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2006年4月

猫のアビーの『キャット・ミラクル』

 僕は意識が朦朧として“倒れて”いた。気分はむかむかとした悪いものというより、むしろ心地よさを感じていた。そんな僕の肩から上腕にかけてグイグイと押される気配を感じる。僕の体を揺り動かし、「しっかりしろ! 大丈夫か? どうしたんだ!?」と気づかってくれているようだった。その力は何度も何度も僕に加えられ、何度も何度も耳元でささやきかけられた。そんなことが5分くらい続けられた頃だろうか!? 僕はようやく正気を取り戻した。目を開けなくてもそこにはアビーがいることがわかった。「よしよし、わかった」-倒れている僕をアビーが救ってくれたわけではなかった。夢心地の世界から叩き起こされたのだった。「はいはい、ご飯だね。おなか、空いたの? 早起きだね、アビーは!」。奇跡は早々起きるものではない。ミラクルは多分“起こす”ものなのだろう。
Catmiracles


 この本には、病気で倒れた主人を起こし、命を助けた猫の話など、猫が起こしたミラクルがたくさん描かれています。

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「わたし、海が見たいの!」

 今日、奥様が留守なのは事前にわかっていたのだが、車のバッテリーまでお留守になっていたのにはガックリきた。車に乗る機会がめっきり減って、(そろそろ動かさないとやばいかもしれないな)とビールを買いに、出かけようとしたところ、ウンとかスンとか二言三言つぶやいた後には一言もしゃべらなくなった僕の愛車。今日の車の語り口くらいなら、今のアビーのほうがよっぽどしゃべる。アビーが車の気持ちを代弁するとしたら、『うんにゃ』と言ったところか!?(…この場合、通訳すると、『だめじゃん!』てな感じ)。そう、車から「No!」を突きつけられてしまったのだった。致し方なくJAFを呼んだ。ここ3~4年、契約継続をやめて、浮いていたお金を一気に吐き出してしまった感がある。追い討ちをかけるようにスタッフの方が「しばらく走って、回復しないようでしたら、交換をお考えになる必要があるかもしれませんね」ときた。(うわぁ、さらにお金が羽根をつけて、飛んでいく事態になるかも…)と内心穏やかならぬものに…。そこでまずはご指導に従い、車を1時間ほど走らせることにしました。「わたし、海が見たいの!」とやおら宣言した女が助手席にいるわけではなかったけれども、僕は家から近い海沿いの道へとドライブに出かけた。何も好き好んで曇り空、雨降る中を一人で海を見にドライブなどしたくなかったがやむをえない。いっそアビーを助手席に乗せて、走ればまた気持ちも違ったろうか!? さて、時々駐車してはバッテリーの回復具合を覗き込んだが、素人目にはよくわからなかった。僕は車にしてもパソコンにしても使うばっかりで中身のことはからっきしわかっていない。はたして回復しているのだろうかと90分走ったのち、車屋さんに診てもらうことにした。どうやら今回は何とかセーフという診断を得て、僕は胸をなでおろした。これを機に運転記録をこまめにつけ、車をいたわってあげないといけないようだ。
 さっそく明日はアビーを連れて、病院に行こう。術後の抜糸をする頃合いになっている。足元にいるアビーに声をかけると、「あたし、病院には行きたくないの!」というニュアンスの返事をする。そうは言ってもね、いつまでもその姿ではいたくないでしょう? それにキャリーに入るの、大好きなくせに! 「あたし、海なら行きたい! お魚、いっぱいいるでしょう!」とな…。

