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2006年7月

猫のアビー、とおりゃんせ、とおらせん

Ab156 「もうそろそろ帰ってくる頃だニャ」







Ab157  「ただいま~」

 「あっ、帰って来たニャ。今、あっちの部屋でお着替えしてるニャ」



 Ab158_1
 「もうすぐこっちに来るニャ」







Ab154
 「アビーちゃん、ただいま。入れて、アビー。足、挟むよ~。入れてぇ~」





Ab155
 「だめだニャ。ここは風がスースーして気持ちいいのニャ。通せんぼニャ」




 「くすん、怒られたニャ」

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猫のアビー、扇風機をドライヤー代わりに

Ab148 梅雨明け間近ですニャ。最近は暑い日が続いて、汗だくだくですニャ。毛皮を脱いで、すっぽんぽんになってみたいですニャ。そうもいかニャいので、シャワーを浴びて、さっぱりするのですニャ。
 ということで、空に晴れ間がある今日、久しぶりにアビーの体を洗ってあげました。いつものように極端に怖がることはありません。ただ、時間が経つにつれて、(もう、いやだニャ!)と暴れ出します。(やめてくれニャ!)と奥様に掴みかかり、逃げ出そうとします。必死に抑えこみ、無事終了。入浴後は扇風機をドライヤー代わりにして、自分の舌もフル稼働して、お手入れ、お手入れ。これでこれからの真夏を乗り切るのニャ!

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本:怖いもの読みたさ #2

Daylightblack 『大人のための怪奇掌篇』を読み始めてもいない頃に怖いもの読みたさ繋がりということもあって、その帯を読んで、(イケてるかもしれない)と手に入れました。そこには、本当の恐怖は日常に潜む、とありました。おっかない状況でおっかないのは当たり前、一見おっかなくなさそうな日常の中におっかなさがあるんだよ、というのがこの本の狙いとのこと。読み始めて、先へ先へとすいすい読み進めていきました。鈍感な僕はちっともおっかなくならないうちに読み終えていました。すいすい行き過ぎたかな、と気になるところをもう一度読み返しましたが、(このへんがおっかない)と思わせたいのだろうなとのんびりした考えしか思い浮かばず、著者の意図を十分に味わうことができませんでした。それよりも何らかのきっかけで、それまで普通に暮らしてきた配偶者がうつ病になり、その治癒が遅れ、長引くことでもう一人の配偶者までうつ病に侵されていってしまう例が数多く起きていることに怖さを感じます。あなたのすぐ隣にいる人の異変に気がつきますか? 気がついていますか? それがあなた自身をも蝕んでいくことになるかもしれませんよ。

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本:怖いもの読みたさ #1

Zzz 怖いもの見たさに…そう、怖いけれど、見てみたい、そんな思いを抱きながら、両手で目を抑えても、自然と指と指の間に隙間をつくり、怖そうだけど、とても気になるものを見ようとします。わかる気がします、その気持ち。真夏が近づくにつれて僕はなんだか怖そうだけれど、とても気になるものを読んでみたくなりました。そう、怖いもの読みたさ。

 倉橋由美子さんには『大人のための残酷童話』という本が出ていたのは知っていました。別に怪談は読みたくないし、(それに童話じゃな。今さら一寸法師やかぐや姫を読んだって)と手にしたこともありませんでした。ところがある日、この厳かで怪しい雰囲気の表紙が目に飛び込んできて、ふむふむと手にしてみました。どうやらオリジナリティ溢れる、怖くて、不思議なお話らしいと読んでみることにしました。陰と陽、日常の裏の変容、普通の奥の異常、それらを垣間見る興奮。その中の一編をご紹介しましょう。その前に皆さんはご自分の生まれの星座が何かご存知ですか? もちろん僕は知っています。メェェェ~…

