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2008年3月

地球のことを考えて行動しつづけるために

Earthday2008
 昨日、図書館で借りてきた『コンシャス・リビング』を読み始めています。スピリチュアルなものというよりは自己啓発を促す内容になっていますが、これまで読んできたものより自分と他者一切、自然、地球、宇宙とひとつにつながっていることをより具体的に感じ取れています。おそらくスピリチュアルな要素が少なく、より心理学的なアプローチが胡散臭さを感じさせることなく、地に足をしっかりと着いて、それはまるでヨガのアーサナーに取り組むときのようで、僕の内側に訴えかけてきます。まだ読んでいる途中にもかかわらず、(これはいい!)と今日、買っても来ました。『あなたも作家になろう』と同様、借りて読んで買うというパターンの数冊目にあたります。さらに読み進めて、意識的に生きることを通して、コンシャス・ダイイング(意識的に逝く)ことまで深く、そして高めていきたいと思います。

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僕の今のオーラ

オーラメーカー
Myauratoday080324

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押し入れの中の布団の上で

押し入れの中の布団の上で
まったり
Walk300w_mini_8

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なぜ自ら死ぬことを貫いたのか?

Jishi  一連のスピリチュアリティの本を読んだ後、入門・哲学者シリーズ『ニーチェ』を読み、哲学つながりで『自死という生き方』を読みました。いつだったか大人買いしたときの中の一冊です。その時はなぜかニーチェを、そして自死というなじみはないけれど、目を引く言葉に吸い寄せられ手に入れておいたのです。タイトルと帯を見て、詳しくは見ないまま買ってきていました。当初は闘病生活の末期に尊厳死のようなかたちで、自ら食を断ち、亡くなっていくまでの記録だと思っていました。最近になって読み始めて、その思い込みが間違っていたことを衝撃をもって知ることになりました。というのもこの本はある健常者が自ら命を絶つに至った思想、哲学が書かれていたからです。しかも哲学とはいえ、平易な言葉で淡々と、かつ深く細かく配慮され、書かれています。自死という生き方がこれまでの日本に厳然としてあり、これからもあり、それはそれとして認められてもいいのではないかと言わんとしているように感じました。しばらくはじっくりとかみ締めてみたい本です。少し前までは直観というものを活かして生きることを知り、途中、神が死んだことをあらためて思い起こし、遂には必ず訪れる死に積極的に向かっていく生き方と出合ったのです。今まで具体的に死、特に自分の死というものを考えたことはありませんでしたが、そうした生き方を全うした哲学者の思想と向き合い、自分の、これからの生き方、そして死に方について考えるきっかけにしたいと思います。

 なぜ人を殺してはいけないのか?という問いが投げかけられたときに、言葉が詰まり、すぐに答えられたかったという話があります。その“人”の中には自分も含まれることからすれば、なぜ自殺をしてはいけないのか?という問いもまた投げかけられることになります。自らを殺す自殺。自ら死ぬ自死。そこに違いはないのですが、書名に『自殺という生き方』としなかったのがどういうことなのか本の中に探り出すことができるかどうか。それでは少しずつ『自死という生き方』と名づけられた須原一秀氏の『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』を見ていきましょう。

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invocation

「因縁果起縁起動待」
(イン・エン・ガ・キ・エン・ギ・ドウ・タイ)

というオリジナルの invocation をつくって、念仏する。

 

結果には必ず原因がある。原因がなければ、結果は生じない。原因と結果の間で縁とのめぐり合いによって結果が違ってくる。原因や縁に働きかけるように動き、起こってくる結果を待つという心構えをもっていようという趣旨。

cf. アヌサラ・ヨガのインヴォケーション

裏 invocation
「韻演我記演戯道綴」
(イン・エン・ガ・キ・エン・ギ・ドウ・タイ)

