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本『ケッヘル』

K_1 K_2  中山可穂さんという作家を初めて読んだ。『ケッヘル』という本で、上下巻ある長編だ。最近は短編をちょこちょこ読んでいるとはいえ、長編好きな僕は書店で手に取ってみた。モーツァルトの曲が絡めてあるストーリー。別段、モーツァルトのファンでもないし、飛びついて買うことはしなかった。ただ、ブックオフでまだ発売されて間もないこの本を見かけた時には躊躇せずゲットした。新刊の半分の値段で手に入れることができた。今、空前の本浸りになっていて、最近買ったものだけでも20冊を越えそうな中、この『ケッヘル』を読み始めた。
 はじめからアダージョ(ゆるやか)に、レガート(なめらか)に読み進めることができた。のちのち起きる出来事を想像することが難しいほどのカルマ(静謐)とコン・グラツィア(気品をもって)、惹きつけられていった。上巻の各章は話の主体がかわるがわるスタッカートのように飛び飛びで語られる。その片隅にフィガロという名の猫も登場してくるのだが、主人公がその猫にしょっぱい韓国海苔を毎日のように与えることに僕は憮然となる。あとからアフェットゥオーソ(愛情こめて)に、コン・フオーコ(熱烈)に描かれる同性愛に比べたら猫のことなどどうでもよかったのか、大切に扱われていないのがメスト(悲しい、憂うべき)だ。主人公と作家のどちらの知識が浅いのかわからない。また、この猫は一連の事件が語られる現代からさかのぼること30年以上前にも、その発端となる忌まわしい蛮行が繰り広げられる頃にも登場する。長生きする猫がいるにしてもそこまで長寿なものは少ない。おそらく韓国海苔の食べすぎで腎臓をやられて、早くに亡くなり、現在に暮らしているフィガロは2世、あるいは3世といったところだ。いくらモーツァルティアンが名づけたからといって、飼う猫すべてにフィガロという同じ名前をつけるというのはいかがなものか。
 さて、第1の事件が起き、アタッカ(休みなく次を始める)に第2の事件が続く頃には怪しい雰囲気が漂ってくる。登場人物の関係がポーコ・ア・ポーコ(少しずつ)何かあるぞと匂わせてくる。そして下巻に入るとふいに全貌が見え始め、この先はどうなるの?、この顛末はどうなるの?とページをめくるのがアッチェレランド(だんだん速く)なっていく。事件の首謀者は誰なのか?、その奥にアジタート(激しく)たぎる烈火のような憎悪、救いようのない悲しみ。アル・フィーネ(終わりまで)へと一気に読ませる。グリッサンド―小説という名の鍵盤の上にケッヘル番号を滑らせることで、エレガンテ(優雅に)、コン・モート(動きをつけて)、エスプレッシボ(表情豊かに)物語が展開されていった。ミステリーとくくることはできないまでも、『砂の器』の雰囲気を漂わせる場面もあり、人間の内なる奥底に秘められた、ほの暗い闇をペザンテ(重々しく)、エネルジーコ(精力的に)描いた小説だった。

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