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2006年11月

ウサハラスメントの奨め

ウサハラスメント(憂さ晴らすメント)
 1.憂さ晴らすメンツ(メンバー)と飲みニケーション:上司や会社に言いたいことを飲みながらぶちまけます。翌日、二日酔いの素振りを見せず、立派な企画書を出す!
 2.バッティングセンター:(俺はゴジラだぁ)という意気込みでバットを振り、150キロのボールを打ち返す。空振りでも構わない(ただし、ヘルメットの落としどころは計算し、練習を積んでおくこと)。ボールがバットや体に当たったら絶叫すること(思い切り声を出すことは気持ちがいいものです)。
 3.いわゆる“ぷちぷち”(エアキャップ緩衝材)をそれこそプチプチ潰していく。やりすぎて肩が凝ったら、プチシルマを♪プチプチプチプチプチシルバ♪と唄いながら貼ります。
 4.猫を抱く。人も猫も、体も心もあったかくなります。犬と散歩するのも憂さが晴れるかもしれませんが、犬がなぜかぱったりと立ち止まって動かなくなってしまったり、犬が行きたい方向へグイグイ引っ張られていってしまったりして、憂さが溜まることがあるので注意が必要です。その点、猫は抱いて良し、見てて良し、放っておいてもやや良し、時々ひっかかれたり噛まれたりするのはご愛嬌、です。
 ※皆さまのウサハラスメントを募集中です!

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猫魂と猫好き騙し

Inochi 『いのちの話』…ヤギ、フクロウ、ネコ、虫たち、畑、そしてゴミの山にまで。自然と生きものとの交流をとおして、遍在するいのちのはたらきを、日々、体感するすばらしさを語る。生きとし生けるもののいのちと共振することによって身も心も軽くなる新しい生き方


Monorailcat Nekononamae Nekonamaetuke Nekoninamaeha Nukemenonai Nekonote















そして『ウォリアーズ』…猫の猫による猫のためのファンタジー(シリーズ刊行開始)

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映画【トゥモロー・ワールド】

Tomorroworld5_2 子供が生まれなくなってしまった世界 ― もしそうなったとしたら、生き残されたものが命をいたわりあうようになるのではないか、と考えるのは楽観的過ぎでしょうか。おそらくそうなんでしょう。映画【トゥモロー・ワールド】では、世界各地が秩序乱れ、少しでも安定しているイギリスへと移り住もうとする人々が映し出されています。そんな中、子を宿した女性が現れるのですが、公にすることなく、政府がその母子をどのように扱うか疑心暗鬼になっている反体制組織に保護されています。彼女とその子を、つまり新しく生まれくる命をどのように守り抜くかを主人公セオを通して描かれていきます。
 理由や原因はよくわかりません。原作の中で説明されているの知りませんが、映画の中ではすでに人は子供を生むことができなくなっていました。近未来のSFの世界とはいえ、人類が不死の力を得ているわけではなく、新たに生まれくる子がないということであれば、現に生きている人間が老い、死に続ければ、人は滅びるということが予見されます。そう考えたら、とても尋常ではいられなくなるのかもしれません。精神的に追い詰められていく人もあれば、無常な閉塞感を外に吐き出そうとして人を傷つけようとする人も出てくることもあるかもしれません。実社会において子供が恵まれない夫婦が不妊治療や代理出産に臨んだり、養子縁組したり、夫婦仲睦まじく暮らしていったりするように、それぞれ様々な思いと行いを為そうとします。そこにはまだ子供をもてる可能性があります。個々人のレベルでは子をもてるようにしていくことができます。一方、国は人が子を安心して設けることができる社会環境を整えているでしょうか。スウェーデンやノルウェー、フィンランドのように社会保障がしっかりしている国もあります。発展途上にある国では貧しい状況にあっても、子供が生まれては次々と亡くなっていったり、HIVの問題に直面していたりします。日本においては、保育園・幼稚園不足、いじめの問題、女性の社会進出にともなって子供を育てていく環境が十分に整われているとは言えない様々なことが社会問題化しています。こうした状況が続くことで人の意識が変わり、子供をつくろうとすることはしなくなったり、悪しき環境に合わせていくように男女ともに身体的に退化していくことで本当に子を生むことができなくなっていったりする事態に陥るかもしれません。もしもそうなったとしたら、映画の舞台のようになっていくことだってありうるでしょう。そうならないように、法整備や社会環境作りを促進していく必要があるでしょう。そして我が家の“トゥモロー・ホーム”の行く末も見つめなおすことも忘れずに…。

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不思議な繋がり

 “翻訳”というものに興味が湧いて、そのなんたるかということを知るために、図書館でなんとなく借りてきた、翻訳についてのエッセイ本:鴻巣友希子『翻訳のココロ』を読み終えました。読んでいくうちに覚えのあることがいくつも出てきました。その著書を持っている(でも、読んでいない)辰巳芳子さんのことや、読みかけの、ポール・オースターの本のタイトル『ティンブクトゥ』とその意味(そういうことだったのか!?)や、トルーマン・カポーティや、先日録画しておいた映画【明日に向かって撃て!】や、さわりを読んで止まってしまった本:斉須正男『調理場という戦場』や、村上春樹:訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のことなど。たまたま手にした本の中に自分が興味をもっている事柄のいくつかが出てきました。この本を借りてみようと思ったのは“たまたま”ではないのではないか、なんて思えます。そしてこの繋がりがエミリー・ブロンテ『嵐が丘』への興味へと繋がっていきそうです。本は楽しい。そうこうするうちにまた違うものへと感心が沸いてきます。知りたい、読みたい! 本を読む時間はいくらあっても足りません。

