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2008年5月

言の葉草

Kotonoha
二十四節気を言葉と写真で綴ったサイト:日本の暮らし二十四節気めぐり「言の葉草

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僕の願いが叶うなら

この大空を翼を広げ、飛んでいきたいな

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我が家の家訓

我が家の家訓
   『指を噛ませて爪を断つ』

 右利きの僕がアビーの爪を切る時、左腕にアビーを抱えるので左手の爪は切りやすい。右手を切り始める頃には暴れ出し逃げようとする。右手を押さえている腕を両足キック!空いている左で猫パンチ!そのうち全身でもがいて逃げる。つかまえる。暴れる。キック!パンチ!最後には指を噛んでくる。覚悟を決めて、指を噛ませて爪を断つ!

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今日もおはよう

今日もおはよう
雲ひとつない青空

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この日、何が変わったのか?

100_2 ららぽーと東京ベイ南館がオープンした今日、何がどう変わったのか、何か新しいものを発見できるか、立ち寄ってみた。ファッション関連の店はセレブ・キャンディドライヴといった感じで見るべきものはない。僕が利用するとしたら、3階のレストラン街とクリスピードーナッツと、ニールズヤードレメディくらいしかなさそうだ。気になるものを挙げれば、自然派バイキング・わらべ、ラーメン・すみれ、モンスーンカフェ、ジェラート・クレマモーレ、そして真っ先に閉店しそうなのは、Pizza e Pasta Italiana Mia Boccaといったところ。総じて言えば、《 百、》ひゃくてん 中 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、点(30点)くらいだ。予想していたことだが、豊洲店やアトレ新浦安店のようにお惣菜屋さんは含まれていなかった。残念!

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あの日、何が起きていたのか?

Yonezawa
 2、3日前に読み出して今日、ヨガ・スタジオに向かう途中で読み終えました。すでに【相棒:劇場版】を観ており、あの事件当日、米沢さんに関わるもうひとつの事件が進行しつつありました。やがて一人の女性が死に、米沢さんはその真相に迫っていきます。ドラマ・相棒の、そしてあの米沢さんの雰囲気そのままに謎が追及されていきます。愛すべき個性的なキャラ・米沢さんを満喫できる一冊です。

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まさかの光景

 悪夢は聞き慣れた音から始まった。ガサゴソ…
 アビーがトイレで用を足した。大きい方だった。気づいた僕はすぐに片づけた。「きれいになったからね」
 ガサゴソ…。
 振り返るとアビーがキッチンカウンターでホリホリしている。そこには焼き立てのロールパンが2つ。
「アビー、やめてくれ」
 それは君のしたものではない!僕の昼ご飯だ!よりによってトイレをならしたその手で…。奇しくも偶然、物の数は同じだった。

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深々と沈められゆく錨〈oneness〉

 宇宙とつながっているという感覚を得るには、自己感覚を屈服させるか、超越するかのいずれかの方法で、それを滅却するしかない。自己感覚――自我感覚ともいう――という境界があってはじめて、その個人の自己が形成される。この境界線の内部に含まれているのが、自己維持エネルギー・システムで、興奮状態にあることがその本質的な特徴である。
   アレクサンダー・ローエン『からだのスピリチュアリティ』

 かなり哲学的であり、興味深い言葉。人にはそれぞれ自己とか自我とか呼ばれるものもつことになる。そこには自分と外部との間に境界線が生まれることになる。そのことで世界はひとつと言われ方をするものに自ずと仕切りができ、ひとつではなくなることを意味する。人は生きているかぎり、世界あるいは宇宙とひとつではあり得なくなるということだろう。せめてその世界や宇宙とつながっている感覚を得ることぐらいしかできないのかもしれない。ただそれすらその自己感覚(自我感覚)を屈服させるか、超越するかのいずれかで滅却するしかないとローエンは言う。しかしはたして自分の自己感覚を屈服、あるいは超越することができるかというと相当に難しいものがあるように思える。それでも世界や宇宙とのつながりを目指すとしたら、自分を屈服させるよりは超越することを目指したい。それにしてもどのように自己を超越していくのか…人生は続く。

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Good morning TOKIO

Good morning TOKIO
今日も暖かかそうだね、アビー

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今日もおはよう

今日もおはよう
早起きは3分の得
早寝早起きだったから朝から一緒に遊べたね、アビー

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からだの声を聴く

 経験はすべて体に影響し、心の中に刻み込まれる。その経験が快いものならば、健康、活力、体の優美さが高められる。ところが辛い体験についてはその反対のことが言える。外傷体験に対して適切な反応がとれる場合には影響は一時的なものかもしれない。体には自然治癒力があるからだ。ところが反応がブロックされると、外傷体験は慢性的筋緊張の形で体につめ跡を残すことになる。
   アレクサンダー・ローエン『からだのスピリチュアリティ』

