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2006年8月

少し変わった妻あります

Kawattako ←この本も昨日、本屋で見かけたもので、タイトルが面白い。変わった子が出てくる短編集のようです。気になったけれど、そのままにしておき、本来のお目当てであるアガサ・クリスティーの『運命の裏木戸』を探しに回りました。というのも新聞で見かけた映画【奥さまは名探偵】が映像的にも、内容的にも、キャラクター的にも面白そうで、気になったのでした。クリスティーのミステリーは中学生の頃、主だったものを読みふけったことを思い出します。もっぱらポアロとマープル物が中心だったので、トミーとタペンスについては読んだことがありませんでした。これも何かの縁だと思って、シリーズ中の最後を飾る『運命の裏木戸』を選びました。クリスティーが生前書いた最後の本、トミーとタペンスも老齢に達した状況での謎とき物語が実に興味深く思えたのでした。でも、ハズレ!ではもったいない気がしたので、冒頭を読んでみることにしました。直後、(これは当たりだ!)と思いました。だって、
 「本ってものは!」とタペンスはいった。
 と始まり、しばらくの間、本を巡る談議がおしどり夫婦の間でまるで漫才のように繰り広げられていくのです。本好きにはたまらない出だしです。溜まっていく一方の本、捨てられずにいる本、読み返そうと思っていてもそういうことはまず起こらないであろう本、結局読むことなくブックオフされた本、本への思いは尽きないのです。タペンスもまたその一人のようです。トミーが愛情溢れる眼差しで見守っている感じがいいです。お互いちょっと変わった者同士なのかもしれない気もします。これから随時読み進めていこうと思います。かくゆう僕ら夫婦もそういえるかもしれません。僕はさて置き、妻は変わっています。妻も「あなたのほうこそ変わっている」と言います。まぁ、多少変わったところがなかったら、人には惹かれないだろうと思います。ただ、意外だった妻の変わりようは、昼寝をして起きると頭が痛くなるというものです。ふつうはスッキリ!するところが、妻はそうでないようです。昨日も夕方になって、瞬時に眠り始めた妻を見たところで、本屋に出かけることにしたのです。大概1、2時間あっという間に眠り込んでしまうのですから。妻も夢の世界へ、僕も本に囲まれた夢の世界へ行き、帰ってきたら、ぼんやりと朦朧とした少し変わった妻がおりました。その後はふたりでおいしい夕ご飯をいただきました。
「ご馳走様です。とてもおいしかったです」

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積読? 読んどく?情報

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 昨日、ぷらぁっと見て回った本屋で見かけた気になる本です。『月猫占い』を見つけたのも何かの縁なのか、というのも出かける前に久しぶりにアクセスしたネットで、待ち望んでいた携帯アプリが来年1月ようやくサービス開始という記事を読んでいたのでした。ただ、この月猫占いは、いくつかあるなかで自分が該当する猫の種類がすべて違うのがなんとも“ええ”加減なのでした。所詮、当たるも八卦、当たらぬも八卦ですから。
 亀好きとしては見逃せないと思ったのが『亀の文化誌』。ただちょっとお高かったので、躊躇し、まずは図書館に置いてあるか探すことにしました。うちに帰って、検索しましたが、馴染みの図書館3館すべてで置いていませんでした。かなりマニアックな分野だということでしょうか。買うか立ち読みするかどうしようか…僕が考えているところにこのサイトあり《カメおもうゆえにカメあり
 『犬に埋もれて』は、ただ単純に犬よりも猫に埋もれたいなと思って、目についただけでした。亀には埋もれたくない。ゴツゴツして痛そう。猫なら、降ってこようが、埋もれようが、猫合戦(=じゃれ合う)しようが、何でも楽しそう。

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またしてもバトンを落とす

Q1:酔うと基本的にどうなりますか?
A1:「とりあえずビール!」と飲み始め、1杯めを飲んでいる途中からすでに目を中心にして放射状に赤みが広がっていきます。座って飲んでいる分には程々いけているのですが、用を足しに行くなど立ったり座ったりし始めると酔いが一気に回り始めます。その頃には全身真っ赤な人間に変わっています。ある程度のところまでいくと眠くなります。

Q2:酔っ払ったときの最悪の失敗談はなんですか?
A2:トイレブースに入り、鍵をかけ、眠りました。

Q3:そのときは何をどれくらい飲みましたか?
A3:覚えていません、大昔のことなので…。かなりちゃんぽんだったような気がします、ビール、水割り、日本酒…。

Q4:最悪の二日酔いはどんな感じでしたか?
A4:その日一日ずぅーっとぼぅーっとしていました。

Q5:酔っ払ったときに迷惑をかけた人にこの場で謝りましょう!
A5:「ちょっと席をはずして、一人になって、静かなところでゆっくりしたかっただけなんだけどね…ろう城して、ごめんね」

Q6:今、冷蔵庫に入っているお酒の容量は?
A6:一番絞り500ml×3本、一番絞り350ml×4本、

Q7:好きなお酒の銘柄は?
A7:言わずと知れたキリン・一番絞り(いろいろ試しましたが、やっぱり一番おいしいのはこれ! この夏はこの銘柄ひとつに絞って飲んでいます)

Q8:最近最後に飲んだ店は?
A8:覚えていません、酔っているわけではないのですが…。妻と行った『梅の花』かなぁ。

Q9:思い入れのある5品
A9:浅草を拠点にした金太楼鮨の『ばくだん』…納豆、オクラ、葱、ウニ、ウズラの卵、イクラ、山芋などが深鉢に盛ってあり、それらをよーく掻き混ぜていただく、超豪華なスタミナ料理。
 あとは、何はともあれマグロのお造りがあれば言うことありません。

Q10:もし生活を全く考えないで好きな仕事をしてもいいとなったら、何をしますか?
A10:本屋。売上が上がろうが上がるまいが、店番をしながら、本を読みふける。脇には看板娘の愛猫アビーが本の上で寝っ転がっている。アビーをお目当てに毎日、小学生が立ち寄って帰る。そのためレジの脇には飴入れを置いて、無料お持ち帰り舐め放題。時折、アビーが飴をもてあそんで、床に落とすけれど、構わず飴入れに戻しておく。本を整理していると、思いがけないところから飴が出てくる。そういうスローな毎日が流れていく。

 

MIMIさんから受け取ったバトンですが、今回もリレーの際、バトンを落としてしまいました。子供の頃はリレー競争が好きだったのですが、大人になってバトンの手渡しが鈍ってしまいました。

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建設的な朝型人間になろう!