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「書くもの、貸して!」

 時々、「書くもの、貸して!」って言われることがあります。書くものって、ペンだったり、メモ紙だったりします。「貸して!」って言っている人の身振り手振りから、どっちを差し出すか聞き返さずお目当てのものを差し出すことができます。ペンを持ちつつそう言われたら紙を、メモがあってそう言われたらペンを。その両方がないまま、宙に何かを書くように手が振られていたら、どうすれば…。それでもなんとなくわかるものですんなり“書くもの”を差し出せます。もう一つ違う“書くもの”といえば…。
 今年も手帳を買った僕ですが、毎年のようにあまり書き込まないまま年が暮れてしまいます。僕には“書くもの”があまりないんです。いや、ブログをこうして続けていられるということは“書くもの”はあるにはあるといえるんでしょう。それでも手帳には“書くもの”がない。流され人の僕には、仕事上で必要なスケジュールというものがない、人生における夢がない、日記ということにしてもヒビの暮らしの中で何も起きない、“書くもの”がないのです。ちょっと一言、叫んでみましょう。
 「書くもの、貸して!」
 ペンも紙も持っている僕がこう叫びました。これを聞いた相手はキョトンとすることでしょう。「君、もう手にしているじゃないか」と。
 「いえいえ、書くもの(=内容)がないんです」
 誰も書くもの(=内容)まではそうそう貸してくれそうもないように思えますが、ヒントはいろいろあるものです。たとえば、《30の夢》のように、それが夢とまでいかなくて、~したいなぁとか、~がいいなぁとかいうようなことを思ってみたり、信じてみたり、書いてみたり、そして何よりそれが叶うように行動してみたりすることでそれらが実現することだってあるのです。最初は借りものだったり、マネだったりするかもしれませんが、大体のものがそうしたことを通して生まれてきたのだと思います。借りることはそれほどいけないことではなさそうです。借りたら返せばいいし、そのうち誰かに何かを貸すことができるかもしれません。先人には、窓の、ずっと先にある風景までも借りてしまおうと考えた人もいるくらいです。風景へのお返しはエコロジーでしょうね。命も借り物だとすると、魂や宿命を全うすることがお返しと言えるのではないでしょうか。

 追記:《30の夢》 お借りしました、pixydustさん。お返しは、まずはトラックバックで。

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ホンヤクに魅入られた男

 いつの間にか本厄と言われる時期が過ぎていました。特に何事もありませんでした。気にしなければ、平常心でいれば、なんていうことはないのかもしれません。あまりに流されて暮らしていることから、もっと能動的に生きるべきだったかと、何も起きなかったことが、何も起こそうとすることがなかったこと自体が逆に本当の意味で厄だったとも言えなくありません。
 話は変わりますが、今、“翻訳”に面白みを感じ始めています。発端は光文社古典新訳文庫で『カラマーゾフの兄弟』が発売されたことにあります。この作品は学生の頃読んで、衝撃を受けた本の一つです。それが今の時代になぜあらためて翻訳されて世に出されたのかと不思議に感じたのです。翻訳というものをこれまでとりたてて考えてみたことがなかった僕は(結局、内容が変わることはないのだから、同じじゃないか)と思ったのです。でもそれは違うようです。翻訳はそれを行う人や方法などによって明らかに違いが出るようです。もちろん誤訳という問題が出てきたり、訳としては無難にまとまって出来上がったものでも時代が移り変わっていくことで、訳された言葉遣いそのものが古臭くなってしまったりするようです。翻訳されて注目されている作品としては、『ライ麦畑でつかまえて』や『グレート・ギャツビー』や『ロリータ』などがあります。いずれもこれまで一度も読んだことがないものです。『ライ麦』や『ギャツビー』は何度も翻訳されています。名著といわれることもあるのでしょうが、なぜこうも繰り返し訳されるのでしょうか。気になります。翻訳という行いはどういったものなのかこれから先しばらくの間、追究していくことになると思います。幸い、図書館には翻訳に関する本がたくさん並んでいます。片っ端から読んでいこうと思っています。手始めに鴻巣友季子さんの『翻訳のココロ』を読み終えました。“翻訳”の世界に魅せられつつあります。鴻巣さんが翻訳した『嵐が丘』も読んでみたくなりました。これも未読です。いつか同名異訳の作品を読み比べてみようと思います。本厄を過ぎた今の僕が読む『カラマーゾフの兄弟』はどうココロに響いてくるのか楽しみです。

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ステータス、今年もか!?

Maruman_teddy_6
 2007年、卓上カレンダーはこれにしました。
 アビーのお食事日誌を兼ねようと思っています。

Tsmini
 2006年は妻の影響を受けたフランクリン・プランナーを知らんぷりん・プランナーにしてしまったにもかかわらず、性懲りもなく2007年の手帳を買ってしまいました。高橋書店ティーズ・ミニ(オレンジ)

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飛行機好きの貴女へ

私  「業務連絡いたします」
俺  「それじゃぁ他人行儀だろう」
僕  「家庭内報っていうのはどう?」
オレ 「社内報じゃないんだからさぁ」
ぼく  「回覧版っていうのもいいかも」
あたし「これはブログよ。ハンコ押せないじゃない」
ボク 「用件はですね、いい写真、載ってるよ、rudyn」

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懐かしき遥か彼方の’80

 80年代といえば、僕自身もいろいろ迷いながらも充実していた時代でした。大いに本を読み、ニューミュージックと呼ばれた素晴らしい音楽に心と体を躍らせていたものでした。それに比べて90年代に入ってからは…というような悠長な話を書くのが今回の主旨ではなかった。
 陽水が歌ったように、♪問題は…♪今の腹、時代で言えば80年であればいいところを90年代に入ろうかというような状況を目の当たりにすれば、♪問題だっ!今の腹♪と歌のような、悲鳴のようなものを発せざるを得ない。元々体格がそこそこあるので、ウエスト80年代は妥当なところだと思っていました。かつては79年という頃もありました。ですが、遅ればせながらようやく本格的に衣替えした今日、冬服のスーツの腰周りが去年より一層きつくなっていることがわかりました(アビー『去年から知ってたんだぁ』 僕『実はそうなんだよねぇ』)。きついなぁと思いつつ、痩せればスーツを買い増すことないじゃんと能天気な発想転換が降って湧き、思い立ったが吉日、本日をもって脱・メタボリック・シンドロームを宣言し、実践することにしました。お腹を凹ますことを念頭にして筋力トレーニングやジョギングなど久しぶりに体を動かしていこうと思います。目指すは、懐かしき80年代。
 本日 身長:約180cm 体重:約72.0kg 体脂肪:約20.0
     腰周り:まもなく90年代
 2006年11月 気負わずキャッチアウト feat.W80 ♪体脂肪・ばいばい♪ のリズムとメロディにのって、ダイエット!