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ルパンを捕まえてヨーロッパに行こう

 ルパン三世を捕まえることが銭形警部の夢だった。また、アメリカに行って、一旗上げて成功することをアメリカン・ドリームと呼んだ。しかし今や、その夢-アメリカン・ドリームはうたかたになろうとしているという。自由を夢見て、自由にさせてもらうことで夢を成し遂げたアメリカン・ドリーマー。けれどもここでいう自由(=自律)とは違う自由(=帰属、関係)が広がる世界がある。そこはヨーロッパと呼ばれている。そしてその地において夢を叶え、その中にいつづけようとすることを『ヨーロピアン・ドリーム』と呼んでいるらしい。
 言い回しで、「欧米に追いつけ、追い越せという精神で日本は国力をつけてきた…云々」とか「欧米と日本との違いは…云々」とかよく耳にすることと思う。ここでいう欧米という言葉をこの本を読みつつ、考えてみると、“欧”と“米”の間にまさに“and”という単語が入っているように思ってきました。つまり、ヨーロッパやアメリカを目標にしてやっていこう、ヨーロッパやアメリカと、日本との力の差、というような感じで、“欧”と“米”を一緒くたにしていたように思います。しかし、この本を読み進めていくと、“欧”と“米”の間には“or”を入れるのが自然に思えます。こんなことは当たり前だよ、と言われそうですが、僕の意識としては“and”でした。実際はまさに今、これからの時代においてはヨーロッパとアメリカには数多くの違いを見出すことができるようです。誰もがアメリカン・ドリームを実現しようと夢見ていると思っているのは間違いのようです。少なくとも(というには数が多すぎるが…)ヨーロッパの人々はアメリカン・ドリームを夢見ていない。それとは対照的な色合いを見せるヨーロピアン・ドリームを叶え、その夢の中にいつづけようとしているらしい。もはやアメリカン・ドリームは色あせ、古い時代や考えにしがみついているとまで思われている節があるようです。そのヨーロピアン・ドリームとはどんなものかというと、それは『包括性、多様性、生活の質、人間性の実現、持続の可能性、普遍的人権、自然の権利、そして地球の平和を尊重する新しい時代へと私たちを誘う。』ものだという。つまり、『誰もが仲間に含められ、誰ひとり取り残されることのない世界で暮らしたいと思っている。…文化的なアイデンティティや地域意識を失うことなく、グローバルにつながることを望んでいる。』という世界を実現したいと思っている。壮大な夢ですね。そこには戦争はなく、動物や人間といった区別なく生きとし生けるものに優しい地球があり、宇宙規模的な広がりへと続いていくようです。このような世界を実現するには一人一人がこうした夢をもち、悲観的になりすぎず、楽観的に取り組んでいくことが大切のようです。かつてキング牧師が「 I have a dream. 」と言ったように、一人一人が「私にはがあります」と胸を張り、実現に向け行動しつづけていけるかにかかっているようです。皆さんも夢を捕まえにヨーロッパに行ってみませんか? ルパン三世を捕まえたかと思ったら、するりと手錠や牢から抜け出されてしまうようなものではない、グローバルな夢を捕まえに…。Edream

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猫のアビー、元気溌剌!

 病院から帰ってくるとき、アビーはエリザベス・カラーを身にまとった女王様のように出てくると思っていました。実際はお腹に包帯を巻かれて、フーテンの寅さんかバカボンのパパかのような格好でした。最近は、あるいはお腹の手術ではカラーをつけないのでしょうか? さて、病院にいたときからすでにその腹巻、いえ、包帯にはしわが縒り始めていて、家に帰ってきてからはあちらこちら動き回っているうちに、また、気になるのか腹巻を舐めているうちにますますしわが縒っていきました。3、4日したら、包帯を取ってよいとのことでしたので、昨日21日になって、しわくちゃになった腹巻を取ってあげました。アビーにとっても窮屈なものだったようです。渇望していた自由を得て、開放感溢れる様子でさっそく部屋のあちこちを飛び回り始めました。その様子を見ている僕も嬉しくなりました。その姿を目で追っていくと、アビーはまるでプードルかのようなくびれが腰の辺りにありました。手術のためにお腹の毛を剃られていて、周りのフサフサの毛と対照的になり、くびれているように見えるのでした。今風の若い女性がやっているヘソ出しルックのようです。見えているのはおへそではありませんが…。毛のないお腹を見てみるとちょっとセクシーな気もします。当のアビーはそんなことは一向にお構いなく、まるで“猫の小判”ならぬ“猫にくびれ”と申しましょうか、部屋中を駆け回っております。