 久しぶりに訪ねていった【All about:シンプルライフ】。実にタイムリーな話題が載っていた。《朝型人間になろう!》 そう、一日は朝から始まるのです。まずは、ちゃっちゃと起きる! 30分、というのはきつい(早くもめげはじめている…)けれど、目標にするにはいい数字だ。30分早起きは三文の得、目覚めの一発、ブログに4行日記を記し、建設的な一日にするよう心がけることができる。寝起きがきついのは否めないが、仕事に行く必要があるという事実にかわりはない。ちゃっちゃと起きて、身体の底から目を覚まそう、元気よく「おはよう!」の挨拶を添えて(寝ぼけ眼な声じゃダメ!)。最近、我が家にはバランスボールがやって来た。座ってぷにぷにやっているだけでもじんわり汗が出てくる。目覚めよ、身体! それにそれだけの余裕をもっての起床はしっかりした朝食をいただける。午前の仕事中にお腹が減って動きが悪くなるのはどうもいけない。朝食をしっかりとればもう解決だ。さらに心がけたいのは一気の流れだ。起きた勢いで布団を上げる(もしベッドがあったとしてもメイキングをほったらかしにはできませんぞ…)、トイレを済ませたら、飛び散りをサッと拭く、顔を洗ったら、撥ねた水滴を拭く、曇った鏡を磨く、食べ終わったら、食器を洗う、身だしなみを整えたら、落ちた髪の毛を拾う、などなど。ちょいと片づけをしておけば、帰って来た時の疲労度が緩和される。確かに言えている。洗い場に食器が溜まっているのは我ながらガックリ来る。足元でアビーが「ご飯、ちょうだい」口撃で鳴き続けているのに、まずアビー用の食器を洗うところから始めなければならない。その口撃の音(ネ)は次第に大きくなっていく。「待ってね、今、洗っているから。もうすぐだからね」と言ってもアビーには通じない。さっきまで「ちょうだい」だったのが「めし、くれー」にかわってくる。しまいには噛みつかれかねない。そういう事態を避けるためにも、朝のうちのチョイ片づけが精神的にも、身体的にも十分に、いや三十分にもお得なのだ。さぁ、変身だ! 朝型人間に…。携帯からの目覚めの曲♪ビバリーヒルズ・コップ アクセル・フォーリーのテーマ曲♪を聞いて! 今この瞬間はそれ♪を想起させるこの曲EINTRACHT♪を…。

朝の4行挨拶
 「おはよう」
 「いただきます」
 「ごちそうさま」
 「行ってきます(…「行ってらっしゃい」)」

大事にしようよ、元気な挨拶!

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本『夏への扉』

Doorintosummer これほどまでに暑い日が続くと、猫のアビーに『秋への扉』を教えてもらい、世間の皆さまより一足先にその扉を開けて、進み入りたいと考えたけれど、肝心のアビーがその扉について「まだどこにあるのかわからなーい」と言うものだから、僕は致し方なく読みかけの本を読み進め、今日ようやく読み終えた。せっかく読んだ本ではあったが、その『夏への扉』は僕の家の扉を出ていくことになった。近い内に寄付するか、ブックオフしてしまおう。So,この本は興味深いものであったが、そこそこ面白かったという程度に終わってしまい、聞いていた前評判通りには僕の中には響いてこなかったのだ。愛らしいネコの後姿という表紙に騙されてしまった、と言ったら著者に失礼になるから、出版社の戦略にまんまと乗っかってしまった自分自身を責めることにする。本書のストーリーは決してネコのものではなく、SFであり、時間を巡る冒険談だったのだ。もちろんSFであることは知った上で買ってきたのだが、…やれやれタイムマシーンが出てくるとは…思いもしなかった。しかも未来に行くのか、過去に行くのか、やってみなけりゃわからんというような代物だ。どうせなら、もし今ここにあるなら、タイムマシーンに乗って、この本を買った時に戻り、違う本を買うように気持ちを切り替えたいものだ。そうすれば、この本を読み進めてきたわずかばかりであるも、貴重な時間を違うことに使うこともできたはず。あ~あ、この暑さから来る気だるさとこの読後感でうなされてしまいそうだ。せめて冷凍睡眠ならぬ冷蔵枕睡眠で今日の疲れを一掃したいものだ。冷凍睡眠をかけるのはソファとベッドについての熱い購入欲にしておこう。ソファには5年後、ベッドには50年後を設定することにしよう。これでひとまず夏の暑さと欲の熱さを少ししのげるかもしれない。もし今後、このブログでソファやベッドを買いました!というような報告が載ることがあれば、送り出した購入欲は、かけたはずの冷凍睡眠にではなく、タイムマシーンに入れてしまい、しかも未来にではなく過去にさかのぼり、そのまま冷凍睡眠にかけなおされて、それらを購入するに至った時へと舞い戻っていったものと受け取ってほしい。…こうしてここまで記事を書いてきた僕は案外この本を楽しめたのかもしれない。

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「おいでよ」と甘い言葉の裏の闇

Animalforest 妻が【どうぶつの森】していたので、「魚、釣れた?」と聞いてみたら、「うんんー、クラゲばっかり」と浮かない返事。その後もどんなゲームなのか尋ねていくうちに、ゲームにはあまり縁のない僕はこのゲームが面白くも、恐ろしいものだと思ったのでした。曰く、ゲームを進めていくうちに、家を持つことになるらしいのですが、当然のこととしてお金を支払わなければいけない。そのためには仕事をして稼ぐ必要が出てくる。だから魚釣りばかりにほうけていないでアルバイトにも行かなければならない。そうこうするうちに部屋の雰囲気が変わり、リフォームされていく。なんだか訳のわからないうちに押しかけてきたリフォーム業者の口車に乗っかってしまったかのような成り行き。現代世相を反映しているのか、動物の着ぐるみを着た、悪徳なマンション業者やリフォーム業者が何食わぬ顔をして、「おいでよ」と手招きしている、怪しげな森の世界らしい。