 ストレッチしていて、足を痛めました。5月の初めの頃だったと思います。半月を過ぎようとしているのに回復に向かっている気がしませんでした。痛みを感 じながらもジムに通い続けていたことも長引く要因になったのかもしれません。もちろん、痛んでいる足に負担がかかるストレッチはやらないか、軽く済ませて いました。そんな折、偶然に手当てに出合いました。これは読み終わっていた本『からだのスピリチュアリティ』にあったような体と心のつながりとか、体からアプ ローチを加えていくことで内面にも良い影響をもたらしていくという考え方とかと似通っているように思いました。どんなものかと読み進めていくと、身体的に、精 神的に、霊的に、さらにはトラウマをも含めて、アプローチしていくものだということでとても関心が涌き、足の傷みのこともありましたが、どちらかというと 興味のほうが勝るような感じで受けてみようと思い立ちました。
 施術当日。基本となっているオステオパシーの考え方を説明されていく中で、僕自身 の身体的、精神的、また過去の事故などを聞いた上で、僕の体が発している声を聴く手がかりを知ろうとするかのように進められていきます。オステオパシーという耳慣れない、得体 の知れないもので、難しそう、よくわからないっていうイメージをもってしまいそうになると思いますが、その話はとてもわかりやすく、ためになるものでした。先生によると、外傷体験はトラウマとなって残っているものだそうです。僕もいくつか大きな怪我をしたことがあり、それを先生に伝えはしましたが、トラウマとして今の体や心にどう影響しているかということの話はありませんでした。
 実際の施術はそれはそれは本当に指先や手を柔らかく、触れるか触れないかという繊細なタッチです。(これで効くんかいな)って感じです。でもこれが効くらしいんです。僕は顕著にその効果を感じることはできなかったのですが、ひとつはっきりと自覚したのは施術を受けている途中で、足元から頭にかけて一気にサワサワサワとして寒気のような、さざなみのような気というのかエネルギーというのか、何らかの流れを感じることができました。先生曰く、ブロックが取れたことによってそうした流れが生じることがあるということでした。手当てを受けることによって体に備わっている自然治癒力が働き出し、反応に対するブロックや歪みなどが解かれ、正されていくのだそうです。その過程では、たとえば外傷を負っているところとは一見無関係な体の部位が動いたり、違和感を覚えたり、痛みを伴ったりしていくそうです。そうしたことが体自身が正しく、健やかなほうへと導いている徴だというのです。詳しい仕組みはわかりませんが、先生が指先、手先から、いわゆる気を送っているということでもないそうです。(感じている痛みを直してあげよう)とも思っていないそうです。あくまでも施術を受けている側の体の自然治癒力を目覚めさせるというか、生き生きさせるのを手当てすることで、協力するとかきっかけをつくってあげるとかいう意味合いでしかないようです。不思議な感覚ですよね。一般的にいえば、治していただくために病院に行ったり、薬を飲んだりするのですが、自分で自分の体や心を直す力を発揮させるために先生のサポートを受けに行くのですから。そして手当てを受けることをきっかけに自分で自分の体を自分の力で治していくのであり、また治っていくというのですから。
 ちなみに僕はすべての末端が固いそうです。末端というのはつまり足先、手の指、そして頭頂部。これらが硬いということでそれにつながる他の体の部位も硬さというか不自由さというものが広がっているのではないかと思います。なぜ末端が硬くなったのかわかりませんし、先生にもわからないのかもしれません。ひとつ言えることがあるとすれば、体は正直な声を常に発しているということです。その声をよく聴いてあげることが大切だということ。疲れたなぁと思ったら休むこと。甘いものが食べたいなぁと思ったら、ダイエットのことは忘れて食べること。眠たいなぁと思ったら、仕事の合間でも席をはずして、眠れなくても静かな場所で目を閉じ、過ごすこと。散歩したいなぁ、ジョギングしたいなぁと思ったら、からだを生き生き動かすこと。そうしたからだからのささやきを、本音に耳を済ませて、聴いてあげ、からだと心をサポートする行ないをしてあげることが健やかな人生の歩みにつながっていくのでしょう。
 あなたのからだは今、何をあなたに伝えようとしていますか?

