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2006年10月

顔に泥を塗れない

Kametofukurou70_1

(あっ、カメだ)と思わず欲しくなったけれど、彼らに泥を擦りつけることは僕にはできない。

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家政夫は見た!

 掃除、洗濯をする機会の多い僕が洗いあがった洗濯物をたたんでいる今、気づいたことがある。
(妻の、勤め着向けのドレス・シャツがMサイズよりLのほうが多くなってきている)と。

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予想外割

「いやぁ、こんなに殺到するとは思わなかったなぁ。予想外、わりぃ、わりぃ」と謝罪した。

              ソフト・パンク株式会社 社長:損 謝誤

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『本の読み方』を読む

Slowreading 何をいまさらという思いと、だからこそ今という思いとが僕にこの本を手に取らせたのかもしれない。つい最近、本を爆発的に購入しており、まだ手をつけていない本棚の本の上や横に、それはそれは置き切れないほどに本が溢れてしまっているこのときに『本の読み方』もないだろうけれど、無性に読んでみたくなった。僕だって実際は少しずつ読んでいることは読んでいる。ただ、読後感を綴るに至るほど面白みを感じるものに出会っていないのだろう。本屋でこの本を見かけたとき、本ってなんだろう、その読み方ってなんだろう、って思った。その昔、僕の本の買い方は“著者”買いだった。夏目漱石、太宰治、大薮春彦、村上春樹、藤堂志津子、アガサ・クリスティ、ポール・オースター、渡部昇一など気に入った著者の作品を片っ端から読み耽った。これぞ、というものについてはひと通りかじってみたくなるのが僕の性質だ。今はそうしたことはあまりなくなってきたが、このことが逆に大量の蔵書を抱えることにつながったのだろう。面白そうな本は山ほどある。著者にこだわっていては偏りがでる。それに本は買っておかないとなくなってしまう。本当だ。本がなくならないのは国会図書館くらいなもので、一般の本屋においては、買おう、読もうと思った時に店頭にないということもしばしば起きるのだ。その量たるや、年々加速度的に増してきて当の昔に読むペースを上回り、買っては本棚で寝かせて熟成させて、時にはいつしか読みたいと思っていたときの気持ちや関心が腐ってしまって、結局読まずに捨ててしまうという本もでてくる始末。さてさてこれらの本をどう読んでいったらいいのだろう、というときにこのスロー・リーディングを薦める本と出会うことになった。これだけ大量の本を抱えると、早くさっさと読んでは捨て、捨てては読むことを進めればいいという思いもあるのだが、そう簡単にことは運ばないものである。世に速読、速聴などと速さに主点を置いたものがあるし、気になったこともあるが、そうじゃないんだという思いもある。ひとつひとつていねいにじっくりと読みたいのだ。そうすることが本の本分、読書の本領ではないかと思うのだ。速く読んで、内容だけパッと掴めばいいというのには同意しかねる。スピードや数値を追い求めつづけている時代だが、内容が伴っていなければ、それらも薄っぺらなものと変わりがない。中身こそ大切なのだ。そこから生まれるうまみこそが成長の糧となるのだ。急ぐことはない。これからも僕は本を買いつづける。そして少しずつ、ゆっくりスローに読んでいこう。

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読書《ケイゾク》 あのぉ、犯人わかっちゃったんですけどぉ

 図書館で予約までして借りた『停まった足音』を2週間で100ページほどしか読みきれず、貸出期間が切れたことで返却しました。面白い雰囲気があるのですが、ペースが上がらず遂に断念。ページを早送りして、結末をさらっと流し読みしちゃいました。(あらぁ、この人が犯人なのかぁ)と先走っちゃいました。しかしこの人が犯人だとすると、とても身近なところにいたのだなぁ。事故あるいは自殺の線で落ち着きそうな、ある女性の死に、おそらく初めから事件性が高いと思っていたのは、【相棒】の杉下右京の師匠ではないかと思えるような、ロンドン警視庁のポインター氏。ちょっとした疑わしいことをひとつひとつ検証しながら事件を解決に結び付けていく流れのようです。僕は「あのぉ、犯人わかっちゃったんですけどぉ」、いつかまたそこまでに至る経緯を読んでみたいと思います。
                        《ツヅク》 停まらない書欲