Rhyme(韻)を演じ、我を記し、演じ戯れ、我が道を綴る。

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リマーク 2008/03/17

高を知ることはできるであろう。
では、極みを知ることはできるのであろうか。
(これが極みだ)と思ったときにその人にとっては(それが極み)となるのであろう。
たとえその極みの上に更なる極みがあったとしても、その人にとってそれが極みであるならば、差し支えないということだろう。
極みといえども高が知れている、ということだろう。
これはこれで至極ごもっともなことだ。

高が命、されど命。

Remark

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本『靴下にゃんこ』

 ついに出ました。午前中にたまたま知り、今はもう手元に。Kutusitanyanko

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贖罪の日々

 「おそらく脂肪肝かもしれませんね」
と医師は僕に告げた。先日、健康診断の結果が返ってきた。肝臓の評価が年々悪くなってきているのが気になり、20年ぶりくらいに内科の診察を受ける。家の近くに肝臓を専門とする内科があることを検索して知ったのだ。診断結果をそのままぶつけ、どうでしょう、と問うた結果、先のことが告げられたのだ。事前に検索して、酒をあまり飲まない僕に考えられるのは脂肪肝しかないと思っていて、実際にもそう告げられた。コレステロールや中性脂肪も高いので、関係する肝臓がダメージを受けるのは当然の流れのようだ。肝臓を傷めるのはなにもアルコールばかりではない、ということをあらためて知ることとなる。来年の健康診断まで様子を見ましょう、と渡されたパンフレットには注意点が9つ。
 1.エネルギーを適正に
 2.油料理は1日2品まで
 3.肉より魚がおすすめ
 4.コレステロールの多い食品に注意!
 5.食物繊維は心強い味方
 6.ビタミンE・C、カロチンを
 7.アルコールじゃジュースにも注意!
 8.禁煙にトライ!
 9.運動の習慣を

 1.は一日2食ということからしてクリアしていると思われるが、一日3食きちんと食事をとることを勧めているものもあり、2食生活でカロリーが規定内といってもあまり喜ばしいことではないのだろう。

 2.これはおそらく守ることは至難の技に思える。会社での仕出し弁当と帰宅後の冷凍食品ではまず無理。

 3.魚を焼いたり、煮たりするのはまず無理。

 4.冷凍食品生活ではまず無理。

 5.スピルリナをまた飲み始めるか!

 6.実はビタミンEは買ってある。買ったまま、飲んでいない。飲み始めるか!

 7.ジュースを控える必要がありそうだ。

 8.元々タバコは吸わない。

 9.2月からは体は動かしている。ヨガ、ストレッチ、通勤時の駅構内イロハ階段(168段)上り:エスカレーター使用禁止。

 こうしてみてくるとやっぱり食生活に大いに着目する必要があるということだ。
・カントリーマアム(クッキー)禁止
・チョコレート禁止
・食パンにチョコやピーナッツ・ジャムをぬって食べるのを禁止
・食パンへのバターの塗布量を少なめに
・たまご料理を極力避ける
・ベーコンを極力避ける
・糖分の入ったジュース禁止(糖分ゼロか微量の野菜ジュースのみ)
・冷凍食品を最低限に。ヘルシー惣菜を食す心がけ
・豆乳を飲む
・サプリメントを飲むことを習慣化する
・梅酒、養命酒、どくだみ青汁酒を飲むことを検討
・漢方薬を飲むことを検討