 『革命』―小さな頃からが嫌いだった小田氏は自分の身体の中から声がするのを聞きます。どうやら「入ル」「入レサセナイ」などと相対するもの同士が押し問答を繰り返している様子。いつになってもその60年代の闘争や革命運動を思わせる声が止むことはありませんでした。幻聴かはたまた分裂病か。小田氏はある時、事を為そうと行動を起こしているものが自らのことを“蟹”と名乗っていることを知ります。蟹は抵抗に合いながらもその数を日増しに増やしていきます。またその声は徐々に鮮明になっていきます。ここに及んでようやく精神科の友人・畑中氏の元を訪ねていきます。そこで蟹と称するものが押し進めている革命なるものの一部始終を話します。畑中氏の見立ては精神病と断定する確固たるものもなく、合わせて身体のほうも病院にかかるようにと進言するに留まりました。その後、畑中氏はロブスター料理を食べているときにヒポクラテスの本に蟹の絵が描かれていたことを思い出します。蟹、蟹座、英語では Cancer、お気づきでしょうか? 別にあるもうひとつの意味を…。それは癌です。畑中氏はある推論が核心に迫りつつあるのを感じます。久しぶりにあった小田氏はすでに危篤状態に陥っていました。まるで癌が横になっているとも言えそうな、その壮絶な姿は見るに耐えないまでになっていました。おもむろに小田氏が唇を動かす様子を見て、畑中氏は耳を近づけて、その言葉を聞きます。
「革命ハ成ッタ、と連中は言っている」…(中略)…「おれはとうとう蟹になった」と。

 僕は知りませんでした。cancer が癌であることは知っていましたが、蟹座というもうひとつの意味があることを…。

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U-NIGHTed 727

93 涙がこぼれることはありませんでした。涙すら流れることはなかったといったほうがいいのかもしれません。最近、観た映画の前に流れる予告を何度も見て、そのたびに涙していたにもかかわらず、実際に映画を観る段になって涙は流れ出る幕はなかったようです。それほどまでに現実に起きた出来事を目の当たりにすると固唾を呑むこと以外に身の処しようがないといえます。

 7月27日、映画『ユナイテッド93』の試写会に出かけました。「仕事の関係で、試写会を観ることができるよ」と奥様()に誘われ、観たいような、観たくないような複雑な気持ちのまま、申し出を受けていました。会場は機内を思わせるコンパクトなところでした。この“機内”は、B列やI列がない飛行機とはまた違って、窓がなく、中央に10席ほどが隙間なく並べられ、その両脇に通路があるつくりになっていました。そもそもホールとはそういうものであるし、小さければ、席と席の間に通路を設ける必要もないというものです。“ない”ものつながりで話を進めれば、新作映画の予告もなく、定刻を告げ、「それでは上映いたします」の声とともに映像が映し出されていきました。

 話題になった般若心経などが読経される声を聴くことは心地よさにつながることもありますが、この映画の場合、最初に響き渡ってくるコーランを読みあげる声には背筋が寒くなる思いがするとともに、筋違いな憤りをも感じることになりました。何もイスラム教が悪いわけではないのですから。その声の主はテロの実行犯たちです。9月11日、空港へ向かう前に準備を整えつつ、神に祈りを捧げているのです。神とは何でしょう? もしも存在するならば…。あの事件が起きたことからするならば、神などどこにもいるはずがありません。

 空港の様子はいつもと変わらない一日が流れていくだけのはずでした。ところが異変が生じ始めます。やがて世界貿易センターに突入していくことになるアメリカン航空11便が管制塔との通信をもとうとしません。ハイジャックの可能性を示唆する情報が入ってきます。各種情報が飛び交い、分析に回されます。どうやら複数の飛行機がハイジャックされているとの情報がもたらされます。次第に情報は思うように入ってこなかったり、思うように伝わらなかったりして、空港、軍、政府を混乱の渦に巻き込んでいきます。そうこうするうちビルに飛行機が衝突したとの一報が入ってきます。CNNが流す映像が生々しく映し出されていきます。空港の窓から臨む摩天楼では煙を上げる世界貿易センターが悲鳴をあげています。一方、対策に追われる管制塔や軍司令部には重苦しい沈黙と静寂が流れます。想像も及ばない悲劇が起こったのです。

 「行動を起こせ!」-事態を収拾するために情報収集と苦渋の選択を伴う対策が模索されていきます。しかし、世界の警察を豪語する、さしものアメリカも混乱の一途を辿り、為すすべなく最悪の事態へと進む時を押しとどめることはできませんでした。南塔への飛行機衝突、ペンタゴンの爆発崩壊、そしてユナイテッド93便。乗客たちも起き続けている悲劇を知ることになります。(このままでは自分たちも同じ運命を辿ることになる)-屈強な乗客たちは勇気を奮い、ハイジャック犯に反撃を試みることにします。他の乗客たちは電話を使い、地上にいる家族へとメッセージを残していきます。「ありがとう」「愛している」「さようなら」。遂には93便にも悲劇が訪れます。