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本『思いは国境を越えて』

 僕らが思っている以上にすごい人がいる。僕らが思いも及ばない世界がある。

 一人の女性が旅をした際に綴った本、それが『Notes from My Travels - Visits with refugees in Africa, Cambodia, Pakistan, and Ecuador.(思いは国境を越えて)』。先に読んだ『ライフバランス』では、「今、私たちの生活をおびやかしているのは、複雑にからみ合った過剰・豊富・選択肢の多さです。」とありました。一方、『Notes …』では、“選択権がない”という表現が所々出てくる。「彼らには選択権がない。自分ではどうすることもできないのだ。私がこれからいく場所で、どんなことが起こるのだろう。わからない」。本当にそうだったのだろう。選択肢が溢れかえる今の日本にいる僕にとっては、彼女が行ったシエラレオネ、タンザニア、コロンビア、パキスタン、エクアドルを知るという選択肢があったとしても優先順位としては後回しになってしまっている。彼女の、これらに対する優先順位は僕よりも桁違いに高い位置にあって、自ら赴き、できる限りのことをし、本にしたり、語ったりすることで、選択権のない人たちに少しでも多くの選択肢を差し伸べようとしている。すごいことだと思う。選択肢に埋もれてしまっている僕とは大違いだ。僕も思う時がある、新聞に載っているフォレスター・プランってなんだろう、とか、ユニセフ募金か、とか、僕にとっては些細な金額が多くの命や暮らしに役立つプログラムのようだ。でも思いとどまってしまう。なぜあまり知ることもない、関心も強くない海外への支援なのか、と。それならばいっそ国内の小児がん治療や盲導犬・介助犬養成を支援したほうがいいんじゃないか、と。ここでも選択肢が多すぎる。また、選択肢のない世界への関心が少なすぎる。そして僕はここに留まったまま、いつの頃からかずっと、ずっと。この『』を通して衝撃を味わう。彼らにしてあげられることは少ないけれど、少しでも分かち合うことの必要性を思い知らさせる。その一方で、選択肢の多さから脱却し、自分自身、バランスよく暮らしていくことの大切さをあらためて考えさせられる。そして物質的に過剰になっている部分を少しでも多く、それを必要としている人たちに届けることを考えてみる必要があると思った。僕にできることを少しでも多く。彼女のように現地に行って、身をもって行動することは難しい。それをやってのける彼女を尊敬し、偉大だと感じ、愛溢れる人だと思う。その人の名は、アンジェリーナ・ジョリー。Notes