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CD♪

Kobukuros
 コブクロ―あったかいぜ、彼らの曲。切ないぜ! そうしたコブクロのシングルがぜーんぶ聴くことができるこのアルバム、いいですよ! 特に僕がコブクロを知ることになった♪DOOR♪が最高!
 ♪眠れない日々を過ごすなら、眠らない明日を追いかけよう♪
                  ♪DOOR より
 永遠の眠りにつくのはまだ早いってもんだよ。

Kcatseyes  ♪シーサイド・ばいばい♪ 映画館に観に行った時にロビーで繰り返し流されていて、軽快なリズムと耳に残るフレーズに気になった曲。誰が歌っているのかも、タイトルがなんなのかもわからないでいたら、何かを通してなんとなく【木更津キャッツアイ】のテーマ曲ということがわかったとき即、買いに走りました。
 昨日には♪帰れない♪んだし、前に進むしかない。今日を生きるしかないんだ。

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映画【ワールド・トレード・センター】

Wtc_5  映画【ユナイテッド93】に続いて9・11アメリカ・テロを取り上げた映画【ワールド・トレード・センター】を観ました。【93】では臨場感と切迫感とで圧倒されて、この予告を見たときには涙していたものの、映画館では涙は不思議と出てこなかったものです。今回の【WTC】では何度なく涙が頬を伝わっていきました。なぜでしょうね。多分それは命が救われることからくる、温かい感情の表れだったからでしょう。センターに救出に向かった警察官がビル崩壊したことで自分たちも生き埋めとなり、命の危機にさらされていきます。生きる希望を失うことなく、お互いに励ましあって、救出を待ちます。でも次第に体力、気力ともに限界に近づきつつあることを感じ、死が意識されるようになっていきます。闘いです、時間との、生命力との、自分との、テロとの、闘いです。愛と絆と信じる力と魂を賭した闘いです。それはこの悲劇に打ちのめされた人々が、救出に臨む消防士や警察官が、また彼らを送り出し、待ち詫び、残された家族がそれぞれ立ち向かっていく闘いです。幸い、奇跡的に二人の警察官は救出されますが、この時の闘いはいまだに多くの人の中で続いています。今日、そして明日を生きていくための闘いです。どんなに辛い状況にあっても前へ進んでいくための闘いです。自分の命を自ら後ろ向きに投げ出して、死をもってのぞむ闘いとは違います。救出してくれる人はいます。彼らは救出を信じています、諦めません。声をあげて、自分の命の存在と場所を彼らに伝えましょう。きっと出会えるはず、つながるはず、光溢れる世界を生きていけるはずです。

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猫です、見ってね!

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 仔猫の写真集『SMITTEN』。仔猫と器の大きさがわからないので、(ちょっとこれはキツいんじゃないの?)っていうショットもありますが、そんな心配と不安を一気に吹き飛ばす仔猫の表情が満載。
 『猫町』は原作・萩原朔太郎の世界を新仮名遣いと猫の写真などで構成したもの。猫ッ!ってことで飛びついて買った画ニメ『猫町』もあるのでこの本を買うのは控えました。
 でも、猫好きの方なら、見かけたら思わず手に取って見るでしょうね。

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ねこ、たべちゃった

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 ある日、銀座コージーコーナーの前を通りかかったときに見かけた《こねこのサブレ》が気になっていました。それから随分日が経った最近になってようやくそれを食してみることにしました。525円、小さな可愛らしいパッケージに入った子猫たち。キャリーが嫌いな猫がいる中、身を寄せ合って入っていました。ふたを開けて一匹(まい)取り上げてみると、匹(こ)分けされたパッケージも可愛い。もちろんねこ自身も可愛い。食べてしまいたいくらい可愛い。また、食べてしまうのは可愛そうな気もします。でもそれはそれ、パクッとかじって、いただきました。幸い、爪で引っかかれることもありませんでした。食べている間、甘い物好きのアビーが寄ってきましたが、プリンほどの甘い風味を感じなかったのかすごすごと離れていきました。(仲間が危ないッ! 助けなきゃ)とアビーに思われることなく、最後までおいしくいただくことができました。可愛くて、おいしくていいのですが、やっぱりどこか気が引けますね、この《こねこのサブレ》。