 そして、上記の悪しき食材を食したときには贖罪の行いをし、リカバーする。

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ホグレソウ

 ヨガを始めてひと月半。完璧なポーズをとることはできずにいますが、いい汗をかいて、体を動かすことの楽しみを思い出すことができています。スタジオY、スタジオW、ストレッチB、Kヨガなどいくつか体験した中で、今はスタジオYを軸に取り組んでいます。ヨガは瞑想の一手段ということから興味を抱いて始めたものの、その域に達することは叶わず、自分の体と心を省みることもままならず、いまだにきちんとしたポーズをとることだけに気をとられています。もっと体と心が柔軟であれば瞑想に近い体験を得られるのでしょう。あるいは硬さの残る今だから自分というもののを見つめやすいといえるのでしょうか。
 さて、よりポーズを決めるために、より自分を見つめるために、より瞑想に近づくためにはより体をやわらかくしたほうがいいであろうと、ホグレルを体験してみました。とても興味深いものでした。一般的なフィットネスクラブやスポーツジムとは違います。筋肉の力強さを鍛えるものではありません。筋肉や関節の弾力性を高めるためのものです。用意されているマシーンは一見すると一般的なジムにあるものと同じように見えますが、その狙いと動きは明らかに逆のものです。
Hogureru3_21.ディッピング
 一般的には下に押し下げることで鍛えるマシーンに見えますが、重りの加重が上方向にかかり、つまり肩や腕、肘が上に行くほうに作用し、僧帽筋や三角筋や胸筋群の稼動粋を広めようとして、ほぐしてくれます。
2.プルオーバー
 これもバーを前に持ってくることで鍛えるものだと思えますが、重さの加重によりバーが腕を後ろに押し下げるように作用します。まさに後ろに引かれる(プル)ことになります。これにより僧帽筋や肩関節がほぐしてくれます。

3.ハイプーリー
 これも下に引き下げることで鍛えるものに見えますが、上に引き上げられることで、三角筋や前鋸筋などがほぐされます。


4.チェストプレス
 これも前に押し出すことで鍛えるものとは違い、重さの加重で後ろに引かれることで、胸筋群がほぐれることになります。


Hogureru2
 続くトータルヒップ、インナーサイ、レッグプレスもそれぞれ筋肉や関節をほぐすために考えられて設計されています。これらホグレル・マシーンの良さは、汗をかくことがない(かなり少ない)、だからスポーツウェアに着替えることなく、普段着で、制服で、Yシャツ姿でできること、短時間ででき、効果が高いこと、毎日でも通えること(自宅や勤め先に近ければ一層)、スタッフやそのスペースがアットホームで、見ず知らずの会員同士、おしゃべりしながらマシーンを操り、それでいて体と心をもほぐしてくれること、など優れもののフィットネスであると感じました。無料体験を済ませたばかりですが、会員になって続けていきたいと思っています。そうすることで体と心がほぐれ、ヨガでの体と心のほぐれにも相乗効果が期待できると思っています。また僕の場合、ホグレルことで猫背気味の姿勢が正されたり、血流がよくなることで冷え性が解消されたり、コレステロールが下がったりすることも期待しています。ご自宅や勤務先の近くにホグレルがある方にはぜひ一度体験していただきたいです。

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春の訪れ

 

解けている 寒さで身を縮めてた蜂蜜がほら 春に誘われ

 プレーンヨーグルトを食べるときにかけていた蜂蜜が冬の間は室温の低さで固まっていたので、使うときは湯煎しなければなりませんでした。それも面倒になって、ジャムを混ぜて食べて過ごしていました。春の訪れとともに陽気が良くなって、久しぶりに蜂蜜の入った容器を取り出してみると滑らかになっていました。うれしくなって微笑んで、たっぷりかけてヨーグルトを口に運びました。

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かわいいものに

…目がない!
Panya

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あなたは稲妻のように

…『妻を愛するということ』していますか?
Love_tuma

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サラとソロモン

少女サラが賢いふくろうソロモンから学んだ幸せの秘訣
Sarasolomon

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座右の書

…になりうるか!?
Photo

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道標

私とあなたは同じ道を歩いている。私は左の端を、あなたは右を歩いている。手をつなごうにも届かない。

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維持するということは果たして…

 関係を維持する。

 関係を維持。維持する。維持とは、物事の状態をそのまま保ちつづけること。

 関・係―関わる、係わる、拘わる。これらの言葉には能動的な響き、積極性が感じられる。

 では、関係を維持するとは。維持。そのまま、保ちつづけること。そのまま。保ち。つづける。どこか受動的な響き、消極性を感じてしまう。気のせいだろうか。

 関係という能動的なことは、そのまま保ちつづけるという消極性によって成り立ち得るのか。はたまた保つということも能動的なことなのだろうか。

 健康を維持する。

 生きていく一秒一刻が老いや死というものに迫っていく。生きとし生けるものすべて、これに抗うことはできない。ならば、健康を維持することもまた能動的なことといえるかもしれない。