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猫のアビー、安らぎの場:座椅子に帰る

 先生方曰く、「昨日はよかったんですけどね。今日は朝からご機嫌斜めで、怒っているんですよ」。昨日、避妊手術を受けたアビーを迎えにいった僕に教えてくれた。案内されて、保護されているところに僕が行っても、ぎゃぁぎゃあ、鳴いて怒っている。「もうあたしに指一本、触れないで!」ってな感じだ。両手を差し出しても奥へ奥へと尻込みしてしまう。少し思い切って踏み込んで、ようやく捕まえ、ゲージの中に入れ、お礼を言って、病院を後にした。昨日は淋しさを感じた青空だったが、今日は喜びの色の空だ。
 仕事を11時に終えた。電車の時刻表を見る。あまりいい時間帯ではなかった。病院への最寄駅に行く便が少ない。逆算するとギリギリの線だった。アビーに一刻でも早く会いたいと思い、家路に向かうのとは違う電車に乗る。乗り換えの駅、接続が悪い。ちょっと難しいかも…そう思った。2度目の乗換、これはグッド・タイミングだった。僅かだが望みがつながった、アビーにお昼には会えるかもしれない。午前の診療時間12時までの再会を逃すと、午後は16時からとなってしまう。最寄の駅に到着したのが11時51分、病院まで徒歩15分といったところか。僕は走った。スーツ姿でほぼ全力疾走! 人通りが少なく、しかも病院への最短ルートをひたすら走った。信号はない。赤信号で一休みしたいけど、できないし、立ち止まったら、12時になってしまう。走りながら商店街に並ぶ店の中の時計を見る。11時55分、あと5分、病院はすぐそこ、でも最初にして最後の信号を渡れば、そこは心臓破りの坂。(どうする!?、どうするんだよ、俺!)と考えられるほど、頭に血は流れていなく、足腰に乳酸ばかり溜まっていく。なんだ坂、こんな坂と僕は走りつづけた。しんどい。でも走りつづけた甲斐があった。僕は12時前に病院に着いた。ところが、病院のドアにある診療時間の案内板には午前9:00~11:30とある。てっきり12時だと思っていた。かなり頑張って駆けつけたんだが、元々無理だったのかと病院の中を覗きこむと、受付の看護士さんと目が合う。恐る恐るドアを開ける。
「今、大丈夫ですか?」
「はい」
「昨日、手術をお願いしていました」
「お迎えですね、どうぞ…昨日はよかったんですけどね、今日は朝からご機嫌斜めで、怒っているんですよ」
 ちょっと心配になった。でも先生方が手を焼くほど、元気に怒っている。安心した。無事に、元気に手術を乗り越えたんだ、そう思った。アビーは普段から怒りんぼうだから、大丈夫。僕は先生方に何度も御礼を言って、家路についた。ゲージの中では揺られ揺られながらだったけれど、アビーは落ち着きを取り戻しつつあった。外の様子を目を丸くして見ている。僕は何度も持ち手をかえながら歩いた。ようやくマンションに着いた。感動的だったのは、エレベーターから降りて、玄関近くまで来た辺りでアビーはゲージの中でごそごそ、もぞもぞ動きを激しくしたことだった。自分が安らげる場所を覚えていた。自分ちに帰って来たことがわかったのだ。さっそく僕はリビングでゲージのチャックを開け放つ。アビーは喜び勇んで、出ていき、懐かしむように部屋のいたるところを回り始めた。うんちも済ませて、今や一番の安らぎの場所:座椅子に横たわり、お昼寝をしている。アビー、お帰りなさい、そしてお疲れ様でした。ゆっくりゆっくりお休みなさい。

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猫のアビーと留守番役を交替する

 今日、8時40分、アビーを連れて、病院に赴く。避妊手術を受けるためだ。先月27日に受ける予定だったのだが、20日くらいから“春”を迎え、延期していたのだ。前日17時からアビーはプチ断食を始め、毎朝の目覚ましコール『ご飯、ちょうだい』にも応えてあげることができない。かなりお腹が減っているのだろうけれど、走り回ったり、威嚇してきたり、元気な様子。いざ、出発の時を迎え、ゲージを取り出し、部屋の中央に置くと自ら入っていく。手を煩わせない“いい子”である。本人(=本猫)はこれからどのようなことが待ち構えているのか見当もつかないまま、ゲージに入れば、表に出られるといういい思い出を呼び起こし、目にも留まらぬ速さでゲージに突入していった。機を逃さず、チャックを閉めて出発。病院まで歩いて20分くらいだろうか。ゲージの中で身を伏せて、揺られ揺られながら、大好きな表の様子を目を丸くして見ている。そんなアビーの様子を見ながら、僕はゲージを右手から左手、左手から右手へと持ちかえる。約4キロほどに大きくなったアビーは片手で持つにはズシリと重い。術後は食欲が落ちて、少し痩せてしまうのだろうか。何はともあれ、無事に手術が済み、元気な姿と再会したいと願っている。アビーの帰りを留守番して待つ今日一日、部屋の中にはより一層の静けさが浸透し、雲もなく青く晴れ渡った空とは対照的に僕の心の中には雲がかかり、淋しい思いに満ちている。