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猫のアビー流の涼み方

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「アビーさん、扇風機はね、もう少し離れたほうが涼しいよ」

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建設的な生き方【自他】

『自力と他力を分けるのは不自然です』
『他人の援助なしで私が成し遂げたものはありません』
『私はこの世から受け取る人であり続けています』
『自分の借りを返したくなります。もちろん十二分に返すことはできません。……それでもときおり意識して、目に見える行動でお返しをすれば本当の人生の満足感があります』

『あなたは、本当はときどきは素晴らしくいい人で、ときどきはそうでない人です』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

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いまだに認められない母への詫び状

 先日、久しぶりに実家に帰った。数ヶ月振りのことである。ある時期から次第に足が遠のいていた。母の行いによって僕を含めた家族が受けた衝撃に僕自身が気持ちをうまく認めることができずにいたからだった。今もできているとは言えないけれど、お盆の時期ということもあって、父からそろそろ「顔を出せよ」と電話が入りそうな予感がして、その前に訪ねる気持ちになった。帰ってもとりわけ話をすることも少なく、普段なら軽めの昼食で済ませるところを、母がつくった多すぎるおかずを小さなテーブルに広げて、テレビをつけて、食事をした。食後、父は横になって新聞を読みながら、いつしか眠り込んだ。母と僕はドラマを見ながら過ごした。何か話せばいいのか、何も話さずともその場を分かち合うだけでいいのか、なんとなく時間は過ぎていった。もう少し長く過ごすつもりでいたのだけれど、落ち着けずにいて、予定よりも早く帰ることにした。父の「送っていくぞ」という申し出を断り、「ご馳走様。また来るね」と挨拶をして、家を出た。母は僕を見送りため玄関を出て、佇んだ。僕はもう一度「ご馳走様。またね」と言って、手を振った。僕は三度振り返り、手を振った。僕ら子供を育ててくれた大きな存在が小さく感じられて、切なくなった。僕の中の母に対する気持ちは少しずつ和らいできているように思う。ただそれをうまく表現できない、伝えられずにいる。母は分かってくれているだろうか、察してくれているだろうか。それとも僕が母を許せていないのだろうか。そうなのかもしれない。両親が僕ら子供にしてくれた多くのことに対して、お返しをしたことのなんと少ないことか。迷惑をかけられたことに囚われて、気持ちも、感謝と詫びの手紙も、認められずにいる。容赦なく過ぎていく時の中で、“その時”がやってくる前に為すべきことを為す必要がある。まだくすぶっている、わだかまった気持ちなどさて置いて、為すべきことが…。
「ありがとう。そして、うまく自分の気持ちが整理できなくて、淋しい思いをかけたこと、ごめんなさい」

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建設的な生き方のために

Constructing Living's Note:建設的な生き方に向けた内観に基く覚書
《これは内観で行われることを元に4行日記に加味して、新たな決めと為すべきことを為すために書き留める覚書である by Rhyme(らいむ)》

していただいたこと事実
・それに対する気づき(発見
・発見からの教訓
・教訓が示すところの目標(目的)
・目標(目的)に向けたこれからの行動
・為すべきことを行ったか?
・どのように?
・それに対する気づき(発見)
・発見からの教訓
・教訓が示すところの目標(目的)
・目標(目的)に向けたこれからの行動
宣言:私は~~を行いました!
宣誓:私はこれからも(は)~~していきます!

していただいたことに対してお返ししたこと事実
・そこからの気づき(発見
・発見からの教訓
・教訓が示すところの目標(目的)
・目標(目的)に向けたこれからの行動
・為すべきことを行ったか?
・どのように?
・それに対する気づき(発見)
・発見からの教訓
・教訓が示すところの目標(目的)
・目標(目的)に向けたこれからの行動
宣言:私は~~を行いました!
宣誓:私はこれからも(は)~~していきます!

ご迷惑をかけたこと事実
・そこからの気づき(発見
・発見からの教訓
・教訓が示すところの目標(目的)
・目標(目的)に向けたこれからの行動
・為すべきことを行ったか?
・どのように?
・それに対する気づき(発見)
・発見からの教訓
・教訓が示すところの目標(目的)
・目標(目的)に向けたこれからの行動
宣言:私は~~を行いました!
宣誓:私はこれからも(は)~~していきます!

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建設的な生き方【決め】

『自分で自分のなすべきことを決めていく』という堅実な法則
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 人生は、決め、為す、決め、為す、その繰り返し。一歩ずつ前に進もう。一瞬ずつでも。過去と背中合わせで、未来と向き合っている今を生きよう。

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Nyahoo!ニュース「寝る子」

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 もうこれは明らかに物足りたい出来になっています。
寝る子の大御所にゃんこ先生が出ておりません。
フクロウもいます、ウミガメもいます。ですが、ネコはいません。
全国のネコ好きの皆さん! ネコの寝顔を見ながら、
明日もいいお昼寝をしていこうではありませんか!