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〈いつ読書する気〉

 僕はストレスやフラストレーションが溜まってくると、本を買いまくるか、甘いものを食べ過ぎるかのどちらかに向かいます。今回は前者に。

くまざわ書店で買ったもの
 『タオ 老子』 ちくま文庫
 『影の現象学』 講談社学術文庫
 『簡素な生活』 講談社学術文庫
 『本を読む本』 講談社学術文庫
 『利休椿』 小学館文庫
 『天上の花の雨』 小学館文庫
 『本の読み方 スロー・リーディングの実践』 PHP新書
 『暮らしのさじ加減 ていねいでゆっくりな自分にちょうどいい生活』 リヨン社
 『アイデア ハック! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣』 東洋経済
 『どうぶつたちに、ありがとう』 日本出版社

ブック・オフで買ったもの
 『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』 集英社
 『体の贈り物』 マガジンハウス
 『ゾマーさんのこと』 文藝春秋
 『列車に乗った男』 アーティストハウス

妻から譲り受けたもの
 『毎日楽ちん ナチュラル家事』 光文社
 『がんから始まる』 文春文庫
 『イン・ザ・プール』 文春文庫
 『ヒトのオスは飼わないの?』 文春文庫
 『ネコの気持ちを聞いてごらん』 幻冬舎文庫
 『新・世界の七不思議』 創元推理文庫
 『孔雀狂想曲』 集英社文庫
 『四日間の奇跡』 宝島社文庫
 『機長が語るヒューマン・エラーの真実』 ソフトバンク新書
 『下流社会 新たな階層集団の出現』 光文社新書
 『猫本』 講談社(コミック)
 『フォゲットミーナット 1』 講談社(コミック)

 さて、実際いつこれらの本を読むことができるでしょう。神はもちろん、本人すらわかりません。 

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アビーが僕らに平和をもたらす

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アビー「この女の人、何を祈ってるのかニャ?」
僕   「世界平和だと思うよ」
アビー「彼女の足元にいるのは誰?」
僕   「バリ猫だよ。アビーと同じでソファ好きのようだし、可愛いだろ?」
アビー「あたしほどじゃないわね」
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猫のアビーと僕の休日スタイル

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 僕   「この映画、面白そうだね」
 アビー「そうかニャ。さっきから見てても、魚も鳥もカリカリも出てこないよ」
 僕   「そういうのが出ていたら、見るの?」
 アビー「見ニャい」
 僕   「だろうと思った」

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映画『レオポルド・ブルームへの手紙』

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 そう言えば、『いつか読書する日』の中でも主人公は手紙を書いていた。正確には《未来の私からの手紙》という作文だ。〈あなたは15歳だった時のことを覚えていますか?〉。僕は覚えている、すべてではなく、ほんの少し。勉強をたくさんし、クラスメイトとはしゃいでいた僕のことを…。
 映画『レオポルド・ブルームへの手紙』の中で主人公スティーヴンはレオポルド・ブルーム少年から手紙を受け取る。〈囚人さんへ 僕はレオポルド・ブルーム。僕の人生は生まれる前から始まっていた〉。僕も同じだ、そして続いている、最後まででなく、ほんの途中まで。
 少年レオは夫を信じきることができずにいた妻の衝動的な不貞関係から生まれた。母は罪の意識からかレオを疎んじ、十分な愛を与えようとしない。囚人スティーヴンへの手紙の中でそう綴っている。そうすることで幼い心に負った傷を癒そうとするかのように。その手紙にレオが自分と同じような境遇にあり、自分と同じような罪深い運命を辿ることがないようにレオを助けたいと思っていた。スティーヴン自身の、母に暴力を奮う父を殴り殺してしまった罪をレオポルドが起こす前に…。物語は静かに進む。静かに…、静かに…。
 やがて最後に、そう、最後にスティーヴンはレオポルド少年に出会い、ひとつになった。まさにひとつに…。「ここからが僕の物語。誰にも物語はある。僕も人と変わらない。…だから僕の物語を語ろう」。
 映画を観終わった僕も語ろう、生まれる前から始まっていた僕の人生の、ほんの途中の今とこれからつづく物語を。〈あなたは幸せに暮らしていますか? あくせくと働いている僕があなたと出会うまでに過ごした人生は幸せだったと思いますか?〉―僕はこうして《未来の私への手紙》をしたため始める。