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わかってるアビー、わかってない僕

 この頃、めっきり寒くなってきました。朝晩は特にそう感じ、日中も日が照っていなかったり、風が吹いていたりすると、冷え性の僕は一瞬にして手足が冷たく、痛くなってきます。冬本番はまだ先のこととはいえ、すでに春が待ち遠しい思いがします。アビーも秋の気配を感じていて、部屋の中が少し寒いと思っているようです。かといって保温性の高い素材のグッズはことごとくお気に召さないときています。彼女の、あったか避難場所は床に敷いたタイルカーペットをまたぐようにして置いているバスタオル掛けの下。2~3枚掛かっているものが体に触れて、温かさの足しになっている様子。それと襖を少し開けておく押入れの中。飛び乗っては布団の上で眠っています。空いている隙間は必要最小限度に留めているので、温度もある程度一定の状態を保てているようであったかいのでしょう。といっても寒さが徐々に増してきているのには気づいているようで、身をちぢこませていることが多くなっています。運動量も減っていたり、夏ほど喉の渇きを覚えることもなかったりで、あまり水を飲んでいないように思えます。帰宅して、食事の準備をしてあげる際に、飲み水の容器を見ると、朝入れた量とさほど変わっていないような日もあります。それはそれは1ミリも、1ccも減っていないんじゃないかとさえ思えます。『ねこのきもち』にあった記事“冬の元気な暮らし方”にも寒い季節の飲み水の量について気にかける必要があるとありました。あまりに飲まないと病気につながるようで、病気になったらなったで喉が渇いて、いつもより多く飲むようになっていくということで、人が気にかけてあげるのが大切なようです。そこで僕は最近試しに食事の際、カリカリとウェットを混ぜた上にさらに水を少し注いで、出してみました。食べようとすると水も一緒に飲む必要がでてきます。こうして多少無理やり水を飲んでもらおうと工夫しました。食事に軽く浸った水を多少疎ましく思いながらもアビーは食事とともに水も飲み干してくれました。我ながら、(結構、いけるかな)と思っていましたが、アビーとしては不満が残るようです。場合によっては食事を残していることもあります。
 僕   「猫まんまはお気に召しませんか?」
 アビー「それはご飯にお味噌汁をかけたものをいうんです。それにこれにはおかかものっていませんよ」
 僕   「それじゃぁ、カリカリおひたしというのはどうでしょう?」
 アビー「おひたしは茹でてつくるんであって、これは水をかけただけでしょっ」
 僕   「で、お気に召しませんか?」
 アビー「全然お気に召しません。カリカリはカリッとしているからいいのであって、これではベタベタかグチョグチョじゃありませんか!」
 僕   「貴女がもっとお水を飲んでくれればなんの心配もいらないのですが…」
 アビー「ちゃんと飲んでいますよ」
 僕   「そうは思えないんですが…」
 アビー「あなた方が留守の間にあたしが器に注ぎ足しているんです」
 僕   「そんなこと、できたんですか。お見逸れしました」
 『ねこのきもち』によれば、食事がカリカリ中心の猫が水を飲む量の平均は60ccだそうです。
 僕   「アビー、僕らも気を配るけれど、お水をきちんと飲んでくださいね。あなたは僕らの大切な家族なのですよ」
 アビー「わかっていますよ。わかっていないのはあなたです。おいしいご飯、くださいな」

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CD♪Innocent Eyes♪

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 音楽の秋・CD第2段はデルタ・グッドレムの♪イノセント・アイズ♪ これまたテレビでアルバム発売の告知を見て、また飛びついた逸品! 容姿、歌声、歌唱力、曲調などどこかセリーヌ・ディオンを感じます。映画の主題歌となっている♪Flawed ~埋まらないパズル~♪の迫力はグッと心に響いてきます。加えてこのジャケット、不思議な雰囲気を感じます。写真とイラストがコラボしています。イラストレーターはクロダキヨシさんとのこと。HPをもっているようです。検索して見に行ったら、他の作品と雰囲気が同じだったので同一人物だと思います。なぜウサギなのかはわかりません…。それはともかく、持病と折り合いをつけながらの音楽活動を再開したデルタの今後も注目です!

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CD♪PIANO BREAKER♪

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 秋、真っ只中の今、my映画鑑賞ブームの復活に続いて、CD買い4連発第1段。兄弟ピアノ・デュオ:レ・フレールの♪ピアノ・ブレーカー♪ フジテレビ「情報プレゼンター とくダネ!」に出演・生演奏を見聞きして、飛びついた逸品。ピアノにおける連弾や打楽器を思わせる演奏、息の合った演奏、ふたりの手が交差する様、軽快なノリに魅せられています。CDの音だけでも十分かもしれませんが、このふたりの演奏はDVDやライヴを通して感じ取ったほうがずっとずっといいだろうと思います。ちなみにこのCDにはDVDがついています。今後、注目のふたりです!

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ニャンとなくアロマ

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ホット・コーヒーにホッとする季節になってまいりましたニャ

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パリの・猫の子の・さとり

Paris_neko Nokonoko Nekosatori

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あなたの妖精に会えましたか?

Rbm Y1 Y2 Y3 Y4 Y5 Y6 Y7

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人生の『待合室』にどうぞ

Kotunagiいじめで苦しんでいる人へ、人生でもがいている人へ
「どんなに辛いことがあっても一生懸命に生きてください。いつか必ずいいことがありますから」 
                      ~映画『待合室』~

学校を離れて、会社を離れて、人生の『待合室』で待ってみましょうよ。あなたと歩んでくれる人はきっといるはず。その人を待ってみましょうよ。

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映画『ゆれる』

Yureru2 『ゆれる』 ― 人の心はいつもゆれているんですね。ゆれながら生きていくです。強い信念、大きな夢、固い絆があったとしても、ゆれているんですよ、人は、いつも、少なからず、多少なりとも。ゆれがなくなったとき、人は最期を迎えるのでしょう、きっと。だからゆれてたっていいんですよ、ゆらゆら、ふらふら、右へ左へ、あちらへこちらへと。吊り橋を渡ろうとしているときにゆれようと、橋自体が崩れ落ちることはめったにありません、ゆれているだけ。ゆれていたって、前に進めます、進もうと思えば、そう、一歩を踏み出せば。もちろん後にだって戻れます。ゆれに囚われて、押しつぶされそうになって身動きが取れなくなることもあるでしょう。そうした時でも橋はまず落ちることはない。橋を支える橋脚が、基礎がしっかりとワイヤーやケーブルを引っ張って、橋をやめることを拒みつづけてくれるはず。心をしっかりもって、心がゆれていたとしても、橋のゆれと共振することを避けるようにそのゆれを感じ、見つめ、抑えられれば、橋は落ちない。映画『ゆれる』の中では、とりわけ兄のゆれが弟のゆれと共振し、ゆれが増幅することでふたりの間にかかっていた絆という橋がゆれに押しつぶされて、落ちてしまったのでしょう。そこには遠く、近く、深く、浅く、父の、女の、伯父の、そして母のゆれも重なっていたのかもしれません。流れの中で、兄を追い詰める証言をすることは推測することはできましたが、想像できなかったゆれが彼の心の奥底でゆらめいていたのでした。観る者にとって、裁判の結末がひとつ心の琴線に触れ、心を揺らされます。時が流れ、ふたりが再会し、弟が兄に絆という橋をあらためて架けようとのぞみ、叫ぶ「兄ちゃん、うちへ帰ろうよ」にまた揺さぶられます。その声は、その想いは兄に届いたのかどうか、ふたりの間に走る道の幅ほどに近く、また遠く、そしてそこを車が往来する激しさのうちにもどかしく投げかけられました。このラストのブラックアウトが、また、その一瞬前の兄の表情が、見る者に余韻を投げ返し、一層のゆれを心にもたらして、終わりました。観終えてもなお僕の心はゆれています、映画から受けたゆれに別のゆれも混じって、ゆれています、ゆれてゆれて、ゆれながら生きていきます、これからも。