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建設的な捜査

CSIマイアミ『ヒトラーの子』より
 容疑者  「私、容疑者?」
 スピードル「…、証人(!?)…」
 容疑者  「爪に皮膚が挟まっていることを期待しているのね?」
 スピードル「いや、期待はしない。事実を見るだけ
 容疑者  「冷静なのね、すごい」

 関係をもっていた男の遺体があった現場に居合わせていた女に、あるかどうか分からないけれど物的証拠の採集に応じるように求めたCSI捜査官スピードル。綿棒のようなもので女の手の指先をなぞっていく間に交された会話。そこに証拠があるか、ないかも期待しない。何も出なければそれはそれ。何か出たならそれを事実として見ていくだけのこと。その事実が導き出す答えが女がただの証人なのか、容疑者から犯人へと結びつかせるかどうかに重点を置いて建設的に捜査していくスピードル。チーフのホレイショ・ケインに次いで好きなキャラクターだ。

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疑想・建設的な生き方【個性】

『私はあえて人に個性はないと言いましょう。誰ももっていないのです』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 誤解を恐れず敢えてこういった著者のこの言葉は小気味いいと思いませんか? 個性も見えないものの一つ。個性と呼んでいるところのものから生まれる行動を通して、傾向や性質みたいなもの、大体こんな感じのことだよね、っていうのを個性と人が名づけ、そう呼んでいるだけ。個性も後付けなんだ。そんな個性と呼んでいるものをそこにあるかのように位置付けて、個性を伸ばす教育を目指していく、なんて考えてみればおかしくなってくる。「君は大体こんな感じ(=個性)だから、そこをもっと伸ばしていけば、あんな感じになるんじゃないかな」って、子供に伝えるのだろうか? 子供に「こんな感じ(=個性)ってどんな感じですか?」って問われたら、どう答えるのだろうか? それよりも具体的で、現実的な行動を導き出すように行動していくことが望ましいということなんだろう。いやはや教育とはなんて難しいものなんだろう。学校においては1クラスで40人前後、企業においては十数名から数万人規模、彼ら全員を建設的な行いに導いていこうとする行いとはなんと難しいことだろう。だからなのか? 出生率が2を切っている訳は? それほど難しいことをとても二人以上に対して、行えるわけないじゃない、ということなのかもしれない。「あなたは私たちの元に生まれてきたんだ。だからこれからはその事実を元に建設的に行いつづける必要がある。いつの日か死が訪れるまで」と伝えることが教育の第一歩と言えるのかもしれない。

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本日のお昼寝での夢

Living

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疑想・建設的な生き方【事実】

『事実に気づいても気づかなくても事実は自分を支え続けています』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 自分が気づいていない、見えていない事実についてはどう考えればいいのだろうか? 「考えているより、為すべきことを為せ」と著者に言われそうだが…。「それが事実かどうかわからない」と言うことは多々ある(たとえば、ジョンベネちゃんを殺めたのは本当に彼なのか、とか)。自分が見ていない、気づいていない、信じていない事実にしても、良かれ悪しかれ、本当か嘘か、事実として存在しているのが事実と言える。たとえそれが真ではない偽だとしても、偽だという事実がそこにはある。また、僕らは仏陀ではないし、一切の事実を知ることなどできない。自分が知らない、見ていない事実について知ろうとするとき、推測、憶測、想像、思考することになるが、それらもまた見えていな、不確かな事実だといえる。人から伝わってきた、自分では確かめられない事実というものに対してはどうすればいいのか? 真か偽かわからないけれども存在する事実をまずは受け入れ、自分の求める目的や目標に向かって、為すべきことを為すことで、自分が感じ、考え、行った確かな事実として積み上げていくことが大切なのだろう。真でも偽でも事実は人に為すべきことの情報を送っている。真でも偽でも事実には変わらない。それだけで事実というのは本質的に興味深く、気づくに値するものなのだ。探さなくてもそこに在る自分もまた事実。その事実を元に為すべきことを為そう。

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疑想・建設的な生き方【鍵】

理想的な人生への三つの鍵

『「建設的な生き方」は心理療法ではありません。賢明な生き方をするための実際的で、最も役立つ教育です』
『過去や現在の行動を理解するための解釈というものは存在しません。今現在、自分が誰であるかを知る決定的な分析も存在しません』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』

 著者が神経症にかかっていたとしても治療する必要がないと言っているのは度が過ぎていると思いますが、感情も、思いも、考えも、解釈も、分析も、概念も、宗教も、神も、実際に行動してみないことにはそれらの大切さも減じることは確かかもしれない。そうした目に見えないものにこだわっているよりも、目に見え、判然とする行動に着目したほうがより有効的と言えるのだろう。感情も事実のひとつだけれども漠然としたものであり、行動は具体的で、現実的なものであるから、それを通じて目に見えないものに関わったほうがスムーズだといえる。感情にしろ、考えにしろ、その他見えない事柄は行動を通して、現に表出する。行動を通さないで、それらを見ることはできない。それらから派生的に生まれる行動を通してようやくなんとなく見えてくる、見えてくるような気になる。おそらく「建設的な生き方」というのは、行動というものを派生的にではなく、より能動的に表現していくことをすすめているのではないだろうか。

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ソファがあるかもしれない僕の人生

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僕の人生にソファがあるとするなら、こんな形が楽しそう。ソファを壁につけるのもいいけれど、思い切って中央に置き、360度どこからでも、タテ、ヨコ、斜め、自由自在にくつろぐ。ソファの前にはテーブルを置かず、小回りの利くサイドテーブルを脇に。ここで読書したり、昼寝したり、コーヒー、ビール、ワインをいただく。休日だけでなく、仕事帰りにも真っ先にそこに向かっていく。ここから新しい人生が開けていく。

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パッチリと目あるも、目ない衝動買い

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 かわいいなぁとか、和むなぁとか思ってついつい買って来る和雑貨。でも、もったいなくてそのほとんどをしまいこんでしまう僕。亀柄の手ぬぐいを見つけて、それだけにしようと思っていたところに可愛らしいフクロウ柄まで見つけて、衝動買い。自分が好きなもの(僕の場合はとりわけ猫と亀)にはちょっとしたものでも反応してしまうのは僕だけではないでしょう。

 追伸:古本屋で『フクロウ日記』 著・図子英雄 というのも見かけました。

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疑想・建設的な生き方【応急処置】

 『不安や悩みを抱えたときの三つの応急処置―気をそらす、待つ、感情に影響を与えるために行動する』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 『気をそらす方法は、非常に惨めなときに( * 括弧内 Rhyme * )行動や考えを一時中断することを意図しています』というこの一文にはおそらくこの括弧内に(その惨めな)という言葉を添える必要があると思う。行動すること自体にプラスの面があると考えているであろう著者がただ単に行動や考えを一時中断することを意図すると表現するのはおかしく、マイナスの行動をやめ、それとは違う行動を起こすように推奨しているということだろう。ここでいう“違う行動”とは、プラスだったり、ポジティブだったりする行動ということではなく、マイナスではない、違う行動を起こすことによるプラスな面に焦点を合わせようということだと思う。残念なことなのか、喜ばしいことなのか、喜怒哀楽というやつは待とうが、待つまいが感じた瞬間から劣化していく。それに身を任せていけばいいのだ。もし囚われてしまうなら間違いなく病んでいくことだろう。マイナスな感情や考えや、行動していないことでの停滞に甘んじているより、感情や考えや行動に影響を与えるために行動したほうがいいということなんだ。