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マッキー

 槇原敬之  赤いマッキー で取り消し線を入れたい。

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『5×2』=10とは限らない

52 夫婦喧嘩は犬も食わないというが、猫なら見向きもしないだろう。

 映画『ふたりの5つの分かれ路』を観た。ある夫婦の離婚から出会いまで時間を遡って、5つの季節で物語は展開される。離婚調停―淡々と手続きは進められる。(なぜそうなるに至ったのか)を投げかけられ、引き込まれていく。話が進むに連れて、といってもこの話の場合、話は戻っていくのだが、そうなるに至った“分け”がそこかしこになんとなく漂っているのが分かる。
 男「君の勝ちだ」
 女「勝ち負けじゃない。終わったのよ」
 そう、終わっただけなのだ。ある不協和音が結婚というオーケストラの演奏を台無しにしかねることがあるということが分かる、本来は楽しいはずの特別なディナー。このあと離婚へと続く。喜ばしい出産に際し、それぞれの心の中に起きた、子をもつことでの複雑な気持ち・揺れ。祝福された結婚の宴の陰でその終末をお互いの中に感じさせる行動と気持ちのズレや陰り。そもそもその出会いからして不実な匂いを匂わせているふたり。なにがどう離婚へと結びついていくかという“分け”のは、結婚の数以上に、この二人が巡った季節の数以上にあるのだと思う。僕ら夫婦で挙げるならば、その声が大きかろうが小さかろうが、僕が「おはよう」と言ったのに挨拶が返されないといったようなことから、“分け”の一つが生まれるのだろう。なぜ? 寝起きでまだ目が覚めていないから? 頭が働いていないから? もしかしてあんな大きな声が聞こえなかったの? あるいはやっぱり無視したの? ようやく朝も活動的な時間になった頃、妻もシャワーを浴びてシャキッとした頃、妻「おはよう」と挨拶をしてきた。僕はいつになく無下に「さっき、言ったよ」と言い捨てた。身支度を整え、妻が出勤する。
 妻「行ってきます」
 僕「イッテラッシャイ」
 トーンを抑えつつ挨拶を返す。イッテラッシャイ - 「おはよう」と“言ってらっしゃい” 勤めに“行ってらっしゃい”。「行ってらっしゃい」―妻が帰ってくるのはまた明日。連日、午前様の妻には疲れが溜まっているのだろうか。きっとそうだろう。先日もうつ病に関する番組を流し見ながら妻に「燃え尽きないでね」と声をかけたら、曖昧に微笑んでいたっけ。
 …?…「ガシャッ!」
 アビー (キョトン…)
 僕   「あっ! あ~あ…」
 アビーが窓辺に置いていたサボテンを落とした。いつの頃からか元気がなくなっていたサボテンだったが、このようなかたちで終わるとは思いもしなかったろう。「アビー、ダメじゃん!」と言ってもつぶらな瞳にビックリマークを浮かべて、驚いているだけ。本当だ、夫婦喧嘩に猫は見向きもしない。「奥様、また明日、会いましょう」。今日も、アビーと一緒の長い休日が始まった。