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猫に見習うライフ・バランス

 要するに、より有意義に暮らしていくにはバランスを取りつづけることが肝要なのだ。それが崩れてしまいそうになるのを察知するバランス感覚も必要だ。あふれる情報やモノの中でどうやってこうしたことを継続してやっていけるか!?  「家族」「自分自身」「仕事」の3つの側面から価値観とビジョンを明確にしていく必要がある。
 今、あなた自身、これらのバランスは取れていますか? 仕事に時間を取られていますか? 家族とのふれあいを大切にしていますか? 自分一人の時間をもてていますか? これらのことを顧みて、気持ちの中にしっくりといかない何かを感じているなら、おそらくバランスが崩れているのだと思います。そしてその要因はあなた自身の中にこそあるということもまた真実です。心のもちようだと思います。

参照:キャット・バランス
 1.内耳(前庭と三半規管)
 2.目の中
 3.しっぽとひげ
 前庭で直線方向の動きや重力、遠心力を、三半規管で回転運動を感知しているそうです。これらの神経が伝わるとともに、目にも情報が伝わり、猫が自分の体の数倍の高さまで飛び上がることができたり、うまく体を回転させながら無傷で着地したりすることができるそうです。

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オーラの泉

 僕も輪廻転生しているなら、前世ではどんな人物だったのだろう。同じような人生を繰り返すといわれることもあるから、今の自分に似ている人なのだろう。本と猫をこよなく愛し、知的好奇心を満たそうとしながら、猫と一緒にお昼寝するのが好きな人だったのではないだろうか。どこか厭世的で、内なる世界で空想に浸りながらも、実際の暮らしでは現実的な考動をとり、時折一風違った切り口で一石を投じ、ちょっとしたいたずら心で密かな楽しみを味わう。筋の通らないことが嫌いで、好戦的なものには受けて立つ用意がある。

 誰にでもオーラというものは備わっているらしいので、自分のを想像してみる。数字は100%中の割合を示してみた。
■赤のオーラ:15
 頑固な一面がある。理想家というよりは夢想家である。
■青のオーラ:20
 冷静なようで、ちょっとしたことに驚いてしまうことがある。
 想像し、夢見がちながら、現実的なものを選ぶ。
■黄のオーラ: 5 多少はお茶目なところもあるだろう。
■オレンジ色:10 優柔不断だ。
■緑のオーラ:10
 怒り溢れる、戦闘的な平和主義者がいてもいいだろう。
■紫のオーラ: 5 人づき合いは苦手だ。
■銀のオーラ:30 目立たず、ひっそりと暮らしたい。
■金のオーラ: 5 あまり縁はないようだ。

 誠に勝手ながら、奥様のオーラも想像してみる。
■赤のオーラ:10 一生懸命な人だ。
■青のオーラ:20 とても現実的な考えをもっていると思う。
■黄のオーラ:10 プラス思考だ。
■オレンジ色:10 おっちょこちょいだ。
■緑のオーラ:10 平和を愛する人だ。
■紫のオーラ:20 優しい人だ。
■銀のオーラ:15 派手なことは避けるほうだろう。
■金のオーラ: 5 英知を求めているのかもしれない。

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本:7つの習慣

第一の習慣:朝、起きて、テレビをつける。
第二の習慣:チャンネルを一通り切り替えてみる。
第三の習慣:取りだめしていた番組を見る。
第四の習慣:見ているうちに眠ってしまう。
第五の習慣:起きて、見た記憶のない所からもう一度見る。
第六の習慣:再び眠気が襲ってくる。
第七の習慣:こうしてほぼ一日が終わる。