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疑想・建設的な生き方【コントロール】

『どんな感情があってもすべての行動はコントロールできます』
『実は、自分がすることをなぜするのか誰にもわかりません』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 行動をコントロールするものは何か? 気持ちや感情か、考えや思いか、行動だけが先走るなんてことは…ない。やる気がなければ、やらない。渋々としたやる気だったとしても、やる必要がある時にはやれ! 行動を止めるものは、(もうやめよう)という気持ち、(これ以上はやってはいけない)という考えであり、行動がひとりでに止むことはない。自分のしていることくらい自分の中では薄々、漠然と、あるいははっきりと分かっている、そうでなければ行動しない。行きつくところは、感情や考えに囚われて動かないでいるよりは動くことによって何らかの結果を出し、それに対してまた新たな行動を起こしたほうがよっぽど有意義だということだ。行動に感情や考えが少しも関与していないということではない。逆に大いに関係しあっているもの。感情や考えだけ念じていても、事実は生まれないし、変えることはできないということ。事実の上に新たな事実をつくり、そこから生まれる感情や思い、考えを受け止め、また行動を起こす、それが生きるということなんだろう。

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疑想・建設的な生き方【やる気】

 『心の準備なしでただやればいいのに』
 『目的ある行動に重点を置き、感情はそのままにしておけばいいのです』
   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 やる気、これは気持ち、心の内にあるもののひとつ。これを『心の準備なし』と置き換えてみると、『ただやればいい』につなげることができるだろうか? やる気がないままただやればいい―これははたして成り立つだろうか? 何らかの要因をもって強制的にやらされる場合には成り立つだろうが、自ら行動を起こす場合に心の準備≒やる気なしにできるだろうか? 辞書にあるやる気の意味通り、“進んで”というまでにはいたらなくても、“少しは”、また“渋々”にでも“やる”気が起きなければ、行動には起こせないはず。そうした“少し”や“渋々”な気持ちはそのまま放っておいても、まずは行動を起こしてみることが肝要だという言わんとすることは伝わってくるのだが、著者の表現にはどうも極端なものになるところが目につく。

 建設的な生き方とは、森田療法と内観療法を発展させたもの、とのこと。時に極端だけれども、わかりやすい言葉で表現されるその思いをしばらく疑想しつつ、受け入れてみようと思う。

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「まこと」を尽くす

Kireizuki『茶人は掃除から始まって部屋のしつらえ、お湯やお茶の準備、お香や蝋燭の演出など、お客様に「まこと」を尽くすための準備を全て自分でする』そうです(『心の内よりきれい数寄』より)。まったく茶の世界には通じていない僕ですが、茶人自身の思い、精神性、こだわりがそこに表され、誠心誠意のおもてなしをしようとする姿勢を味わってみたい気になります。その準備たるやまさに完璧と呼ぶにふさわしいものらしいです。何もそこまで目指さなくても、日々の暮らしの中で我が家ももう少し整然とスッキリしたたたずまいで過ごしたいと思うのですが、なかなか難しいものです。僕自身つい気が緩んでしまい、いつの間にか、あっという間に部屋がなんだか雑然としてきます。気がついたときにその場ですぐに片付けてしまうことがよいのだと思います。我が家の場合、その気づきに妻と僕とで温度差が10度ほどある感じで、手ごろな温度には少し遠いようです。もう少しでも妻が僕よりの温度に近づいてくれたら、心地よい時間と空間が舞い降りてくる気がします。もうしばらくは、んんー、これから先ずっとかな!?、僕が率先して毎日をちょっぴりていねいに暮らしていけるようにやっていくことになりそうです。

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気になる本『人生はだれのもの?』

Little_owl 今日、本屋で見かけた気になる本『人生はだれのもの? -子フクロウの頭のよさを引き出すレッスン』。擬人化された動物などが主人公となって、人生が語られる本として新たに加わった観がある。今回は父フクロウが子フクロウにフクロウ生ならぬ人生を語って聞かせるという趣向らしい。

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ソファのある人生

Tokio_style0609  かねてから妻が焦がれているソファのある暮らし。その思いを想起させる文言と絵が『TOKIO STYLE』という雑誌から放たれていた。雑誌を買うのは久しぶりのことだ。なんとも魅惑的な言い様、“ソファのある人生”。随分大きく出たものだとも思えるが、それだけソファにはそれを使う人の生き様や思いが込められているのだろう。
 早速記事を読んでいこう。まず、こう語りかけられる、「毎日をともにするソファはあなたを映すもの。あなたのソファを通してあなたが見えますか」。僕自身はソファで過ごした思い出はそう多くない。一時期、実家にソファがあったことがある。父がどこかからいただいてきた安物のソファだ。そこに腰掛けて、夕飯の後の少しの時間をテレビを眺めながら過ごした。しばらくして自室に引き上げていく。主に親が過ごす部屋にあったこともあり、あまり長居するところではなかった。それに僕は自分の和室の部屋で畳の上に寝っ転がり、ゆったりしているほうが休まるのだった。はたして妻はソファにどんな思いがあるのだろうか? デザイナーが大切だと語る「家具とともに生きる意志」をもっているのだろうか? あるいは、無意識の世界へ誘う「精神分析医のようなもの」にホスピタリティを求めているのだろうか? 想像するに妻が誘われる“無意識の世界”とはソファでのうたた寝を通して見る夢の世界のことだろう。きっとソファに座ることで、また、くつろいだままテレビを見ることで、そしていつの間にか眠ってしまうことでリフレッシュをはかりたいのかもしれないと、僕は座椅子に座りながら、脇で椅子にぽつねんと座って、テレビを見ている妻を見て、そう感じた。僕らがソファとともに生きる意志を通じ合わせて、ソファのある人生を送る日は近づいているのだろうか?