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恋と人生は階段のようなもの…

Oldisnew 「恋は遠い日の花火ではない
 この耳に残るフレーズがよく流れていた、古き良き時代を思い出す。本当に恋は遠い日の花火では…ないのかもしれない。
 これはまた別の話、である。40年近く前に火が点った線香花火が40年近くきらめきつづけて、最後の一瞬に激しく、切なく、燃え盛って散った、そんな花火のような恋と人生の話だ。映画『いつか読書する日』を観た。中学の頃、マッチの火が線香花火に移された瞬間のように熱く焦がれ、それでいて静かな恋が芽生えた。その後、ゆえあって火が消えてしまったかのようになっていた恋の花火は実は火が尽きることなく、静かに燃えつづけていた。そう、40年近くも燃えつづけていた。そしてゆえあって、ふたたび火が燃え盛っていった。まるで線香花火の最後の瞬間のように。それはまた恋の終わりを告げる徴でもあった。思い合った少年少女は、一方は妻とともに平凡な暮らしをし、一方は牛乳配達やレジ係をしながら、これまた平凡な暮らしを続けていた。そんな二人は同じ町で、顔を合わせることもある近くに住んでいるにもかかわらず、お互いに熱い想いを封印させたまま暮らしてきた。ある時、男の妻が亡くなってから、その妻の意志でもあるのでだが、急速にふたりは近づき、ギクシャクとしていたわだかまりを解き放ち、過ぎ去った時間を取り戻すかのように恋を愛に昇華させ、深めようとした。しかしその矢先に男はあっけなく、満たされた笑顔を残して、逝ってしまった。女の顔と心は凍りつく。線香花火は燃え尽きてしまった、熱く静かな恋は終わってしまったのだった。それでも女の人生はまだ続く。これからだった恋のように、それからも人生は続く。女はこれまで通りに坂道の多い町を牛乳を配って回りつづけていく。坂や階段は登っては下り、下っては登る、それが尽きることはない。人生のようなものかもしれない。そして時にはわずかな踊場や平地で立ち止まり、息を整え、そこから見える風景を見、風や光を感じて、エネルギーにかえていく。そこからまた歩き出すために。女もまた傾斜地の途中で振り返り見た山間の風景と自然から新たな力がもたらされ、続く人生を歩んでいく気持ちを後押しされたかのように微笑んだ。その笑顔が印象的だった。恋と人生は登るも下るも歩みつづけていくべき階段のようなものかもしれない。

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おっとっとまんに足を投げ出す秋の夜長

Ottotto この秋は好きなドラマが始まるは、それらの録画は溜まるは、VHSビデオを処分のため古い作品を見始めるは、本を買い貯めるは、読み貯めるはで、相変わらず毎日を流されつづけております。いよいよDVDレコーダーが推奨される適度な録画時間を上回り、録画自体に影響が出始めそうになったので、読書を後回しに、取りだめしたものをこまめに観る必要が出てきました。そこで、バランスボールのオットマンに足を投げ出し、片っ端からやっつけることにしました。その中の一つが『ライブラリアン 伝説の秘宝』。海外ドラマERのカーター先生ことノア・ワイリーが主演という一点に注目してのこと。『インディ・ジョーンズ』の出涸らし版といった感じで、すべての面でテイストが薄まっていて、それはそれでお気軽に楽しめるコミック・アドベンチャーでした。ノア・ワイリーやインディ・ジョーンズのファンだったら見ておいてもいいかもしれません。
Noah Sonya  ←カーター先生の相棒ニコール役のソーニャ・ヴァルゲルを『ターミネーター』のリンダ・ハミルトンがダイエットに成功した姿だと思い込んで見ていました。全然違った。CSI:NYでラボ職員としてもちょいと出てくる人らしい。

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猫のアビー、また一回り大きくなったぁ?

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「アビーさん、ずり落ちていませんか?」


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「あんた、わかってニャい。このぶらぶら感がいいのよ」


Ab232 「それにこのしっぽのフリフリ感もね…」
「そ、そうですか。でも、落ちないでくださいね、
ソファに座っている僕の頭の上に…」

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「決して…そう、決して」

Horatio3  あのホレイショ・ケインが戻ってまいりました。彼はとても格好いいのです。一挙手一投足、そして一発声! 復活の初回は、CSI:マイアミ4『初回スペシャル~ホレイショ名ゼリフ』も発表されました。その中の第2位
 「我々CSIは決して…そう、決してあきらめない」
        ~CSI:マイアミ2 第1話『南米の極悪人』~
 これは僕の中ではナンバー1ですね。もう、はまります!
 「僕ら夫婦は決して…そう、決してCSIを見逃さない!」

 
初回の『新たなる闘い』でふと?思ったのは、ホレイショの知っているニューヨークの知り合いとは具体的には誰を指して、告げられたのだろうか? それにラストに教会のドア越しに監察官ステットラーがホレイショの様子を窺っているのはなにゆえ?