 その映像のリアルさと臨場感で迫ってくる悲劇は息を潜めて、ただただ見つめているしかありませんでした。本当のことをいえば、実際に93便の中で何が起きていたのかは知る術もありません。にもかかわらず真に迫って訴えかけてくる映像の源は、事件当日、現場にいた本人が同じ役で出演していたり、遺族や関係者からもたらされた情報と事実を丁寧に積み上げて、この映画がつくられているところにあるのです。どうすることもできないまま事態は先へと進みつづけていきます。わずかにしか希望が残されていない中、家族にメッセージを残していくシーンでは感極まるものがありましたが、不思議と涙はこぼれませんでした。圧倒されていて、感情が表に出すことができなくなってしまったようでした。身体がひと回り小さくしぼんで、身を固く閉じていました。重苦しい気持ちだけが身体の中を駆け巡っていました。なぜあのようなことが起きたのでしょうか? 誰が起こしたのでしょうか? この映画を観て、涙を流す人もいるでしょうが、さほどその数は多くないのではないでしょうか。涙を流すことなく、その前に圧倒されてしまうでしょう。ハンカチは必要ありません。もしも皆さんがこの映画を観ようとするならば、受けとめる覚悟は必要です。公開は2006年8月12日。あなた()と悲劇を共にした27日の夜(NIGHTでした911giwaku

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Everyone, come here!

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左から
 Brendan Lovell(ブレンダン・ラベル)=ケント役
 Gareth Davis(ギャレス・デイビス)=ブラウン役
 Henry Dittman(ヘンリー・ティットマン)=マット役
 Alexander Watson(アレクサンダー・ワトソン)=ジェイコブ役
 Michael Wood(マイケル・ウッド)=アンカー役

 テレビCMを見ているときには気がつかなかったなぁ。通勤途中の車内で、窓ガラスに張られていた広告ポスターを見て、やばい! 思わず爆笑しそうになってしまいました。こ、これは…。
 初めに、ジェイコブを見たとき、どこか懐かしいけど、どこか違和感を覚えました。何なんだろうなぁ、と思いつつ、視線を左にもっていくと、わっ!ケントだ、ってな具合。そうなるともう、おぉー、マットだ、アンカーだ、わかりづれぇよブラウン!? それにしてもなかなかやるね、キリンさん。さすが一番絞りをつくるだけのことはある。でもこのCMは淡麗だったっけ! 面白い切り口、ビッグなチャレンジに、いい感じなはずし具合。絶妙だ! この夏は淡麗も飲んでみようかな?

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映画『M:i:Ⅲ』

 日曜日(23日)に観に行ってきました。シリーズの中では一番よかったと思います。今回のいわくありげな《ラビットフット》については最後までそれがなんなのかわからないまま進んだのが面白い。そんなことはどうでもいいといわんがばかりに、愛、信頼、チームプレイ、諦めない気持ち、約束を守ることなどメッセージが度迫力な映像で示されていたように思います。
 映画を終えて僕らが目指したミッションは幾度めかの不首尾に終わりました。そのミッションとは、コールド・ストーン・クリーマリーをゲットすることでした。またしても長蛇の列にめげてしまいました。でも、諦めません。いつかはこの胃におさめてみせます!

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生命の言葉

Yorikakarazu 我が欠片 君の和みに埋められて
 命の深み満たされん

 そうでしたか、茨木のり子さんはお亡くなりになっていたのですね。よくは存じあげませんが、以前、書評か何かで勧められていたので、『倚りかからず』を書店で立ち読みました。できる限り倚りかからず生きていきたいものですが、人間どうしたって少なからず欠けている部分をもっているもの。それをできあいのものでなく、心から通じ合えるものとつながっていたいと思います。茨木さんの言葉の力に出あえた有難さを次に広げようとおくります。

 生命は       吉野 弘

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真夏に観る、聴く♪春の祭典♪

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 昨日(21日)、奥様が観ていた映画『ベルリン・フィルと子どもたち』をつられて、何気なく、見入ってしまった。流れてくる音楽が物凄く迫力があったからだ。ストラヴィンスキーの♪春の祭典♪だという。タイトルは知っていたような気がする。学校時代に音楽の時間に聞いたことがあるのかもしれない。リビングにあるクラシックCD全集の中に揃っているにもかかわらず、これまできちんと聴いたことがなかった。今、こうしてそのCDを聞きながら、ブログしている。静から動へ、動から静へ、動から動へ、そして爆発! 音楽は爆発だ! この曲を聴いていたら、岡本太郎氏の《明日の神話》のテーマ曲のように思えてきた。Asu_sinwa2_1