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なんちゃってアビーです

Wanyabbeykame

 カメです。

 なんちゃってアビーです。

 ワンコもニャンコもいます。

 みんなはアクオスを見ていますが、

 あたしはカメが気になります。

 だって、さっき「こんにちは!」って言ったら、

 顔と手足がどっかに消えちゃったんですもの。

 あれはどうやったの? カメさん。

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愛猫の甘えを満たす魔法の抱き方O抱っこ

Ttouch_1

Kdays_1 Lionspider_1  これらは先日、本屋で見かけた気になった本です。
 まずは『愛犬の悩みが解消する魔法のなで方Tタッチ』。さて?、Tタッチとはなんぞやとペラッとしてみると、普通のマッサージとあまり変わらないような気もします。詳しくはじっくり読んで、実際にやってみないとわかりません。ただ、このTタッチを行うことで、犬の噛みグセやら吠えグセなどいろんな悩みを改善することができるようです。元々、馬に対して行われたのが初めとのこと。馬や犬にできることを猫にできないわけがないと考えたくなりますよね。松江さん、どうかいつかTタッチの猫版も出してください。我が家の愛猫アビーにも悩みがあります。アビーに限らず、留守番猫の悩みはお留守番中の淋しさです。外出直後は僕らの姿を探して、悲しげに鳴いているかと思うと気の毒になります。もう一匹住まわせてあげればすむことなのかもしれませんが、そうすると猫同士の相性やら病気やらと人のほうが悩みをもつことになりそうです。その場合、人間にもTタッチは効くのでしょうか? いやん、恥ずかしい…。また、アビーと僕らの間の悩みは、アビーがその悩みを僕らを噛むことで訴えかけることしか知らないということと、僕らにしてみればアビーに噛まれるのは痛いということです。これもアビーが日本語を習得するよりも、僕らが猫語をわかるようになればすむことかもしれませんが、現状はどちらも難しそうです。Tタッチを行うことでコミュニケーションの助けになるのでしょうか。最後に僕ら人間の悩みは、アビーが深夜に突然、やたら部屋中を駆け巡ることです。フローリングをカリカリしつつ、ソファやらタワーやらドスンドスン飛び降りて、騒がしいのです。階下にお住まいの方、ごめんなさい。響いているのではないかと気が気ではありません。Tタッチで落ち着かせることができるでしょうか。アビーの悩みの本当のところは窺い知れませんが、家に一緒にいられるときはソファに腰掛け、お腹のところで重ねてつくる、大きなO(オー)の字の腕の中でアビーを抱っこしてあげます。悩みがどこかに吹っ飛んでしまったかのようにアビーは安らかな表情を浮かべながら、ゴロゴロ言っています。短い時間、ほんの数分のことですが…。
 アビー「あたし、抱っこされるのあんまり好きじゃないの。でも、あったかくて、包まれ、満たされる感じは悪くないと思うわ」
 それはよかった。これから寒さが増していくので風を引かないように気をつけてくださいね。O抱っこなら、いつでもしてあげますよ。

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映画『カポーティ』

Capote  トルーマン・カポーティがどんな人物だったのかはよく知りません。『ティファニーで朝食を』の原作者というのも把握していませんでした。この映画が公開されたとき、フィリップがカポーティの役作りに成功して、よく似ているという評判を聞きました。良く出来た作品という評価がある中、映画の各賞をいくつも受賞しました。その映画が日本で公開され、もうじき終わろうとしている今日、観てきました。いろんなことを知らないまま観たことで、いろんなことがわからないまま観終っていました。やっぱりまずカポーティってどんな人?ってことから始まって、あのしゃべり方はどうして?、なぜあの殺人事件に注目したのか?、なぜふたりの犯人のうち片方に肩入れしたのか? 犯人と接見したり、小説を書いていくうちにカポーティ自身、精神的に不安定になり、変調していくのですが、その経緯が上映時間という限りある中で描き切るには足りなかったようです。彼が時代に踊らされていたのか、彼が時代を踊らせていたのか。彼の作品や、彼に関する評伝を読めば、多少明らかになるところはあるのかもしれません。実際の所はカポーティ自身にしか、いや、彼自身にもわからなかったことなのでしょう。しかし、一人の作家がその作品以後、一つも著書を書き切ることができなくさせてしまった体験というものには凄まじい何かがあったことには違いないでしょう。今の歳になってようやく『夜の樹』を読んだ僕は映画を観た今、『冷血』を読んでみたくなりました。この作品を書き上げ、絶賛を浴びたカポーティは彼自身の切なる祈りを叶えることができたのでしょうか。