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深々と沈められゆく錨 〈呼吸〉

 深く呼吸するとは、とりもなおさず深く感じることである。腹腔部に深く息を吸い込むと、そこが活性化する。つまり深く息をしないことで、私達は腹部と関連したある種の感情を抑制しているのである。そのひとつが悲しみである。

 ヨガを行う際、蓮華座に座ったり、横になって屍のポーズをとったりして、深い呼吸をして、気持ちや体を休めることがあります。おなかを膨らませて、胸を膨らませて、さらに息を吸い込んで肩が少しあがるほどに深く息をします。最初は膨らんでいく体や息の出入りの音やいろんな雑念などを次々と感じながら、深い呼吸を続けます。そのうちにフゥッと感覚や雑念が消えたり、弱くなったりして、気持ちや体に静けさで満たされるときがあります。とても心地よいものです。

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今日の缶詰

今日の缶詰
らいむは電車の中で缶詰
あたしはかごの中
みんなはおでかけ
おやつの缶詰はもらえない

なんで、会社まで3時間もかかったんだ

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親と子の風景

 数年前、日本に滞在中、三歳位の子供が握りこぶしで母をたたいている姿を目撃した。その母親が子供を止めさせようとも、また何らかの仕方でやり返そうともしなかった事実に感銘を受けた。
   アレクサンダー・ローエン『からだのスピリチュアリティ』

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あなたの、贈り物に対する反応はどれか?

Gift





次の文章が自分に当てはまるかどうかチェックしてください。

うつ
×かつて
楽しんでいたことに、あまり喜びを感じなくなったということは思い浮かばない
〇孤立した感じは
いつもある。
△悩みや問題について繰り返し考えていることが
時々ある
×以前より疲れにくくなっている。通常の、日々の仕事をこなすことは難しいことではない。
△身だしなみに興味がなくなったわけではないが、
頓着することはない。
×抑えられないくらい泣くことは
ない
×いっそ世の中なんて消えてしまえばよいとは
思わない

不安
×異常なほど忘れやすいとは
思わない
×自分の行動は、熱狂的だったり、衝動的だったり、役に立たないものであるとは
思わない
×物事は待っていてくれないという感じは
しない
×よく同じことを繰り返して言っているということは
ない
×眠れなかったり、真夜中に目が覚めたりすることは
ない
△再確認することがものすごくでは
ないが、必要だ
△食事のパターンが著しくでは
ないが、変わったといえる
△びっくり仰天することは
時々ある

怒り
〇いつも他人に対して乱暴な反応をしないように抑える傾向は
あると思う
〇自制心をなくしたりすることは
ないが、他人にカッとなることはよくある。
×車の運転中、カッとなってクラクションを鳴らし続けることは
ない
△いらだたせるものすべてに反応しなければ気がすまない
というわけではないが、いらだつ傾向はある
〇復讐のような暴力的なことを考えることはある。
〇自分自身や他人を傷づけている
言えるかもしれない
×周りの人々全員に見捨てられた気がする
ことはない

否定
〇職場や家庭で、スーパーマンになっているようなところは
ある
△他人からの助けや思いやりを拒絶している
わけではないが、積極的に手を差し伸べてくれるといったこともない
〇自分の感情をいつも抑えている傾向は
あると思う
×危機について考えること避けている
とは思わない
〇無理してでは
ないが、人から傷つきやすいと見られないようにしている。
×絵や書物、歌、空想のような創造的表現の手段から切り離されているということは
ない
×違う観点からの自分のいる状況を見られる人、特に昔の友人などを避けているということは
ない

 僕の場合、自己分析すると、不安に思っていることは少なく、孤立する傾向はあるもののそれを好んでいることもあり、うつの要素はない。やはり前々から感じている怒りによる反応が強く出ている。それは自分を否定されることやその恐れに対する反応として怒りという表現をしているのではないか、ということにしておこう。

 みなさんは変化や危機にどのように反応するでしょう。自分の反応タイプを知り、それを緩和させる方法を身につけることでより豊かな生活を送ることができるようになるかもしれません。

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今日もおはよう

今日もおはよう
Good morning TOKIO
天気は下り坂

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気になるけどちょっと怖い

気になるけどちょっと怖い

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喉から出した手を掻い潜る猫

Hajimehakoneko Nekosupple

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空気は読む? 吸う?