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猫の、猫による、猫のためのソファ

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 「あたしの人間たちは、あたしがソファを『大きな爪研ぎ』にするって、心配していたけど、ソファってものはこうしてのびのび眠るものよ」

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My読書ノート(小学館文庫)

Mybooksnote  あなたの読んだ本が、思い出として形に残る。読書好きにとって、読んだ本の軌跡は歩んできた道そのもの。だが残念ながら、感動は記憶とともに薄れていく。そこでこの「My読書ノート』に、書名、著者 名、購入日、読了場所等を記入し、心に残ったシーンや感想を書き込んでいけば……、思い出はあなたの人生を豊かにするはず。小学生から大人まで、だれでも 手に取りやすい文庫サイズで、使いやすさ抜群。毎年積み重ねていけば貴重な記録に。

 これを参考にしよう!

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アイ・アミ・バイ・ス

Miami1 Miami2《マイ網buy’s》
 いよいよ海外ドラマ【CSI:マイアミ 4】が始まった。これまた録画したまま、まだ見るに至っていない。そんな折に本屋を見て回ると、自然と〈マイアミ〉の文字に引き寄せられる。おまけに法廷ものとなれば、速攻で買いそうになるけれど、今は読む本も、見るビデオも、エベレスト級の山ほどにあるのでグッと堪える。今、買っても読むのはいつになるかわからない。本屋の棚で熟成させておくほうが味わい深くなるかもしれない。と言いつつ、堪え性のない僕は同じ著者のこれ以前の作を図書館で検索してみる。
(あった!)
Miami3 Miami4  今、読んでいる本を読み終え、折をみて、こちらをまずは借りてみることにしよう。
 僕が思うに、この著者もきっと【CSI:マイアミ】シリーズのファンに違いない。

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ロマンポランスキー’65年もの『反撥』

Hanpatsu1 そろそろボジョレー・ヌーボーの話題が出始めているこの頃、ワインの65年ものはどんな出来だったんだろうと思いつつ、録画しておいた『反撥』を観る。テレビガイドをチェックしているうちに、60年代につくられたサスペンス物を取り上げて、放映することを知り、その頃のサイコ・スリラーというのはどんなものだったんだろうと興味が湧き、録画したのだった。 ロマンポランスキーの名前は知っていたけれど、実際に作品を観たのはこれが初めてかもしれない。オープニングからかなり印象に残る。カトリーヌ・ドヌーヴの瞳の大写しに原タイトル『REPULSION』が表れる。このあとも随所にカメラワークの面白いカットがいくつも出てくる。もちろん古い映画なので、映し出される景色が時代を感じさせる懐かしいもので、街並み、服装、風俗など一様に興味深く観ることができた。さて、物語は静かに展開する。中盤にようやく事が起こったあとも静かに、静かに展開していく。その静けさが観る者により恐怖感を植え付けていくのだろう。若く、美しい一人の女性が精神的に何らかの行き詰まりの果てに、壊れていく。その要因が何かというのははっきりとは描かれていない。内向的な気質、異性への嫌悪、潔癖症の傾向、コミュニケーション不全…ドヌーヴはその美貌を終始、無表情で貫き、冷たい表情の裏に潜む暗き心の闇を見事に表現している。また、壊れていく様が象徴的な映像とともに映し出される。道路や壁に走る裂け目、交通事故を尻目に無関心に通り過ぎていく姿、ふいに鳴る電話の呼び出し音、玄関のベル、ピサの斜塔の絵葉書。精神的に闇へと傾いてゆき、遂には人を殺めてしまう。その行いは病んだ心の発露だったのか、彼女の最後のSOSだったのか。古い作品とはいえ、描かれる精神的な闇については現代に相通じるものを感じる。おそらく誰もがもっているであろう、何かしらの心の闇、あなた自身の闇を熟成されたワインを嗜みつつ、この映画を通して見つめてみてはどうだろうか。生産者: ロマンポランスキー 銘柄『反撥』’65年もの、いいお味でした。
Hanpatsu2