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“っ”ていうかお金にまつわるお話

4_1  『小さい つ が消えた日』の中で、“あ”から“ん”までの五十音の中で誰が一番偉いのかを言い争う場面があります。文字の世界においてもお金でものをいわそうとするものもいるんですね。“い”さん(遺産)は経験もお金ももっています。“し”さん(資産)も当然お金をもっています。中には、“は”さん(破産)のようなヒト(文字)もいます。こうなってしまえば、一家“り”さん(離散)も迫られることになりかねず、“ひ”さん(悲惨)ですね。
 彼らの他にもまだいそうです、少し見ていきましょう。たとえば、“お”さん(お産)にはお金がかかります。“た”さん(多産)ならなおのことです。少子化とはいえ、“い”さん(勇ん)で子供をもうけるとお金が“し”さん(四散)、“む”さん(霧散)して苦労するかもしれません。そうならないようにそれぞれの家族がきちんと暮らしていけるように、持ち得る“ざい”さん(財産)を元に(試算)してみることが必要だといえるでしょう。かといって、“む”さん(無産)というわけにもいきません。子はかすがい、そうでなければ、人の世、よう“な”(為)さんではありませんか。いまどき、“じ”さん(持参)金のある結婚なんてありゃしません。それを当てにする“だ”さん(打算)があるのも嫌なものです。「いやぁ、それは“ご”さん(誤算)だったなぁ」なんて言ってみても始まりません。誰もそんな“う”さん(胡散)臭い人とは結婚はしませんよね。もしも相手がそんな人だったなら、いっそ“き”さん(帰参)してしまえばいいというものです。それより意外に、お“じい”(爺)さんや“ば”さま(婆様)のほうがお金をもっているということがあるかもしれません。なぜそうかといえば、「ご先祖様をとけない」と“にっ”さん(日参)、“ぼ”さん(墓参)して、供養しているからこそ、“かみ”(神)様からご利益をいただいからというものです。その昔、天照大神の時代からの真理です。戦国時代にあっては、“こ”さん(古参)も“ち”さん(遅参)しては出世はおぼつかなかったということを“に”さん(二三)聞いたことがあります。
 また、物見“ゆ”さん(遊山)で“ぷ”さん(釜山)に旅行するのにもお金がかかります。林家“ぺー”さん、“ぱー”子さんがお金をもっているかは知りませんが、不二家の“ペコ”ちゃんは“たく”さん(沢山)稼いだでしょうから、そうした旅費の“よ”さん(予算)くらいもっているでしょう。“ど”さん(土産)だって“たく”さん買ってこられるでしょう。たとえわずかばかりのお金であっても、ちょちょちょいと“か”さん(加算)して増えてくれれば、“しん”さん(辛酸)を舐めることもないのかもしれませんが、世の中そうはうまくいきません。何も(胃酸)を吐くほど根を詰めて働く必要はないでしょうが、お金の有難さを心得て、くれぐれも“ず”さん(杜撰)な管理はしないことです。そう言えば、我が家の家計簿はどうなっているのでしょうか、“おく”(奥)様?

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本『小さい つ が消えた日』

3 (やられた!)
 日本語の妙をドイツ生まれの人に絶妙に物語られました。店頭で見かけたとき、(小さな つ てなんだ?)て手に取らされた感じがしました。ペラペラすると、日本語の五十音にまつわる話だとわかります。(これは面白そうそうだ)と手に入れることにしました。普段使い慣れているはずの“あいうえお”たちが新鮮に映ります。小さな“つ”、そう、“っ”がとてもいじらしいのです、かわいいのです。その他の“五十音”のキャラもほのぼのとしていて、かわいい。
 “てん”くんと“てん”ちゃんは双子。誰のことかというと、濁点のこと。“くん”と“ちゃん”からすると、男の子と女の子と思えますよね。誰にも見分けることができない二人だというけど、いわゆる二卵性双生児だし、男と女なら見分けられそうなものですが…。
 “こ”さんの孫が“た”と“に”。あぁ、なるほど、なるほど、孫だけに似ています。そうくるなら、こさん(小さん)の孫はかろく(花緑)だ。彼はピアノもこなす芸達者だ。ピアノを弾き語りながら、小話もする
 さて、本編のお話はといえば、“っ”が他の五十音たちから「音がないなら、いらないんじゃないの」と心ない言葉に傷ついて五十音村から出ていき、村へ帰るまでのことが描かれています。でも、“っ”がいないと日本語はとんでもないことになる、大切な仲間なんだと気づくことになります。たとえば、くきょう(屈強)な若者がくきょう(苦境)な若者になるし、“やったらやり返す”はずが“やたらやり返す”ことになり、逆に問題が起きてくるし。また、“いらない服をき(切)ていた”つもりが“いらない服をき(着)ていた”りします。“っ”がいないことで意味合いが別なものに変わることになり、日本語は混乱し、意味が通じなくなるのです。こうしたことを含めて、このお話は“っ”がいないことを通して、政治家を風刺したり、日本語の乱れを指摘したり、英語・英会話より国語教育の強化の必要性を匂わせたり、友情や自然、また観察力などの大切さを改めて感じさせてくれたりします。わかりやすい文章の中にいろんな深みを味わえます。本屋で見かけたら、手に取り、読んでみてください。そしてこの本に出てくる五十音のキャラ以外の文字について、その文字なりのキャラを考えてみてください。最後に、僕の個人的な考えでは、あと一つ二つ“根こ”が“猫”になるなら、それはそれでいいかなと思います。
 ※なるべく小さな“つ”を使わないように気を使いました。

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アビー、猫砂占いを開発中

Unicha  最近、妻がアビーのトイレの猫砂を変えました。【ユニチャーム:1週間消臭・抗菌デオトイレ(取りかえ専用)飛び散らない緑茶・消臭サンド】というものです。変えた当初、アビーは匂いが気になったのか、見慣れない緑の砂になじめなかったのか、すぐには使わなかったようです。これまでのタイプのものだと1週間ごとに変えるたび、取り替えている最中にでも入ろうとすることもありました。「それなのに・・・」ということで妻は心配していました。その話を聞いた頃には少し時間が経っていて、アビーも慣れてきたようで、おしっこだけはするようになっていました。「でも、おっきいのをしない」とまだ妻は心配顔でした。しばらく様子を見ていたら、ちゃんとするようになりました。妻がアビーを接する機会が少ないので、タイミングが悪かっただけのようです。実際よく見てみると、以前のものとは勝手が違うようです。今回の紙素材タイプは軽いことで掻きやすいらしく、また、形状が変形のため、掻いたら掻いただけ積み上がっていくようです。それはそれは見事に積み上がります。まさに“その部分”を中心にこんもりです。トイレにたっぷり入れてあるにもかかわらず、用足しに気がつくのが遅れたり、処理が遅れたりすると、トイレの底の一部分が見えるほどに掻き、積み上げていきます。全部隠し切ってしまうときもあり、てっぺんに“もの”がちょこんと顔を出しているときもあり、その山の位置や形状も様々です。その微妙な違いが何か意味をもっているかのように見えます、そう、コーヒー占いのように。
 僕   「アビー、全部、うまく隠したねぇ」
 アビー「今夜は元気モリモリで過ごせるという徴だニャ」
 僕   「ここの部分、きれいに底が見えてるねぇ」
 アビー「この先、見通しがいいという徴だニャ」
 僕   「でも、砂をトイレの外に飛ばすのは困るなぁ」
 アビー「それは“飛躍”を意味しているのニャ」
 僕   「そうなんだぁ」
 アビー「きっといい事が起きますニャ」