職場での会話。こごえさんがおもむろに…。
 こごえ「らいむさんって、空気読めてますよねぇ」
 らいむ「そうぉ?」
 こごえ「はいぃ」
 らいむ「自分のイニシャルだからね」
 こごえ(・・・・・・)
 こごえ「読めていないほうじゃなくて、読めているほうなんですね」
空気を読み違えて、反省。

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らいむ・はいむ家

〒894-5555 ニフティ市ココログ町1-2-3

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今日もおはよう

今日もおはよう
朝からなんだかとっても元気だね

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『アビーのために遺言を書くとすれば』

Nekoniyuigon_2  僕が万が一の時を事前に虫の知らせで知ることができるなら、天に召される前になんとかアビーが外に出られるような手立てを講じておき、共倒れにならないようにしよう。それまでも共に猫語と人語できちんとしたコミュニケーションは図れた例がないが、アビーに向けて最後のメッセージを次のように残そうと思う。そして新しい主を見つけ、たくましく生きていくことを願いつつ、天空から見守り続けよう。



♪遺言啓上♪

お前が外に出てく前に 言っておきたいことがある
かなり難しい言葉だろうが、俺の話を読んでおけ
車の前を駆けてはいけない 誰とも喧嘩をしてはいけない
あまり好みでない めしもきれいに食え
できる範囲でかまわないから
忘れてくれるな 食事もやれないこの俺に
お前を守れるはずなどないってことを
お前にはお前にしか わからぬことがあるから
それ以外は背伸びせず 鳴かずに自分を貫け

生きてく君と死んだ俺と どちらも同じだ大切にしろ
主の手足 噛むな掻くな それからやたらに小物落とすな
昼寝うたた寝 気ままにこなせ たやすいはずだ 寝そべればいい
俺が呼んでた名前 多分変わると思う
変わるんじゃないかな ま、ちょっと覚悟はしておけ
幸せは主と育てるもので
お前だけわがままして なれるものではないはず
お前は他のところに うちを捨てて行くのだから
帰る場所はないと思え それから俺にも会えないから

何もいらない 俺の墓を回り 何だこれはと首 傾げればいい
何もいらない 俺の墓に上り いびきをかいて昼寝すればいい
何もいらない 俺の墓に向かい 涙まじりにひとつふたつ鳴け
お前のおかげで いい人生だったと
俺 思うから 間違いないから
忘れてくれるな 俺の愛するニャンコは
愛するニャンコは 生涯お前とケント
忘れてくれるな 俺の愛するニャンコは
愛するニャンコは 生涯お前とケント

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今日もおはよう

今日もおはよう
押し入れの中から

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ヨギーなアビー

ヨギーなアビー
ヨギーなアビー
ヨギーなアビー
乗せていませんよ、自分で登ったんです。
山の上のポーズ。

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深々と沈められゆく錨

 多くの子供にとって、してもよいこととしてはいけないことのリストは延々と続く。子育ての上で、ある程度親のコントロールが必要なのは明らかだが、おうおうにして子供の幸せより親の都合が先行し、この葛藤は力の争いになることが非常に多い。この種の争いでは誰が勝とうが、両方が敗者である。というのは、子供がおとなしく従おうが反抗しようが、親子の間の愛による結びつきが切れてしまうからである。
   アレクサンダー・ローエン『からだのスピリチュアリティ』

 子供はいつまでも子供のままではいられない、という哀しく、喜ばしい事実を物語っている。僕はいつ子供ではなくなってしまったのだろう。
 こういう言葉もある。「親にとっては子供はいつまでも子供」というありがたく、喜ばしい事実。僕はいつまでも子供のままなのだ。
 さて、親子の間の愛による結びつきが切れてしまうほどの争いというものはどんなものだろう。そうした争いがあることは間違いない。それが一部の特異な例だといって済ませられるだろうか。そうでもなさそうだ。かといって誰もが体験するものであろうか。よくわからない。思春期の親に対する反抗ではその結びつきが切れかかるであろうことは多くの人が体験していることと思う。。それでもその結びつきが絆と呼ばれるものならば、切っても切ることができない性質を帯びているということも言える。
 母の日の次は父の日。大人になった子供の“こどもの日”はその子供の結婚記念日かな。将来、親になるかもしれない日々が始まった日、それでも親からすれば子供は子供。子供が結婚して、親になって、自分の子育てを通して知る親の有り難味というのもある。親に反抗して、親の嫌な面を自分はするまいとしていても知らず知らず同じようなことをしていることに気づくこともある。親と子の結びつきはそうた易くは切れそうにないと思うのは楽観的だろうか。