 では、環境を維持するはどうか。それだけで果たして地球温暖化を止めることができるのか。難しいのではないか。もっと積極的に、能動的に環境に対して関わっていく必要があるのではないか。生きとし生ける人すべてが環境に関わる係としての自覚をもち、身の回りの些細なことから拘わることで何らかの道筋が見えてくるのではないか。

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本『あなたも作家になろう』

 7.書く人生
  書くことは、観察者としての私たちが現実世界と踊るダンスだ。

 9.ごたごた
  日々は無数の瞬間から成り立ち、私たちは毎瞬選択できるのだ。

11.体験の価値
  自分の体験を大切にすることは、ナルシシズムでも自分にかまけることでもない。むしろ、自分と世界に対して能動的に証 言することだ。そういった証言は尊厳ある行為であり、生きるとは本質的に聖なる行為で、私たちはその実体ではなく影しかとらえられないということを認識す る行為でもある。過ぎ去る瞬間の価値により近く自分を沿わせるとき、私たちは自分がとても大切な存在であることを学ぶのだ。

13.体を使う
  書くことは本来書く対象と全身で「出会う」ことだが、私たちはそれに気づかずに「考え出そう」とする。

  体は物語の語り手だ。

  そう、体の中には作品が詰まっており、それを完全に理解するには体に入らなくてはならないのだ。これはすべての人に当てはまる真実である。体はただ理性を閉じ込める檻ではなく、自己表現の手段だ。目、耳、舌、背中、肩、腿、性器・・・・・・全身が、書く道具なのだ。

 「体は物語の語り手だ」というのは実にヨガのようである。ヨガはひとつの瞑想の手段であるという。体の内面を見つめ、そこに自分の心と向き合い、自分という真実と物語に出会う。それらを書くということを通して、新たな自分を発見し、深めていく。書くということは瞑想であり、ヨガである、そんな気がする。

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ぬくもり

 風がビュービューと音を立てて吹いている。外は寒そうだ。足も冷たい。コタツの中の真ん中に陣取るアビーを避けて、両足をV字に開いて入れて温めている。アビーは「邪魔だ」と言わんばかりに“猫”ろんだまま、僕のふくらはぎに四肢を当て、爪を出し入れしながら押し付けてくる。時折痛いのが混じるけれど心地良い。
(あっ!?)
  アビーがコタツを出てしまった。熱くなったのか邪魔なものをどかせられないことに嫌気がさしたのか。
(もう少し続けてほしかったのに)と思いながら僕はアビーが抜けたコタツの中の温かみにひたり続けた。でも、アビーの温もりがなくなった分、足に冷たさが少しだけ戻ってきたように感じられた。

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書くということ

 読み始めたばかりの、とても好ましい本があります。
Write_heart

「ママと行く!」「ママ、ここにいて!」子どもの言葉は借り物の言葉ではなく、力強い。意志と興味にあふれ、情熱と目的がある。子どもは言葉の力を信じているのだ。   (10ページ)

ハート(heart)という単語には、芸術(art)や耳(ear)という言葉が入っている。つまり、書くことは「ハートの声に耳を澄ませる芸術」なのだ。   (35ページ)

 多くの人がブログを書く理由がこれらの言葉によって支えられている気がします。時に僕のように記事をアップする間隔が空いてしまったり、まったく更新が止まったり、せっかく書いたものをアップせずにいたりするブロガーに勇気をも与えてくれます。書くことが「ハートの声に耳を済ませる」芸術であるならば、書くことはまた自らを見つめる瞑想とも言えそうです。
 大いに書きましょう! 言葉の力を信じて、書きましょう! 僕も皆さんのハートの声に耳を傾けます!

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奥ゆかしく打つべし!