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想作『DEATH』 by Rhyme

Black  死はいついかなる時に訪れるかわからない。また、運命によってあらかじめその生涯がいつ終わるか定められているともいう。ただその時がいつかはやはりわからない。いずれにせよ生あるものには必ず終わりが来るということだけは確かだ。こればかりは霊長類の長たる人間にとってもいかんともしがたいことのようだ。その昔、大昔、類人猿から現代に至るまで人は進化し続けてきた。にもかかわらず死ばかりは手なずけることができずにいる。また、それと同時に死も進化を遂げてきた。その例として最近の死は生命の終わりを告げるためにやって来るという。人に相対する場合、死は人のどちらかの肩の辺りをトントン、トントンと2回ずつ計4回叩くという。そして叩かれた肩とは逆の耳元でささやくという。「あなたの生命は2007年7月22日の16時34分17秒に決まりました。ご準備なさい」などと、肩を抱かれながら、死によって、短く、具体的にその日時を告げられる。それを聞いた人々の反応は様々だ。仕事の疲れから来る空耳だと思う人、信じがたくとも真に受けてパニックを起こす人、あわてて人間ドック、脳ドック、心臓ドックに駆け込み、診察を受ける人、などなど。大半の人は為す術もなく、自分の元にやってきた死のお告げどおり、その時を迎えていった。ところが一部の人間たちに告げられた時が来ても、生き延びる者が出てきた。話を聞くと、その術とは死と直接、交渉するのだという。具体的な夢を描き、夢実現までの流れの中を10年単位、1年単位、1ヶ月で区切り、目標と行動指針を示す。また、定期的にその進捗状況を伝え、死を納得させることでその期日を延期してもらえるのだという。やがて人類は死の延期という成功体験を遺伝子レベルにまで浸透させ、徐々にではあるが、更なる進化し続けていくことになる。こうして夢の力はそれまでの常識を覆しつつ、21XX年の段階で長寿記録を215歳まで伸ばしている。           著 Rhyme(らいむ)

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本『ムットーニ おはなしの小部屋』

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 タロットカードにインスパイアされて描かれるショート・ショートな物語。ここで取り上げるのは、THE HERMIT ― 隠者 と呼ばれるカード。孤独な城主は月を眺めるのが大のお気に入り。さらには月明かりに映し出される自分の城を見て、「美しい!」と満足する。ただ、その光景を眺めるには自ら自分の城を出て、遠く離れたところへ出向かなければならない。主なき城、それは徐々に朽ち果てていく運命。まさに世捨て人、隠者が佇むにふさわしくなっていく、そんなお話。
 この他に、大アルカナのいくつかを取り上げて、語られる。しかし、惜しむらくはそれがすべて取り扱われていないことだ。すなわち、The High Priestess(女教皇)・The Hierophant(法王)・The Lovers(恋人)・The Chariot(戦車)・Strength(力)・Death(死)・Judgement(審判)についての物語はない。ならば、ひとつ補ってみようではないか。

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本、手にすれど、体、動かず

Wa_sintaisahou Sabiotosi 昨日の勤務中は本当に体がだるかった。頭が痛いわけではなかったけれど、全体的にぼんやりして、立っていることが辛かった。なので人目につく場所ではあったけれど、椅子に座って、動くべき時までじっとしていることが多かった。帰宅後もその調子は変わることがなく、溜まっているであろう疲れを取ろうと、暑い日が続いてからというものシャワーで済ませていた入浴を久しぶりに湯船に浸かることにした。上がったあとに汗をかくのも嫌だと思ったのでお湯の温度を39度に設定したのだが、少し物足りなかった。いっそ熱いお湯に浸かって、汗をかいたほうが疲れも一緒に出たのかもしれない。少し前まで(お腹周りが太くなってきたかな)と思っていたけれど、この頃は見慣れたせいか(こんなものか)とやり過ごしている。浴室に備え付けられている鏡に映った自分の立ち姿を見て(まあまあ、そこそこいい線の体つきではないだろうか)とうぬぼれることが最近、よくある。(きっと少し鍛えれば、胸の厚みも増し、お腹もへっこみ、腕っ節も強くなるかもしれない。いっちょトレーニングしてみるか)と思い立って、その手引きとなる本をちょこちょこ買ってはみるのだが、実際に体が動き始めたという試しは僕の人生の中でそれほど多くない。それはまさにこの今も、だ。

