キャッチ&リリース
今年はたまたまお盆の時期に休みが取れました。取ったというよりも気を利かせてくれたのかたまたまそうなりました。特にお墓参りなどの行事もなく、両親も珍しく夫婦で旅行に出かけているので実家に帰ることもなく、ぼんやりゆっくり過ごしました。休みが明けて昨日は早速宿直勤務。年配のマネジャーとの勤務で、仕事も終え、仮眠を取る段になって、
「早く休んだほうがいいよ。この時期はお迎えが来るから。連れていかれちゃうことだってあるんだから」
どちらかというと会いに来てくれるという印象が強かったので、お迎えが来ると言われるとなんだか妙にドキッとしました。睡眠はある種の死を意味するようですが、仮眠の場合は苦しんで苦しんで、苦しんでも死にきれないような状況です。何らかの事情でいつ起こされるかわからないと思うとなかなか眠りきることはできません。それでも今回はうまく休めたほうかもしれません。
うまく寝つけないときはいっそ瞑想して過ごしたほうがいいのではないかと思い始めています。最近、立て続けに瞑想の本を3冊読み終えました。いろいろな瞑想があるようですが、別に悟りを開くのが目的ではないので、目を瞑って静かな時を過ごす無手勝流な瞑想が僕には向いているようです。いろんな思いや感情や音などが押し寄せて来るようですが、そのまま『キャッチ&リリース(魚を取っては水に帰す)』、掴んでは離せばいいんだとする文言が僕のよりどころになります。とても無念無想の境地にはなれそうもありませんから。瞑想はきちんとした姿勢で、深く静かな呼吸を繰り返し過ごすわけですから、寝つけず、起こされるドキドキ感を味わって何度も寝返りを打って過ごすよりよっぽど身体も心も休まるような気がします。
ブッダは菩提樹の元で瞑想し、悟りを開いたそうです。この世は苦に満ちているというのも悟りの一つです。老い、病、死はもちろん、生まれ、生きることも苦であると。中には覚えている方もいらっしゃるようですが、母親から出てくるときは子供も相当苦しい思いをするそうです。その後は生き続けることになり、しつけや教育、社会といったものから生きるための知識や知恵をつけられることになります。それらは生きやすくすることもありますが、生きづらさを感じさせることもあります。死の苦しみを味わうその時まで、生の苦しみや喜びをを味わうのが人の定めのようです。読みかけの池田晶子さんの本の中に「すべての死因は生まれてきたこと」という一節があり、投げかけられた哲学的な命題がいろんな思いが身体と心の中を駆け巡っていきます。
いろんな思いは瞑想していようが、してなかろうが次々に生まれてきます。生きていく限り人は独りで生きていくことができないのもまた定めです。人との関係においてもさまざまな思いが付きまといます。その思いを自分のうちに留めることで苦しむ人もあれば、発することで相手との関係がこじれて苦しむことも出てきます。同じ苦しみであるならば、思いを発することで次の展開を目指すのがアサーティブの精神らしいです。悶々と内にこもって縮こまるよりも、当たって砕けたほうが次に砕けることを避けられる可能性が開けているようです。
というようなことを書きながら、縮こまりがちな性質の自分を奮い立たせています(^○^)
さて、文章の内容とはマッチしていませんが、猫好きらしく、そして僕の憧れの楽器演奏の画像をひとつ。雑誌『猫びより』最新号の巻頭で久しぶりにお目にかかったので懐かしく…。もしもピアノが弾けたなら、と思ったことのある方は案外多いような気がします。ピアノの弾き語りなんて憧れですよね。皆さんもしばし、NORAの弾き語りに、癒されてください。
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