Genjityping
 源氏物語歌集 夕顔編 タイピング・ソフト
 「ちょっと気になる」

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普段の倍になったもの、半分になったもの

 帰りの車中で突然、大きな雷が鳴った。車内やホームにいる多くの人がそのすごさに驚きの声をあげた。僕は、
(あぁ、これだとアビーはびびりまくりだな)
と心配になった。最寄り駅に近づいていく途中、2度目の爆雷。家へと向かう途上で3度目の爆雷。大粒の雨もひとしきり降り続いている。
 ようやく家に着く。ドアを開ける。普段だったら、どこにいようと飛んで迎えてくれるはずのアビーが姿を現さない。待つこと1分。たどたどしい足取り、いつも颯爽として駆けてくる姿の半分ほどしかない、低い姿勢で恐々進んでくる。ドアのスリット越しに見せる丸い瞳はいつもの倍の大きさに見開いている。
(こわかったよぉ~)
 そう訴えている。
「よしよし、こわかったねぇ。ご飯を食べて元気出しな!」
 そう言って、僕はアビーが好きなほうのカリカリをたんまりと盛ってあげた。アビーは窓越しに見える様子に顔を向けては、お皿に向き直りしながら、ガリガリとかじりながら、少しずつ安心した表情に変わっていった。
(もうこわくないよ。そばにいるから)

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『言葉のない世界』

 先月、本を大人買いしたときに含まれていた中に小池昌代さんの『屋上への誘惑』があります。その魅惑的なタイトルにふと手が引き寄せられていったような感じでした。僕が勝手に思い込んだだけなのですが、その先に“死”を予感したのです。危うい精神状態だったのでしょうか。まだ読み始めたばかりなので、屋上への誘惑がどういったものかはわかっていませんが、死とは関係なさそうです。どちらかといえば、“詩”的なことかもしれません。このエッセイ集は小池昌代という詩人が書いたものです。
 その中に、『言葉のない世界』というものがありました。
Chop_suey
 おそらくこのエドワード・ホッパーの絵を見て、小説家のアップダイクが「まるで二人が互いに聴きあっているように見える」と書いたものを小池さんは読まれたようです。“奇妙な言い方だ”と小池さんは書かれていますが、また“ふさわしい”とも書かれています。どうご覧になります、この絵を? ひとつのテーブルを挟んで真向かいに座り、お茶をしながら、そこには当然おしゃべりがつきもののはずです。でも、そこには声という声がなく、ないにもかかわらずお互いがお互いの声を聴いているように見える。不思議な雰囲気ですね。
 さて、今の僕らの暮らしに目を向けてみましょう。ひとつ屋根の下に女と男がお互い気にかけずに平穏に暮らしているように見えます。でもそこには言葉がありません。家という施設の中に、片やインターネットカフェがあり、片や図書館があるといった様相で、そこを自由に行きつ戻りつしている猫1匹アビーがいます。妻はカフェで四六時中セカンドライフに興じ、僕はコタツの中でアビーの温もりを足に感じながら、本を読む。妻はネットの中のアバターと英語で話し、時に感心し、時に馬鹿笑いし、楽しんでいます。僕は本の著者や登場するキャラクターの言葉を受けて、受け取ることしかできないので、自分の心の中の壁にその言葉をぶつけてみたり、心の宙に放り投げて、戻り落ちてくる言葉をまた受けて、その言葉を広げたり深めたりして楽しんでいます。カフェでは会話や笑い声はあってしかるべきですが、図書館では音なる声は慎まれるべきものとされています。そうしたカフェと図書館を気の向くまま猫のアビーは行き来します。ニャァと鳴くも鳴かぬも僕ら人間にはアビーがしゃべっている本当のところを知る由もありません。カフェにいる妻の足元にいることに飽きれば、図書館に戻り、コタツにもぐりこんで僕の足を枕に眠りにつこうとする。眠たげにニャアと鳴く。それがアビーが妻から授かってきた伝言だとしても僕には通じない、わからない。遠くのカフェでは嬌声があがり、こちらの図書館ではアビーの寝息とページをめくる紙擦れの音だけが響いています。カフェと図書館にいる人の間には言葉はなく、行きつ戻りつする猫だけがそこにいます。そして、本当は気にかけてほしいという思いに満ちた不穏な空気もそこにあるような気がします。

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きれいな和装婦人は好きですか?