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疑想・建設的な生き方【感情】

『感情のコントロールを得意とする人はいない』
『自分で感情を直接つくり出したり、他の人の感情を変えさせることは誰にもできません。』

   デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす』より

 気分転換、気持ちを切り替えることがうまい人はいるはず。きっといる。だけどあまりお目にかかったことはない。もしそう言われている人がいたとしても本当にその人の中で気持ちが切り替わっているかどうかは傍目には決してわからない。それが事実だ。
 感情を直接つくり出すことはできない!? 直接!? もちろん粘土をこねくり回したり、針金を自由に曲げて感情をつくり出すわけではない。ただ自分の内側から生まれ、生き、死んで行くのが感情だと言える。それが外側、あるいは内側からの影響を受けたにせよ、自分の中で発生している。“自分”がいなければ感情は生まれない。つまり、感情は自分がつくりだしたとも言える、たとえ“直接”とは言えないまでも。
 また、これも確かに見えるとは言えないけれど、ある行いによって、他人の、せっかくの素敵な気分を台無しに、つまり感情を変えさせることはできる。慈しみの気持ちでささくれだった他人の気持ちを和らげることはできる、たとえわずかな変化だとしても。
 最初に挙げた著者の言葉には行き過ぎた表現を感じ、それが事実であるとは必ずしも言いがたく、その真意が伝わってこない。ただ、感情中心の生き方には大いに疑問があることには違いがない。ならば、目の前の為すべきことを行うほうがよい。

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コールド・ストーン・クリーマリー

Csc ♪長い行列、いやいやよー! 
 ♪待たされるのはいやいやよー! 
 ♪店員さん唄い出し、ほよよのよー! 
 ♪楽しさがあり、ニコニコさー! 
 ♪客が照れ出し、下を向くー! 
 ♪照れが勝って、いち抜けたぁー! 
 ♪順、繰り上がり、うほほのほー! 
 ♪並び疲れて、2抜けたぁー! 
 ♪みんな、おいしそう、決め兼ねるー 
 ♪ようやく決めた《マッドパイ モジョ》 
 ♪ほうばり始めはニコニコさー! 
 ♪甘さに飽きて、むむむむむー! 
 ♪お冷、切れてて、ムムムムムーッ 
 ♪食後のラブイット、でかすぎたー! 
 ♪ワッフルボール、食べ切れずー! 
 ♪今度いつ食べられる? わからない! 
 ♪みんなも一度はご賞味あれー、ちゃんちゃん♪

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疑想・建設的な生き方【自分】

♪ぼくが歩いてきた日々と道のりを
   ほんとは“ジブン”っていうらしい♪

 スガシカオさんは♪Progressの中でこう唄う。僕は思う、自分探しという言葉が蔓延する中、自分ってやつは探さなくなってもうそこにいるんだ。もう今まで、ここまで、ずっとずっと歩いてきた自分がここにいる。これからもずっとずっと歩いていく自分がいる。自分を探したり、“新しい”自分や“本当”の自分を見つけようとしたって意味がない。行動を通して、歩き続け、変わっていくことが新しい自分であり、在るがままに受け入れることが本当の自分なんだ。

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10秒会話。

Weider_1

10秒会話。

もっと一緒にいたい!

ツマ in ホーム

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疑想・建設的な生き方【自信】

Cl 《現代の生き方や教育、セラピーはまず自信をつけることを目標としていますが、はたして、私たちは成功するために自信をつけるのでしょうか?》
 デヴィッド・K・レイノルズ『行動が人生を動かす ~感情の上に人生は築けない~』 より

 まず、自信というのは何らかの成功体験がもたらすものと言えるでしょう。自信、という言葉の意味を辞書で拾ってみます。
・自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。Yahoo!辞書:大辞泉
・たしかにうまくやることが出来・る(た)であろうという自己評価。三省堂 新明解国語辞典第二版
 信じること・自己評価―というのは、行動というより精神的・思考的なもの。自信と呼ぶところの精神的・思考的なものを初めに目標にしてはいけないものなのか? いけなくはないが、自信といっても様々なものがあり、何に対する自信かということをみていくならば、《まず自信をもつこと》を目標にするというのはあまりにも漠然としすぎているといえる。それならば、行動することに重きを置いて、その結果、自信をつけることができると捉えていたほうがよいということを言っているのだろう。

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接する時間

 日本において今、父親の労働時間が長く、子供と接する時間が短いというニュースが先日、流れていた。同様のケースが我が家でも時折起きている。
 時は深夜0時を回っている。僕はすでに床についている。そこへ妻が帰ってくる。その気配に気づいた僕は寝ぼけ眼で声をかける。
 僕:「お帰りなさい」
 妻:「ただいま」
 僕:「おやすみ」
 妻:「はーい」
 ・・・ベリベリ・・・バリバリ・・・
 妻:「いただきます」…コンビニ・ミニ弁当を食べ始める。
 僕:(お・つ・か・れ・さ・ま~)と声にならない声をあげ、眠りに沈んでいく。
 この間、約10秒。最近では妻とよりも、猫のアビーと接している時間のほうが多い。もはやこれはニュースだ。
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アビーは浴室のドアに接しているのが好き!