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本:漱石と猫と坊ちゃん

Uranari_1Neko_souseki その昔、夏休みの読書感想文に読んだ夏目漱石の『坊ちゃん』と『吾輩は猫である』。そこから派生して登場してきた本2冊をご紹介しよう。まずは『うらなり』―ご存知『坊ちゃん』に登場する人物。そのうらなりを通して描き出されるという人生の真実。面白い着想と試み。これはまだ手に入れていないけれど読んでみたい作品。これとは逆にブックオフで見かけて、手に入れたのが『玄耳と猫と漱石と』。飼っている猫ミイを手放さざるを得なくなった玄耳は、「これはいい猫だ」と誉めてくれた漱石に預けることにした。この猫が名前がまだ無い、あの猫と同じなのかはわからないけれど、そうだとするなら面白そうだと思って手に入れました。名前がまだ無かった猫は前の飼い主の所では“ミイ”と呼ばれていた。そういうことを思い描きながら読むとまた面白いかもしれない。ただいま積読中。

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本『人はなぜ…』 まだ読みかけ

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 『人はなぜ怒るのか』―これは『人はなぜ謝れないのか』と関連しているように思える。怒りを感じない日はない。また素直に謝れないことのほうが多い。それはなぜなのか、解く鍵はすでに僕の中にあるというのに…。

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本『ダヤンのタロットカード』

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 また一つコレクションが増えてしまった…。

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本『誰もいそがない町』

Daremoisoganaimati 誰もが普段、何気なくちょっとした空想や想像をめぐらせていることがあるだろう。それらを膨らませて、表現されたものがこのショート・ショート『誰もいそがない町』。これまたブックオフで見つけた本。この大きさはなんというのだろう、15cm角位の変則的なものだ。タイトルに惹かれた―誰もいそがない町。現代人は皆急ぎ過ぎている。生き急いでいる。そのスピードを少し緩めてくれそうな短いお話が満載の本である。
・エレベーターが来ないわけ
・簡単で必要な「答え」
・彼女のコンプレックス
・きみが眠りにつくと
・うぼつて
・地下鉄の出口で
・夢市場にて
・衝突回避運動理論
・高い高い木のてっぺんで
・赤面と神様
・秘密工場
・電気虫
・冬のユーレイ
・波打ちぎわにて
・春風のドレス
・知らなければならないこと
・拡大季節会議
・自分というものをしっかりと
・誰もがいそがない町
・少しずつ死んでゆく
・点滅
・勇敢な洗濯機
・世界で一番の木
・風船の墓場
・ちょっと海へ
・方程式の解法
・クッキーの型のように
・彼がいなくても都会は
・星泥棒
・消えてしまったものは
・てんびんの日
・まくらの国
・ガラスの魚
 以上がストーリーの全タイトルだ。その中でお気に入りをひとつ取り上げよう。《拡大季節会議》―四季折々の仲間が集まって会議を開く。議題は“春の朝は眠たい”と言われることに対して、“春”が異議申し立てをすることで展開されていく。春曰く、朝なんて一年中眠たいものなのになぜ自分ばかりがそのように言われなければならないのか、と。会議は春に行われているようで、終わったばかりの冬は会議などどうでもよくゆっくりしたいと思っている。夏は、そんな春の言い分なんてどうだっていいじゃないかと言う。「私なんか、…みんなに嫌われてばっかり」と泣きながら発言するのは梅雨。その後もいろいろな発言が出され、ようやく季節仲間が団結して、春のイメージアップに力を合わせようと決意するに至る。そう決まったところで、仲間たちは春にそのことを伝えようとした。ところが春は「ZZZZZZZZ」…会議の途中から居眠りをしていた。やっぱり春の眠気は人一倍ならぬ季節一倍のようだった。

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猫のアビー、2007年成人式ファッションモデルとなる

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 おめかしのモデルになるのもいいけど、真夏にこの撮影はとても暑いですニャ。でも今から用意するくらいじゃないと素敵なドレスやお着物を着ることができないんですって。そうそう、おしゃれのポイントのファー・ショールもね…。もちろんあたしのは自前だし、フェイクじゃなくて本物よ、フッフッフ…。