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秋霖(しゅうりん) 秋の長雨

Koma_1 秋の長雨とは、まったくの俗説ですが、諸国の神々が夏から秋にかけて、暑さも一段落した頃合いを見計らって、出雲大社で開かれる総会に集まっていくため、国に残された幼い神様の子が神様の遠出を淋しがり、一斉に「エンエン」と泣き出し、その涙が雨となって、延々と続くかのように地上に降り注がれるという気象現象を指すらしいです。といっても、10月に入ってからは、たとえ長雨になったとしても雷が鳴ることはあまりないことから、雷無月(かんなづき)という言い方もあるそうです。
 ところで、類は友を呼ぶといいますが、お気に入りブログの、そのまたお気に入りブログを拝見しつづけて、当ブログのお気に入りも拡大しつづけてきた中で、よく似たものをもっていらっしゃる方に呼ばれるということも起きてきます。僕は、「1日中ニャンコ好き、時折、スヌーピー好き、好犬確率は15%、時(※)によって一時的によく見かけるでしょう。リードの必要はないでしょう」てなぐあいで、同じスヌーピーでも人とは変わっていたほうがいいということで、クリスタル・スヌーピーをパソコンの上に飾り、※ブログ時などに必ずといっていいほど目にしています。
Snu

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奥さまはB型

Anibewcartoon4_1 「奥様の名前はrudyn。そして、旦那様の名前はRhyme。しごく変わった二人は、しごく変わった恋をして、しごくシンプルな結婚式をあげました。でも唯一つ思い違いだったのは、奥様のB型振りだったのです」 ~NHK・BSにて放送開始~

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“腰に手”ポーズで決まるのは…

Horatio 腰に手を当て、ポーズが決まるのは、銭湯で湯上りにコーヒー牛乳を飲む時か、ホレイショ・ケインその人ぐらいなものです。いよいよ待望(taibou)の【CSIマイアミ4】(フォーッ!)が始まります。格好いい身のこなし、渋い声、子供を思いやり、やさしく接する態度など完璧です。CSIシリーズで唯一どっぷり浸かって見ているのはこのホレイショがいるマイアミだけです。今回もバシバシ“決め言葉”で僕らを魅了してほしいです。

 そして【相棒】(aibou)も始まります。ホレイショとはまた違ったキャラクターの刑事ですが、正義を貫く姿勢には同じく熱き想いをもっています。本日10月5日にはオフィシャル・ガイドブックも発売されました。ドラマが始まる前におさらいしておきたいものです。また本がたまっちゃうなぁ。それにテレビも見る機会が増えちゃったから、なお大変だぁ。でもこの2つのドラマは欠かすことができません。なんせ、はまってしまったんだからとことん行くしかありません。Horatio2
Aibou5_1

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なにゆえそこに立派な猫が…

Timbuktu Rippana_neko_1 今日は狙いすまして本屋に行きました。お目当ては待望のポールオースター氏の新作『ティンブクトゥ』を手に入れること。もちろん平積みになっていたものの、明らかに他のものより低くなっていました。多くの方が待ち望んでいたのではないかということが伺いしれました。あまり情報を仕入れていなかったので、ワンコが出てくるお話だとは知りませんでした。オースターならワンコでも、言うに及ばずニャンコでも読もうと思うに決まっています。どんなストーリーなんでしょう。とても楽しみです。
 お目当ての品を抱えたまま店内を物色していたら、ちょうど僕の目線と同じくらいの高さの棚に、「やっぱり高いところが好きなのね…」って思わせる『立派な飼い猫になる方法』を見つけました。これは『正しい猫の数え方』と同じ著者で、案の定、“猫”の文字に小躍りして、合わせて買ってきました。タイトルだけみて書けば、アビーに読み聞かせをしたい逸品です。立派な飼い猫になりたいのなら、あんまりむやみやたらに僕らに飛びついたり、噛みついたりしてきちゃ、いけません、って諭したいのですが、言わずもがな無理でしょうか。
 さてさて、僕の、読書の秋は読むことにはなく、買うことにあるというような状況になっています。読みたい本はたくさんあれど、読む時間を多くつくれていない…反省。

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ファン(fan)の不安(fuan)