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シンプル

・怒りを感じたら、怒らなければいい。
・為すべきことを為す。
 最近は物凄くシンプルな言葉が僕の中に伝わってきます。そうか、怒らなきゃいいのかとか、気持ち(感情)は行動のあとからついてくるものであって、気持ちが先にあるわけじゃないんだとか、当たり前のことが当たり前じゃなくできていない自分。むしろ分かりにくさ、複雑さ、神秘さ、胡散臭さを狙っている節がある僕にこのシンプルさはとても新鮮に映っています。たとえば、(起きなくっちゃ、でも眠い、もう少し眠っていよう)という気持ちを優先していたら、仕事をもっているあなたは会社に遅刻することになりますよ、そういう気持ちよりまず“起きる”という行動を起こしなさい、っていうこと。出勤時間はともかく会社に行く必要があるという現実にはかわりがない、あなたの気持ちがどうのこうのっていうことは会社には関係がありませんよ、ならば即行動あるのみですよ。なんてシンプル! シンプルこそ最高!なのかもしれません。

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本『風に舞いあがるビニールシート』

Kazenimaiagaru_ 魅力的な表紙とタイトルで手に入れた『風に舞いあがるビニールシート』。直木賞の候補に上がっていることも知らず、また実際に賞を取ってしまうとは想像もしないままに…。

『愛しぬくことも愛されぬくこともできなかった日々を、今日も思っている』
『大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語』
『自分だけの価値観を守って、お金よりも大事なものを持って生きている―。あたたかくて強くて、生きる力を与えてくれる、森絵都の短編世界』

                          本書の帯より

 自分が懸命に生きているかどうかは自信がないけれど、自分なりの価値観をもってのほほんと生きています。風に飛ばされてしまうかもしれないビニールシートのような自分なりの価値観。たとえば、本は読むものであるけれど、その前に買うものと思いつつ、ハズレの本に出くわすと図書館に通い始めます。そこでの本で面白いものに当たると、また本屋に足繁く通いだします。買う、積む、ふと思い立って読んでもいないのに処分する、ことになります。風に踊らされている本に関する僕の価値観。昔は長編しか読みませんでした。長ければ長いほどいいとその長さを競うかのように本を探していましたっけ。今はその頃が嘘のように短編も読むようになりました。こうなっていなければ、『風に舞いあがるビニールシート』を読むことはなかったでしょう。風に飛ばされそうな、この本の僕の印象としては一番最後に掲載されているタイトル作から逆の順番で読み進めていったほうがいいように思います。僕の場合、これまで通り最初から順繰りで読んでいきましたが、《器を探して》で(こんなものか)と思ってしまい、つまずいてなかなかペースに乗れませんでした。《守護神》でペースを掴みかけたものの、《鐘の音》で乱れ、《ジェネレーションX》でfastest lapを叩きだして、タイトル作でフィニッシュしました。これはあくまで僕なりの印象なので、まだお読みでない方はこれに限らずお好みでお読みになってください。賞を取った作品ですし、いろんな書評でも評判は上々のようです。自分なりの生き方、価値観を中間棚卸する機会を与えてくれるはずです。

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本『永遠と一日』

Forever_1 図書館の、本棚から少し離れた開けた所から館内をぐるっと見渡したときに一番近い棚に並ぶ中からパッと目に飛び込んできたのが『永遠と一日』。知らなかった本、知らない作家、感じのいい表紙、いわくありげなタイトル、ということで借りて読みました。どんな内容かわからないまま読み始めていきました。読み進めていくうちに不思議な眼鏡をかけることで、本の中の世界や、過去の世界にトリップしてしまうということがわかり、その頃には読むスピードも上がってきて(多少はしょっても大丈夫そうだという思いもあって)、どう展開するのかワクワクしながら読み進めていきました。3部に分かれていて、現在、過去、永遠と物語は展開していきます。主人公はそれぞれの時空を旅した後、最後には本当に永遠に辿り着いてしまいます。それらの旅については読んでいただくとして、時空を旅することができる眼鏡を手に入れたら、僕はどこへ旅立つだろうと考えてみました。『吾輩は猫である』の世界に飛んでいって、しばらく一緒に過ごして、名前をつけて、帰ってこようかな。それとも『夏の扉』のピートに会いにアビーと一緒に出かけていこうか!?

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本:怖いもの読みたさ #3

Mio_tukushi 夏の怖いもの読みたさの最後を飾るのは『澪つくし』。この夏3冊めとなるホラー小説で、1、2、3と勢いで買ってしまったこともあり、あまり期待はしていなかったのですが、今までの中では一番よかったと思います。僕の印象では、『大人のための怪奇掌篇』はホラー小説、『白昼の闇』は超常現象的小説、『澪つくし』はスピリチュアルな心霊小説と呼びたいと思います。怖く、恐ろしいところもあるのですが、それを感じさせるのはそれを発するものの思い、気持ち、心が変容しているからで、そこに僕は血の通った情のようなもの感じ、怖さだけが迫ってくるようには感じませんでした。いくつかの死が取り上げられますが、それを通して生き方を見直す機会が与えられるような気がします。この夏、身を尽くして、怖さと生き方に向き合ってみませんか?

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誰も知らぬパンドラの匣のロマネスク

Pandora_box
誰も知らぬパンドラの匣のロマネスク
                 Rhyme(らいむ)/著

 僕、Rhyme(らいむ)による、ブックガイド&ダイアリー。流され人にして筋金入りの活字中毒者の「秘密でも何でもない日常」をささやかに教えます。(ココログでの不定期連載)
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それでも本屋に行ってしまう

 そう言えば、そう言わなくても昨日も会社からの帰りに本屋に立ち寄った。仕事が休みの今日もまた本屋に出かけた。明日もきっと本屋に行こうとするだろう。お目当ての本があるときもあるし、ないときもある。時間があれば、気が向けば、いつでも、どこの本屋でも行ってしまう。(今日は新刊コーナーだけ見ていこう)(今日はあまり見にいかないジャンルのコーナーに行こう)(今日は久しぶりに文庫コーナーを見てみよう)―その時々によってテーマを決めて本屋を見て回る。そうすると面白い本と出合うことになる。家には読んでいない本が山と積み上げられているのに買ってしまう。(本とは一期一会だから)。そう、買っておかないと読みたくなったときにはもう売っていないこともあるし、図書館にも置かれていないこともある。本にはそういう運命がある。だから出合ったときには仲良くしておかないといけない。
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パンドラの匣にあるロマネスクのことは誰でも知り得る
 ~まえがきにかえて~