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本『正しい猫の数え方』

Cat_cats_catss 我が家には猫のアビーが1匹。アビーの友達として2匹目の猫が欲しい。でも3匹はいらない。いっぴき、にひき、さんびき、よんひき…。同じ“匹”という漢字でも並ぶ数字が違えば、読み方も変わってくる。僕ら日本人にはなんてことないように使っている表現を外国人に使いこなせるように教えるのは相当難儀なことのようだ。その顛末が書かれているのが猫エッセイ『正しい猫の数え方』の表題作。数え方の読み方もさることながら、文節の区切り方もまた一興。正しい猫の数え方を「いっぴき、にひき、さんびき…」と教わった外国人が「タダシイネコ?」と首をかしげる。正しい猫とはどんな猫のこと?というわけだ。その正しさとは礼儀正しさを指すのか? そんな猫にはお目にかかったことがない。いやはや、「ただしいねこのかぞえかた」とは「正しい、猫の数え方」でもなく、「猫の、正しい数え方」と表現したほうがよいことに落ち着く。日本語とはこうもややこしいものであったか。
 と、ここまで書いてきたところで、アビーが「何が正しくて、何が正しくなかろうが…」と口をはさんでくる。
「あたしの、カリカリの、正しい食べ方はね、サイエンス・ダイエットの大きい粒粒を先に食べてから、ロイヤルカナンの小さな粒粒を食べるということ、なのよ」
「はい、はい、貴女はいつもそうしていますね。おいしいですか? 大きい粒粒の、サイエンス・ダイエットは?」
「はい、おいしいですニャ」Gohan

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フォトエッセイ『職業犬猫写真家』

Cat_dog_niimi_2  猫の写真が魅力いっぱいなのは、プロの写真家の腕がいいからなのか、猫にモデルとしてのプロ意識があるのか、どちらなんだろう? きっとどちらも必要な要素に違いない。一期一会という名のマジックも…。僕らがアビーに出会えたのもまさにそのマジックという名の運命のおかげ…。

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猫のアビーが僕らを起こす方法

Ab133 朝の5時前後、アビーはゴソゴソと動き出す。
 「おはよう、みんな! ご飯の時間だよ」と。

 和室で眠っている僕らの傍らにある窓の障子にツメを立てて、僕らを起こす。その昔、初めて障子を破られてからというもの苦労して張り替えては、僕らはなにやかやとブロックを試みてきた。でも、最近はいくらパネルを立てかけていようと、いくら通年、出ている温風ヒーターを囲いごとブロックしていようと、その幅1cmもないパネルやフェンスにエイヤッ!と上り、ツメを立てる。まさかそんな細い所に上がって、伝い歩きするとは露ほども考えていなかった僕らを尻目におたおたとしながらも、前足はしっかり障子に伸ばし、ツメを立てている。その気配を感じて、障子に手がかかる前に起きて、アビーを確保する必要がある。ただ必ずしもそうできるとは限らない。眠気が勝り、布団から起き上がることができずにいると、カリ、カリ、バリッ!と破ける音が部屋に行き渡る。(あぁ、またやられてしまったぁ…)。アビーの障子への執着、いや、お腹の空き具合は相当なものらしく、障子を一掻きしたくらいではおさまらず、僕らが起きるまで、僕らがご飯の準備に向かうまで障子を掻き続ける。

 (起きて、起きて、起きて! ご飯、ご飯、ご飯!)

 1箇所破られたあとはもうこれ以上破られまいと、アビーの気配を察知して、未然に防ぐことを心がけていたけれど、破かれた箇所が2箇所、3箇所と増えていくごとに僕らの反応は鈍くなり、最近は諦念の観を覚えている。そしてこの夏、2、3ヶ月の内に我が家の障子は惨憺たるものに変貌している。今朝もパネルを伝い、フェンスへと進み、破かれた障子越しに顔を突き出し、「ずいぶん、明るくなってきたね。もうご飯を用意してくれてもいい時間だね」と外を眺めていた。「ごめん、アビー、もう少し眠らせてくれ」。2006年7月19日午前5時30分。Ab134

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本『千年天使』

Sennentensi     「僕の天使祓いをしてください」と突然頼まれたら、誰だって驚くだろう。なんだ、天使祓いって? オーメンやエクソシストの悪魔祓いならまだわかる。天使がついてちゃ、ダメなんか?ってな感じで、魅惑的なタイトルに惹かれてゲットした本『千年天使』。メルヘンな血が体を流れている僕はまたまたファンタジーを読むことになった。かといってほのぼのとしたものとは少し毛色が違い、スピリチュアルな要素 ― 天使、一角獣、黒魔術、輪廻転生、前世療法など ― がふんだんに絡んで、独特な妖しい世界が展開していく。この本では愛する者への一途な想いが苦悩から安らぎのある世界へと導かれていく。