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日本国憲法の窮状と介錯

選ぶべきか、選ばざるべきか、はたまた選ぶべきか、それが問題だ ~ by ルーレット・ロシアン

 現日本国総理大臣は日本国憲法第9条を改めたいと思っている。それに賛成する人もいるし、反対する人もいる。間接的にとはいえ、日本国民が選んだ議員が選んだ総理がそのように考えているということ。国民からの間接的な人気がそう後押ししてしまったのだ。そのような考えをもっていることを知ってか知らずかはさておき選んでしまったことにはかわりがない。そのような考えをもっていると知っていたら、選ばなかったのに…と思ってみても仕方がない。いっそのことアメリカ大統領を選ぶように、直接的にできたなら悔やみ甲斐もあろうか。そもそも憲法9条はどうして問題になるのか。平和を希求するといういいことをいっているような気もするし、戦力を保有していいのやら悪いのやらわからない。いろんな解釈が生まれてしまう文言だから問題なのかもしれない。ただ、解釈というのはいつでもどこでもつきまとうもの。たとえ9条が平和の希求と戦力の保有についてより明瞭な文言に改められたとしてもまたいろんな解釈が生まれるのは必然的だ。総理がどのように改めたいと思っているかはわからないけれど、現大臣が、日本国が核の保有について議論する必要があることを公の場で声高に発言するのは感心しない。憲法9条を改める改めないを別にして、変わりゆく、また変わってきた時代の中、憲法が少しも改正されることなく過ごしてきたことに日本国憲法と日本国民の、精神的な窮状が感じられる。そろそろ日本国憲法自身、切腹に臨み、日本国民自身の介錯によって、その成り立ちと存在意義の苦しみから解放され、新たに生まれかわってもよい頃といえるのかもしれない。

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『最悪の事故』は『なぜ』

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今日、ちょっと気になった本

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やっぱり猫が変

恋を変 描くを猫くと書きそびる僕はやっぱり猫に変する
                   詠み人:迷悟(まいご)

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それはまた別のMNP

 MNP(Mobile Number Portability)と言えば、電話会社を変えても電話番号自体を変えずに使っていけるという、新しく始まった制度のこと。いきなりMNPと言われても、このことに興味をもっていない人を除けば、何のことやらわからないっていう人も意外に多いかもしれません。これと同様に門外漢には一見、一聞ではわからない略語が多いものです。CEOっていうのもそうでしょう。勤めている人、特に外資系なら、この意味を知っている人も多いでしょう。CEO、つまりそれはChief Executive Officer(最高経営責任者)の略で、会社で一番偉い人のことを指しています(中には『偉そうなこと』を言っているだけの人もいるが…)。この C※O(Chief ※ Officer)という略語は、この※の部分をAから順にZまで入れ替えていくと、実際にある肩書きが結構当てはまっていくらしいです。今回は、この感じを MNP でちょっと遊んでみようと思います。

・落ち着きがない、抱っこされるのが嫌い、あるいはキャリーが嫌いな猫は、Mobile Nyanko Portability(動きやすい猫の可搬性)が低いといえます。またこのような猫はとてもよく動き回って、
写真を取ろうと思っても、Mobile Nyanko Photography(動きやすい猫の写真撮影術)において、技術と辛抱強さを兼ね備えていないとシャッターチャンスを逃しやすいものです。

・愛くるしい表情やしぐさをする猫のことを猫好きの方なら触ってみたいと思う人が多いでしょう。このMobile Nyanko Palpability(表情豊かな猫を手で触れられそうなこと)は、猫によってかなり違いがあります。一般的にノラ猫は近づくことがとても難しいものがいる反面、人から食事を施されているものはなでることや抱っこすることができます。ショップにいる猫は普段はガラスケースの向こう側にいますが、お気に入りを見つけ、店員さんに頼めば、抱っこさせてくれます。抱っこしたら、もう家族が増えることを決心するに至るのはほぼ間違いありません。終生、面倒をみてあげましょう。

・精神的に能動的な猫は、その警戒心と強さとは裏腹に、ココロとカラダを開くことにも長けているようで、
Mobile Nyanko Pliability(能動的な猫の柔軟性)が高く、柔軟体操やヨガが得意です。丸まったり、よじれたり、相当すごい格好をしているときがあります。また、そうした猫の中は、Mobile Nyanko Pliability(能動的な猫の柔順性)も高く、違った環境へのPliabilty(適応性)も高いものもいます。

 我が家のアビーは、
Mobile Nyanko Punctuality(気まぐれな猫の几帳面さ)を発揮して、朝の5時という時間を厳守(Punctuality)して、僕らを起こしにかかります。僕らがあまりに起き出してこないと、布団からはみ出している足や、布団をかぶっている顔をもぐりこんできてまで噛みつくというMobile Nyanko Puerility(気まぐれな猫の幼稚な行為)で実力行使してきます。

 ちなみにベルリンさんちのリンちゃんに代表されるように、自由に歩ける、移り気で、表情豊かな猫であっても、基本的にはMobile Nyanko Pusillanimity(怖がり、気が小さい)度が高いようで、じっと様子を窺ったり、クンクン匂いを嗅いで確かめたりする習性をもっているようです。

 いやぁ、猫ってホントっにいいものですね。可愛いですねぇ、キュートですねぇ。近所のネコはタマちゃんです、私、よく、このネコ知りません。それではまたお目にかかりましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…