Fuan_tower  スピリチュアルな世界を信じているというよりも関心を抱いているしか言えない僕がふと手を伸ばしかけたのが『夜にそびえる不安の塔』。著者がスピリチュアルな世界に関心をもって、潜入取材を試みて、そうした世界とはなんぞやというものを追い求めた経緯が描かれているらしい。パラパラッとめくってみたけれど、言われているほど迫真の内容とは感じなかったので、平積みに戻しました。『江原啓之への質問状』のように品がなく、あけすけに探っているのではなさそうなので、評価したいけれど、買ってまで読もうとは思いませんでした。

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ねこホリック症候群

Nekobiyori Thankyou_cats 猫という文字、絵、写真、雑貨など、町なかで猫に関するものに出くわすと、つい手に入れてほしくなってしまいます。『どうぶつたちに、ありがとう』を先日、本屋でペラペラしました。どっかでみた写真だなと思っていたら、『猫びより』でも紹介されていたものでした。タイトルに、どうぶつたちに、とありますが、猫の写真が多かったです。今度、本屋に行ったときには買うと思います。『猫びより 11月号』も10月12日発売です。毎号、欠かさず買っています。『ねこのきもち』は年間購読の更新を済ませたのかなぁ。帰ってきたら、確認しようっと。

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超(日)常現象

妻「今日、久しぶりに本屋に行ってね、これ、買ってきた」
夫「あっ、俺も今日、買っちゃった」

Cat_coffee_1
 これをシンクロニシティとかテレパシーとか言うのだろうか。
 今回、この超(日)常現象を
 “シンクロナイズド・ブッキング(synchronized ‘book’ing)”と呼ぶことにします。

 または似た者夫婦というのだろうか。
 ここに、少しかわった夫婦、あります。

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ソファまいる

So_far_away1 ピン・ポン・パン・ポン♪
 「このブログをご覧のベルリン様(を含む皆さま)にお知らせいたします。このたび9月30日より Rhyme(らいむ)家リビングに待ちに待った待望のソファが展示されております。お近く、ご閲覧の際はお気軽にご堪能くださいませ」
So_far_away2  展示、と申しますのも、Rhyme夫人はなぜかソファにあまり座っていない様子でございます。まだ出来たてほやほやで、お店で座った時の感触と違うので、違和感があるのでしょうか。もっぱらソファ購入に躊躇しておりましたRhymeがここでくつろいでおります。
So_far_away3  あまり腰掛けない理由は、あるいは、白地にストライプの入った、お気に入りの生地を最初に汚してしまうのが自分(rudyn)であることを恐れているとでしょうか。

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 そうした人間の、揺れ動く心の内をよそに、真新しいサイドテーブルで、どっかと眠っているのがアビーです。

Ab229  アビーちゃん、それは貴女のベッドではなかとです。れっきとしたサイドテーブルとです。さっきまでテレビを見ながら、コーヒーを飲んでは、カップを置いていたサイドテーブルとです。

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 それなのに、貴女、チェリー材の感触を味わうように、それほどまでに全身全霊べったり寝転ばなくてもよろしいんじゃないでしょうか。
「でも、あたしはアビーです、アビーです、アビーですもの」

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右に猫、左に珈琲、内に哲学

Cat_coffee North_north 秋に入り、牛乳とコーヒーを飲む機会が多くなってきました。夏の暑い時期は、たとえ冷たい牛乳であっても、また、熱いコーヒーはなおさら飲みたいという気持ちが湧き上がりません。その点、陽気が穏やかな秋はこれらの飲み物がとてもおいしく感じます。
 本日、先ほど出歩いてきました書店にて、パッと目に飛び込んできたのが、コーヒー色した、可愛い猫の表紙の『名探偵のコーヒーのいれ方』。猫が出てくるは、コーヒーのうまい入れ方が出てくるは、もちろん死体が出てくるはと、飛びつかずにはいられなくてゲットしてまいりました。いつものごとく、いつ読み始めるかは定かではありませんが…。
 そしてこの本の近くに並べられていた本を見て、『北極の北には何がある』があるんだろう?と思ってかってきたものの、趣旨は考え方や哲学にあるようで、秋の夜長に物思いに耽ったり、時には肩の力を入れずに哲学してみたりするのもよかろうとこれまたゲットしてまいりました。これまた同様、いつ読み始めるか、それが問題だ!

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