 僕のココログ【我道忘時抄】も書かれない日が幾日も続いたり、一日に幾本もの記事が書かれたりしながら、紆余曲折を経てなお存在している。人気のあるブログや、アクセスの多いブログ、テーマのあるブログと違ってなんやかやと思いつくまま気の向くまま書き連ねて更新している。コメントがつくこともあれば、トラックバックをかけることもある。僕自身、次に何が出てくるかわからない。それはまさにパンドラの匣のよう。でも開けてはいけないものではない。むしろ開けてしまいたいから在り続けていると言える。Rhyme(らいむ)という名の匣の中のロマネスク-ちょっと偏屈で、ちょっと頑なな日日暮らしを熱に浮かされながら、綴ってみたい。

 ふと思いついて、この2006年8月を機にカテゴリー構成を少し変えてみます。本屋で見かけた三浦しをんさんの『三四郎はそれから門を出た』をアレンジして、らいむ(rhyme)して。三浦さんが夏目漱石なら、僕は太宰治でいきましょう。
『誰も知らぬパンドラの匣のロマネスク』
○カテゴリー
1章 猫のお昼寝書籍情報
   【New:買った本、気になる本、積んである本】
2章 誰も知らぬパンドラの匣のロマネスク
   【旧:ヒビ・クラ氏(日々暮らし)日記】
3章 本の読みごろ
   【New:読んでいる本、読み終えた本】
4章 役に立っている留守番猫アビー
   【旧:お転婆・猫のアビー】
5章 本を積み上げるだけが人生じゃない
   【旧:ヒビ・クラ氏(日々暮らし)エンターテイメント】
6章  I (僕)の唄【創作・想作・奏作】
パンドラの匣のロマネスクは誰に知られたか あとがきにかえて
特別附録「オタク拝見」
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Nyahoo!猫の、森→町→島

Nyahoo_7 Nekoshima Nyahoo!といたしましては、買うまでには至りませんでしたが、猫好きの方に広くお知らせいたすべくここにご紹介いたします。『猫島ハウスの騒動』―思わず表紙買いしそうな勢いでしたが、思いとどまりました。

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DVD『猫町』

Nyahoo_6 Nekomati 猫、猫、猫、猫、猫、猫の町。幻惑の猫の版画と、幻想の朗読でもたらされる萩原朔太郎の『猫町』、その新感覚表現・画ニメDVD。

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映画『アタゴオルは猫の森』

Nyahoo_5 Atagoal1 どこかで見かけたようなこの猫は結構な人気者らしい。だから映画になるらしい。映画に出るならもう少しスリムになったほうがいいような気もするが、そういうキャラなら何も言うまい。ともあれ、言葉を話せる猫と自由に暮らせる世界があるなら、すぐにでも移住したいと思うのはおそらく僕だけではないだろう。

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本『怒らないこと』

No_angry  僕は昨日、仏教に出会いました、本屋で『怒らないこと』と出合ったことで。やさしく、わかりやすい言葉で“怒り”の愚かさを知らしめてくれます。最近は怒りについての本を読むことが多かった中で最も心に響いてきました。この本を通して少しでも僕の内なる怒りをなくしていければいいと思っています。
 この著者はスリランカ上座仏教の長老で、顔写真を見れば、あるいは名前だけでおわかりの方がいると思います。僕も本屋でよくお見掛けしていた方でした。でも仏教ということでこれまであまり関心が向くことがなかった分野なので、本を手にしてみたことはあったものの、読んだことはありませんでした。今回、この『怒らないこと』を通じて、仏教について、釈迦の言葉について学んでみたくなりました。そのきっかけは本書のこの一言、仏教は感情を人格化しないということです。どういうことかというと、有難き教えの多くには人間の感情などには神が宿っているとするものが多く、そう捉えてしまうことで本来、自分の中にある感情を、神が宿っているであろう感情を自分のこととは区別して見てしまい、感情と間違った方法で向き合うことになるというのです。“怒り”という感情ひとつ取ってみても、怒っているのは自分であり、神ではありません。神が感情に宿ることを通して、自分の中にも神がいると思うのはおこがましいことです。長老曰く、怒りときちんと向き合う方法は『怒らないこと』、この一言につきます。怒らなければいいじゃない、というのです。これほどわかりやすい言葉はありません。またこれほど実践することは難しいことはないかもしれません。それでも怒らなくなれそうな気持ちにさせてくれるお言葉がいくつも書かれています。この本を怒れる多くの人々に読んでいただきたいと思います。Ikari2   お金を払ってまで怒り放題というメニューを選ぶだろうか!?
  怒りを静めるためのイメージ『怒り放題』 by Rhyme(らいむ)

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猫のアビー、新しい冒険場所

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 「お邪魔しま~す」と僕が風呂に入ろうとすると、どこからともなく駆けつけて、僕より先に風呂場に入っていくアビー。どうやらアビーはこの夏、新たな冒険場所として風呂場に足を踏み入れる決意を固めていたようです。僕らは暑さが増すにつれて、湯船に浸かることが少なくなり、シャワーで済ませてしまうことが多くなっています。アビーは浴室内に入ると、お湯が張られていない浴槽に飛び込んだり、縁に飛び上がってきたりをしばらくの間繰り返します。そのうち僕が体を洗うため、シャワーからお湯を出し始めると、浴槽に飛び降りて、僕のほうをじっと見上げます。
「あたしにお水をかけないでね。湿っぽいことは大嫌いなのニャ」
「はいはい、気をつけてお湯を出しているし、かからないようにしますよ」
「そうそう、わかってくれてればいいのニャ…ちょっと退屈だけど、体、洗い終わるまでここで待ってるニャ」
……
「オッ! 水が飛んで来たニャ。かからなくてよかったニャ。ちょっとぉ、気をつけてニャ!」
 それでもどうしても水しぶきがあちらこちらへと飛んでいってしまいます。そのことに嫌気がさしてくるとアビーは縁に飛び上がったあと、濡れている洗い場に飛び降り、「もう出る」と取っ手に向かって背伸びします。
「はいはい、わかりました。外で待ってて。ちゃんとバスマットで足を拭いてね」言うことがわかっているのかいないのか、僕が風呂場を出る頃にはマットの上に寝っ転がっているアビーです。

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