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深々と沈められゆく錨

 人間は、他の生き物や自然と非常に深く結びついている。我々人間の崇高さの源は、自分達よりも偉大な力あるいは秩序と結ばれているという、この感覚に求められる。

 人間がスピリチュアル(霊的・精神的)な生物であることを認めるとすれば、健康がスピリチュアリティに関係があることも認めなければならない。これは私の信念だが、精神衛生上の重大な障害は、他人、動物、自然との連帯感を失うことから、起こっている。……。一般的には認識されていない事実だが、外界とのつながりが断たれると、それに伴って身体的自己とのつながりも失われる。
   アレクサンダー・ローエン『からだのスピリチュアリティ

 一連のスピリチュアルな本を読み始めてみて、とても信じがたいものから、なんとなく自分にもその世界に触れられそうなものまでいろいろあることがわかってきました。信じがたいものの代表といえば、どこかに存在する!?高次のエネルギー(しかも人の名前のようなものがつけられている)からのメッセージとか、すべてはひとつながりであるとかいうようなものがそれに当たります。昔からよく耳にする、『人は一人では生きていくことができない』ということを頭では理解できたような気になっていても、身にしみてわかっているかというとあやしいところが残るのではないかと思います。ローエンの言葉によって、スピリチュアルのあやしい部分に触れられる手がかりを見つけられるような気がします。人間は最高の知性と力を持っていると嘯いているのがバカらしく思えるのは、自分達よりも偉大な力あるいは秩序、特に自然と結び合っているんだという感覚を真摯に持っていることで、人は生かされているんだということを言わんとしているようです。それら外界とのつながりが断たれることは、つまりは人それぞれの中で自分とのつながりも断たれているとローエンは言っています。逆に、自分とのつながりを感じることができなければ、外界とのつながりはもちろん、偉大なる力や秩序、自然や高次エネルギーとひとつであるということを知り、わかり、生き、生かされていることを十分に受け止めることができないということを示唆しているのではないでしょうか。家族や会社をはじめとするつながりにしっくりこないものを感じているということは、自分とのつながりにも違和感があるということになると思います。たとえ自分とつながっているとしても、そのつながりを外界とつなげていかなければ、つながるものもつながらないということです。つなげていくことで、一見ちぐはぐで、多種多様なものと自分がひとつであるということが少しずつわかっていくのではないかと感じることができました。

 “僕の怒りが深々と鎮められますように” らいむ

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映画【相棒】

Aibo
 このゴールデンウィークはほとんど仕事だった。たまたま初日の5月3日は休みだったので、劇場版【相棒】を観ようと妻を誘ったら、「初回は10時50分だよ」と誘う前から観る気満々だったようだ。映画は期待通りとても面白かった。大画面で観る相棒はテレビで見るのよりやはり迫力が違う。話の展開、もっていき方もうまく、一瞬一瞬目が離せない。妻はというと、ところどころ目を瞑っていたような気がする。最初のシーンは(おそらくこれが事件の動機につながっているんだろうな)というのは簡単に推測がつくのだが、どこなのか、何が起きたのかまではわからない。そして事件は起きる。キーワードF6を見落とすことはなかった。けれど意味がわからない。ファンクションキーのF6かと思ったが、違った。チェスの差し手を示すものだった。この映画を通じて、また透明な駒のチェスが欲しくなった。ルールも知らず、やったこともないというのにまた“欲しい病”が発症した。映画はスピーディな展開で進み、右京さんの頭の回転もいつもながら速く、薫ちゃんは風のように速く体を使って動き回る。この絶妙なバランスが魅力的なコンビが事件を解決に導く。ちなみに公開前に流れていたCMの印象で僕は「犯人は〇×▲だ!」と言っていたのが当たった。当てずっぽうながらうれしい。ちなみにノベライズのほうでは違う。チラッと立ち読みしたら、(なるほどぉ~)と思った。この事件の性質上、〇×▲でなければ、▲×〇しかいないわけだ。映画と違ったテンポと雰囲気を味わえる本を読んでみるのもいいかもしれない。本といえば、『鑑識・米沢の事件簿』も気になる。おそらく近々買っていることと思う。

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ほこ天

ほこ天
ほっこり天国 in 銀座
トウモロコシと蚊取り線香を買う

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雨、やんだね

雨、やんだね

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鏡よ鏡!

鏡よ鏡!
我が家で一番美しいのは誰?

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猫は東へ西へ。私も行こう、てくてくと。

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 「人間は無数の文字にすぎない。文明の中で最も強いものである。しかも、それは歩く文字である・・・」 from モジカル『晩成』より

 「猫は黒猫に優るものはない。猫の中で最も神秘的なものである。時に幸を招き、時に災いを予感させる。いずれにせよ猫の気分次第である・・・」 by 『ネコのきもちしだい』編集ネコ長 アビー

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