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のだめカンタービレ:ハーモニー編

Nodame 僕の妻は無類のコミック好きだ。数ある中には『のだめカンタービレ』も入っている。最近このドラマ版を放映している。もちろんチェックしているし、DVDレコーダーでの留守録も欠かせない。朝7時に出勤しては翌1時に帰宅する日々では妻が好きなテレビをまともに見る時間すら限られてしまう。見たい番組は取って取って取りまくっておくしかない。録画済のものは優に100時間を越えている。それを土日祭日を利用して、少しずつ見ては消し、消しては見ている。ただ、映像というものは睡魔という副産物を生じさせることがたびたびあり、日頃の疲れが溜まっている中、いかに面白い内容であろうと、あっという間に夢心地の世界に画面が切り替えられてしまうことが起きる。激務を重ねる妻は言うまでもなく、この切り替えが頻繁に起きる。さっきまでゲラゲラ笑っていたのが、いつの間にか静かになっている。番組は終わりきっていないし、内容がおもしろおかしいことには変わりがないのだけれど、妻の反応がすっかり変わってしまう。テレビのボリュームとは裏腹に室内に静けさが漂い始めた頃には妻は眠気に抗し切れず、ソファから床へとテレビを見る態勢をシフトして、あまり時間を空けずして、寝入ってしまうのだ。そのような状態になったら僕はスイッチを消し、また別の静けさを室内に張り巡らせる。その静けさは眠りを一層深めることになる。そうこうするうち、時は1時間、2時間とあっという間に過ぎ去っていく。買い物に行っていてもおかしくない時間帯、料理をつくり出していてもおかしくない時間、洗濯をたたんでいてもおかしくない時間帯へと時は突き進んでいく。そうした時間を別の過ごし方で送っている僕は、休日にビデオを見ると称して、寝だめして疲れを取ろうとする妻の姿を見るに見かねて、洗濯をたたんだり、買い物に行ったり、時には掃除したり、かなり稀な時には料理をつくったりする。この際、僕が料理の腕をもっと磨き、会社員から主夫に転向したほうがいいのかもしれない、『のだめ』の千秋がピアニストから指揮者へ転向したように。そんなことを頭の片隅に浮かべる僕のすぐそばに、日頃のくたびれた心身を寝だめして、鋭気を取り戻そうとしている妻が寝っ転がっている。僕と妻の、このようなコントラストがある意味いいハーモニーをかもし出しているのが我が家という名のオーケストラなのかもしれない。今日から僕は妻のことを“寝だめ”と呼ぶことにしよう。
     Rhyme & rudyn 共著『寝だめ・くったびーれ』第1話おわり
                            つづく、かもしれない

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アビーをパブロフの猫にする

1050552_img_1 家族の一員に動物を迎えると、家に帰るのが楽しみになります。爬虫類や金魚や鳥はどうかは知りませんが、犬や猫は帰宅すると出迎えてくれますよね。これが実に楽しい。特に我が家のように日中、留守番を頼んでいるような場合、その出迎えたるや喜びいさんというか寂しさあまってというかかなり熱の入ったものになります。アビーも一昔前は玄関の鍵を開ける音を聞きつけると、一目散に駆け寄ってきたものです。しかし最近はすっかり“留守番の鉄人”になり、どこでどう熟睡していて、やむを得ず起きたかのように左右の後ろ足から背中にかけて、歩きながら交互に伸びをしながら、もったらもったらやってきてはドアのスリットまでやってきます。それはそれで可愛いのですが、僕としては以前のようにタッタッタッタッと来てほしいのです。(待ちくたびれたニャぁ)というような態度で出迎えてほしくないのです。そこで僕はこの頃、帰ってきたことをインターホンで知らせることにしました。まずはマンションに着いて、部屋番号を押して、2度3度鳴らします。時にはこのあと携帯電話で自宅に電話を入れることもあります。次いで家の前に着いてまたインターホンを鳴らします。そうしてドアを開けるとアビーはもうスリットの所で“お帰りポーズ”で待ち構えているのです。目をまんまるにして。(さっきの音はなんだったの?)というように目が泳いでいるような気もします。このようなことを繰り返しているうちに音に対するビックリ表情は少なくなり、嬉々とした表情になってきています。これらの音が帰ってきた知らせだということがわかり始めているようです。ゆくゆくは留守中に宅配便が着た時に受領印を押して、荷物を受け取れるようにしてみたいものです。
三毛猫急便スタッフ「アビー様、捺印が肉球だと困るんですが…」
        アビー「けっこうイケてると思うよ…」
三毛猫急便スタッフ「そういう問題ではありません」
いえいえ、そもそもこのようなこと、アビーにはとても無理ですから…はいっ。

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喉カラカラ、手に汗、指に…

Bokuteni

 妻が〈みんなのテニス〉を買ってきました。「前から気になっていたんだ」と。かくゆう僕も気になっていたのです、普段、ゲームをしない、ゲーム音痴のこの僕が。CMの映像がいかにも(楽しそう!)と思えたのです。買ってきた日、夕食後早速、やってみることに。かなりやる気満々だった僕がまずはチャレンジ。案の定、音痴振りを発揮し、難しいと唸ってしまいました。でもそれはそれ、次第に慣れてくると何とかなってくるもの。妻も練習するも、そこそこにして、ふたりで試合をしてみることに。あっさりゲーマーの妻にしてやられました。コントローラーの左と右を思うように操作し切れないのです。やろうと思っていることと違う操作へと指が動いてしまいます。相手のオープンスペースである右側へ打とうと思っているのに、左の親指は動かしすい左へと操作バーを倒してしまいます。相手のいるところにボールを返すことになり、チャンスボールとなって、強いスマッシュが返ってきて、ポイントを取られてしまいます。僕はもっとうまくなりたいと思い、妻の帰りを待ちながら、練習に励んでいます。左手のスティック操作がどうもうまくいきません。むきになって試合をしているうちに喉はカラカラになってきますし、手に汗もかいてきます。遂には(ずりっ!)と嫌な感触とともに左の親指には水マメができました。ずりむけそうです。何もそんなに力を込めて操作しなくてよさそうなものを、思うようにできないまま知らず知らず強引に扱ってしまっているようです。対戦相手には勝つこともありますが、大体が辛勝です。ちょ、ちょ、ちょいと楽勝できるように練習を積んでいこうと思っています。

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