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本『夏化粧』

Natsugeshou 本屋にフラッと入って、タイトルとこの絵に惹かれて手にいれた本『夏化粧』。産婆のオバァのまじないによって、他人には姿を見えなくされ、母である自分にしか見えなくされてしまった愛する息子。その姿を取り戻すには他の人に託されている「7つの願い」を奪い取ってこなければならない。井戸を通じて、陰の世界へ飛び込み、母の津奈美はまさに津波のように獅子奮迅の冒険を繰り広げていく。その一途な奮闘振りは、これぞ、母の愛と呼べるべきものだった。我が子を含め、何の罪もない子どもらを殺めてしまった誰かとは大違いだ。母ならば、また父ならば、我が子を守るために自らの命を賭してでも想像を絶する闇と対峙するのが本能というものだろう。子育てに具体的には役に立たないファンタジーながら、親としての心根を思い返すにはいい本だと思う。

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本『黒猫ネロの帰郷』

Blackcat_nero これもブックオフで手にいれたものだ。まさに千載一遇、古本屋でないと出合えないような代物だと思う。即、買いだ。主人公のネロは今は亡きケントに似ている。ケントは黒い毛皮を身につけ、四肢に白い手袋をはめていたけれど、ネロは足ひとつにしか手袋をはめていないところが違っている。ケントはネロのように威張りくさっていなかったが、勇ましさの面ではスズメや鳩をお土産に持って帰ってきたものだった。本の中身はネロが生まれて、農家で暮らし、やがてドイツにもらわれて行き、十数年経って再び農家へと戻ってくるまでの出来事をネロの言動を通して語られるというもの。あっという間に読みきれる。猫好きさんなら、ほのぼの間違いない!

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絵本『夜にみちびかれて』

Yorunimitibikarete Amazonにみちびかれて、思わず本屋に駆けつけて、手に入れたのがこの絵本『夜にみちびかれて』。この表紙を見ただけで(これは買いかも)と予感が走り、案の定、そうなりました。大型絵本だけにページ数は少ないのですが、どのページもネコ好きにはたまらないひとときが描かれています。その中で大のお気に入りは、猫が廊下を歩いてきて、それに続く部屋へと入ってきたときを捉えた絵。いろいろある絵の中でこの絵が捉えている一コマを我が家のアビーを通してよく目にしているからかもしれない。絵本を眺める者をキリッと見つめ返すその瞳がたまらなく印象的だ。もしも本屋でこの絵本を見かけたら、めくってみてほしい。猫好きの皆さんはそれぞれどの絵にひきつけられるのだろうか興味深い。

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本『ケッヘル』

K_1 K_2  中山可穂さんという作家を初めて読んだ。『ケッヘル』という本で、上下巻ある長編だ。最近は短編をちょこちょこ読んでいるとはいえ、長編好きな僕は書店で手に取ってみた。モーツァルトの曲が絡めてあるストーリー。別段、モーツァルトのファンでもないし、飛びついて買うことはしなかった。ただ、ブックオフでまだ発売されて間もないこの本を見かけた時には躊躇せずゲットした。新刊の半分の値段で手に入れることができた。今、空前の本浸りになっていて、最近買ったものだけでも20冊を越えそうな中、この『ケッヘル』を読み始めた。
 はじめからアダージョ(ゆるやか)に、レガート(なめらか)に読み進めることができた。のちのち起きる出来事を想像することが難しいほどのカルマ(静謐)とコン・グラツィア(気品をもって)、惹きつけられていった。上巻の各章は話の主体がかわるがわるスタッカートのように飛び飛びで語られる。その片隅にフィガロという名の猫も登場してくるのだが、主人公がその猫にしょっぱい韓国海苔を毎日のように与えることに僕は憮然となる。あとからアフェットゥオーソ(愛情こめて)に、コン・フオーコ(熱烈)に描かれる同性愛に比べたら猫のことなどどうでもよかったのか、大切に扱われていないのがメスト(悲しい、憂うべき)だ。主人公と作家のどちらの知識が浅いのかわからない。また、この猫は一連の事件が語られる現代からさかのぼること30年以上前にも、その発端となる忌まわしい蛮行が繰り広げられる頃にも登場する。長生きする猫がいるにしてもそこまで長寿なものは少ない。おそらく韓国海苔の食べすぎで腎臓をやられて、早くに亡くなり、現在に暮らしているフィガロは2世、あるいは3世といったところだ。いくらモーツァルティアンが名づけたからといって、飼う猫すべてにフィガロという同じ名前をつけるというのはいかがなものか。
 さて、第1の事件が起き、アタッカ(休みなく次を始める)に第2の事件が続く頃には怪しい雰囲気が漂ってくる。登場人物の関係がポーコ・ア・ポーコ(少しずつ)何かあるぞと匂わせてくる。そして下巻に入るとふいに全貌が見え始め、この先はどうなるの?、この顛末はどうなるの?とページをめくるのがアッチェレランド(だんだん速く)なっていく。事件の首謀者は誰なのか?、その奥にアジタート(激しく)たぎる烈火のような憎悪、救いようのない悲しみ。アル・フィーネ(終わりまで)へと一気に読ませる。グリッサンド―小説という名の鍵盤の上にケッヘル番号を滑らせることで、エレガンテ(優雅に)、コン・モート(動きをつけて)、エスプレッシボ(表情豊かに)物語が展開されていった。ミステリーとくくることはできないまでも、『砂の器』の雰囲気を漂わせる場面もあり、人間の内なる奥底に秘められた、ほの暗い闇をペザンテ(重々しく)、エネルジーコ(精力的に)描いた小説だった。