Otonanowa5
 書店内を見てまわっているうちに、和服をお召しのきれいなご婦人が表紙の雑誌が目に飛び込んできました。雑誌『大人の和生活』。中を見てみると、着物の話を中心に、食や旅、暮らしといったことが紙面豊かに語られていました。見ているだけでも気持ちよかったので衝動買いです。一時期、男の僕も着物を着てみたいと思っていたこともあって、何かと着物や和風なものに関心が尽きないので、出合ったからには手元に置いておきたいと思ったのです。コレクターな性質の僕は既刊のものを取り寄せようと思いましたが、創刊号はAmazonで12000円という値が付いていて、とてもじゃないけど手が出ません。あっさり諦め、最新号をじっくり眺めて、平静な気持ちをもてるよう心がけたいと思います。

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本『不機嫌な職場』


Fukigenshokuba

 昨日、本屋で見かけた不機嫌な職場』。ぺらぺらしてみた。笑えるほどそっくりで、悲しくなるほどそっくりな職場に現在、身を置いている僕としては、これを読むことで笑い飛ばしても悲しい職場は変わらないので、買わずにおきました。小さな部署内にもかかわらず、スタッフ間で協力し合わない。それに疲弊して、先月一人退職し、今月もう一人退職します。それなのに新しいスタッフが見つかっていない。募集をかけても応募が少ないという実績が続いた影響からか、今回は募集もかけていない。人材派遣でまかなおうとしているらしいけれど、それもまだ見つかっていない。もう誰一人欠けても仕事が回らない状況にひとりひとりに仕事の負担がかかってきている。直属の上司はこの切羽詰った状況にもかかわらずのんびり構えている。そうとしか思えない態度と行動。あきれてしまう。こう思っているのは僕一人ではない。退職近いスタッフはやる気が半減し、電話を取らない。別のスタッフはパソコン入力を優先し、目の前に来ているお客様に応対しに店頭に出て行こうともしない。別のスタッフは店頭にいるにも関わらす視線を落とし、目の前に立っているお客様に気づかない振りをしてデスクワークを続け、声がかからないと顔を上げない。そんな光景を目にする僕はお客様との電話を終えては、パソコンの入力を後回しにして、目の前にいるお客様に応対するために店頭に出て行き、また次から次に入ってくる電話に出て、パソコンに入力すべきことがどんどん溜まっていき、支障が出る一歩前まで、優先すべきことを優先し、こなしていく。その間、周りの人間はそれぞれのペースでパソコン入力、デスクワークを続けている。悲しいかな、これが今の職場の現実だ。僕自身も疲弊していく。今の仕事は好きだが、今の職場と会社は嫌いだ。人を大切にしない会社が人を大切にしようという仕事に従事していること自体、間違っている。
 と僕は不機嫌な愚痴をこぼしてしまった。

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ヨギーなアビー

ヨギーなアビー
あったかな気をつけのポーズ

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本『てづくり猫ごはん』

Nekogohan
 アビーの今の食事は2種類のブレンド。僕が初めて買ってきたカリカリはお気に召さないようで、もう1種類のお気に入りのものだけ選んで食べ、他のは残します。昨日、アビーの夕食時間に外出の予定があったので、おいしくないカリカリ10gだけ与えて、帰ってきた際の残りの分量をみて、遅い夜食をあげることにしました。帰宅後、計ってみると1gも食べていません。よっぽどまずく、嫌いらしいです。仕方がないので、大好きなカリカリを十分あげて、遅い食事をとってもらいました。こんなに嫌われたカリカリはこれまでありませんでした。おいしさの違いはどこら辺にあるのか聞いてみたいのですが、答えてくれることはないでしょうね。

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