まれるのでは、と思わざるを得ません。…(中略)…
 現在のそのような状況において、「自らの欲望を抑制し、自分たちの行為を制御する」という仏教が培ってきた思想が、重要なヒントを与えるのでは、とわたしはずっと思ってきました。
            立川武蔵『聖なるもの 俗なるもの』

 僕は無性にタイムマシーンに乗ってみたくなりました。疲弊、衰弱した一世紀後の地球を目の当たりにしてみたいという誘惑に駆られました。今年に入って録画してあった「人類滅亡を回避せよ ~2075年 地球温暖化のシナリオ~(前・後編)」を見て、おそらく人類は自滅していくのだろうなと感じたから。話としては、水不足、食糧不足、石油などの資源の枯渇、異常気象など今もどこかで見聞きする情報が映像化されたもの。そう、情報としか受け取れていない、この状況が危うい。このまま車は世界を走り続け、一日にトン・レベルで残飯が出る一方、一粒の米も食せぬまま命を落とし続ける人々がいる。贅を追い求めた欲望と、生を祈り求める欲望がひしめき合いながら、それぞれの欲望が乖離した果てにプツリと切れてしまった人類の糧、なれの果てとしての地球の姿。それをまざまざとみてもなお僕は(あの頃の情報はやはり正しかったのだ)としか思うことができない無様さを露呈する。今さえよければ、自分さえよければ、いいのさと欲望を追い続けていく人類。今、そこにある危機を我が身のことと思えず、思わず、己の命と同様、人類の末路へと歩み行く日々。ついに迎える地球の終末。その光景を見ながら、僕自身の最期の時を待つ。

 すべてはつながっているんだ、きっと。偶然にしろ、必然にしろ。それぞれのもつ、些細な欲望から大層な欲望までひとつずつ、少しずつ抑制し、死滅させることで、人類だけでなく生きとし生けるものすべてがあり続けることができるなら、ひとりひとりがそれに向けた行動を積み上げ、積み重ねていくことが必要と言える。今すぐ、少しずつでも、着実に。

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創世記少年 序章『最初の偶然』

 僕は偶然に生まれたのだろうか、それとも必然に!?

 受精までの間に偶然の要素はあったのだろうか。あったとしてもそれを突き抜けて起こった必然なのか。強い者が勝つ、そうなのだろうか。結果には要因が必ずあるという。ただ、仏教にある縁起観においては

〈因〉とはあくまでも〈果〉との相関性においての〈因〉であり、〈果〉とはあくまでも〈因〉との相関性においての〈果〉である。
                野内良三『偶然を生きる思想』

とされ、あくまで相関関係によるものらしい。その捉え方、見方によって、偶然とも必然とも言えるということだろう。死は必然のものとばかり思っていたが、偶然に命を落としてしまうこともある。その偶然の死も違う側面からすれば、必然だったのだよと言われることもある。

 僕はこれからも、どれだけ先までかわからないけれども、偶然と必然のあいだを生きていく。

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