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猫のアビー、体を長くして待つご飯

Ab110「ふぅ、お昼ご飯も食べたし、あとは晩ご飯を食べて眠るだけ」
「アビー、そうは言うけど、貴女、一日中、寝てばっかでしょ! それに今食べ終わったばっかりなのに寝っ転がるから太っちゃうんじゃないの?」
「いいじゃない! あたしはネコ(寝子)なんだから」

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猫のアビー、廊下で進入妨害

Ab130_2 アビーが術後、とみに変わったこととして食欲旺盛に伴ってお肥えあそばしているのと、立てこもり、いえ、寝てこもり作戦を開始したことでしょうか。これまでには日中、僕らが留守にしていて、帰ってくるとリビングから駆けて迎えに出てきてくれていたのですが、最近では待ちくたびれてか、玄関からリビングに続くドアの真下に寝そべっていることがあります。僕らが上がってきて、部屋に入ろうとしても立ち上がることなく、寝そべったままで足を踏ん張り、入れさせてくれないという無言の抵抗を見せることがあります。(あたしをいつまで放っておくつもりなのニャ!)とでも言いたげです。これは帰宅時ばかりではなく、僕らがパソコン部屋にこもっている間にもドア下にへばりついて、(またひとりにしてぇ…)と拗ねて、入れてくれません。僕らはそんなアビーをなだめつつ、ドア下の隙間に挟まりそうなアビーの足に注意を払いながら、無理やりドアをこじ開けて、リビングに戻ります。この抵抗をアビーはすぐに諦めてくれることもあれば、長いこと、足を突っ張って、意地を張りつづけることがあります。その態度と姿にはちょっと困ってしまいますが、なんとも可愛くもあります
「アビー、淋しいのはわかるけど、ストレス太りと、その無駄な抵抗は控えなさいね」
「そんなこというなら、もっとかまって、かまって、かまってぇ~」

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映画『ダ・ヴィンチ・コード』

Last_supper3 昨日(7月2日)、映画『ダ・ヴィンチ・コード』を観てきました。本は出版された当初に読み終えており、最近では【ダ・ヴィンチ・コード展】で予習をした上でのぞみました。映像としては展覧会同様、デジタルな世界として十分楽しめたと思います。ただ映画としては熱狂して観る域までに入っていないように思います。内容としてイエスとキリスト教に関するひとつの見方として(こういうこともいえますよ)ということを提示した、知的好奇心をくすぐるものだったことからすれば、エンターテイメント化された映画を観るよりも本を読むことでイエス・キリストの“血”的好奇心を満たすだけでよかったように思います。余談ではありますが、やっぱりアメリさんは独特の雰囲気をかもし出していてよかったです。

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猫のアビー「にゃんと! ハムスターだ!」

「ぬぬっ! ボールの中に隠れて、あたしの遊び場を縦横無尽に走り回ってる。こしゃくな奴だわ」…ソニープラザで見つけたおもちゃです。怪訝そうに見つめ、追いかけています。新友!? 親友にはなれそうもありません…。アビー、頑張れ!Ball_runner2

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猫のアビー「にゃんだ? あいつは?」の巻

 「にゃんだ? あいつは?」

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