 関心をもったことに関する本を立て続けに買ってしまう傾向がある僕。奥様が買ったフランクリン・プランナーという手帳を見ているうちに(面白そうだな)と思いつつも、悩みに悩んだ挙句、【トライアル・セット】というのを買ってみた。いきなりミッションだとか夢だとか目標だとか言われても難しかったので、出来事を羅列していくことにした。それも2、3日しか続かず、あっという間に僕の手帳は【知らんぷりん・プランナー】になってしまった。やってみてわかったこととして、大げさなものでなくても目標というものがないとなかなか能動的になれないものだということだ。以前に夢がなくても大丈夫、『夢が見つからない人のためのシンプルな習慣1日3分「夢」実現ノート』というのを読んでいて、(こういう考え方もあるんだな)と感心したのだが、僕のようにルーティン・ワークが多いとその中から夢らしきものが生まれにくいと思った。それだけ僕がルーティンに埋もれてしまっているということでもあるのだが…。【トライアル・セット】に付属として付いていた本『人生は手帳で変わる3週間実践ワークブック』を読んだことと、2、3日試して手帳をつけてみたことで、夢や目標がないことには始まらないのだな、(とにかくやってみよう!)と【ブックレット・プランニング・システム 4月始まり版】を買い、現在、ダッチロールな状況だが、何とか続けていきたいと思っている。そして夢や目標にトンと縁のない僕は本という迷宮に入り込んでいく。
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 『7つの習慣』は読みづらそうに感じ、手に入れる気が起きず、この3冊を買い、読んだ。中でも『ライフバランス』はとてもわかりやすい文章で書かれ、それでいて7つの習慣に通じることが示されているので、これをもう1度読み返し、夢探しと手帳活用のヒントを得ようと思っている。

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ネコ本:ゆずとひじき

 奥様はマンガ好きだ。大げさなようだが、毎日のようにマンガが増えていく。やはり大げさか!? それにしてもここのところ、僕の積ん読本タワーと対をなして、奥様のマンガが積まれている。そんな状態に影響されて、僕も仕事帰りに寄った本屋でマンガコーナーをぶらぶらしてしまった。その時目が行ったのはネコのマンガだ。『長い長いさんぽ』というタイトルで、描かれている茶色のネコがとても可愛い。買いだ! その隣に『ゆずとまま』というのもあり、合わせてゲット! どちらか一つ、という選択をすることが不得手な僕は大概、どっちも、ということになる。帰ってきてすかさず読み始める。かわいい、の一言に尽きる。長い長い散歩では、うるっ!っときてしまう。
 こうしてネコ好きな僕は外ネコのように外出先で見かけたネコの雑貨や本を抑えきれない衝動をもってゲットして、うちに持ち帰ってくる。そして部屋のあちらこちらに転がしておき、奥様に見せびらかす。そんな時、奥様は「あ~ぁ、またこんなに買ってきちゃってぇ。どこに置くの? 置く場所、ないでしょ」と言って、僕をたしなめる。そんな僕は『黒猫ひじき』も読み終えた。
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本『私の部屋のポプリ』

Happy Home Recipe

 4 cups of Love
 2 cups of Loyalty
 3 cups of Forgiveness
 1 cup of Friendship
 5 spoons of Hope
 2 spoons of Tenderness
 4 quarts of Faith
 1 barrel of Laughter

 『幸せな家庭の作り方』なるレシピがあるらしい。
           …熊井 明子『私の部屋のポプリ』より

 愛情、誠実さ、寛容、友情、希望、優しさ、信頼、笑いをもって、つくりあげるらしい。この世には同じ料理でも人それぞれ、家庭それぞれによって、その分量や一手間が違って、独自のものが出来上がる。我が家ではどうだろう。一番分量が多いのは信頼だろうか。愛情があるのはもちろんのことだが、それ以上に多いのではないだろうか。僕自身、あまり人を信じているとは言えないのだが、信頼という言葉自体、大いに好ましく思っている。そして、奥様には絶大なる信頼を置いているのも事実だ。その信頼はまた大いに愛情へとつながっている。その愛情なるがゆえに、誠実さや優しさが伴って、味わいを深めている。奥様の笑みはなんとも柔らかい表情で、僕の大好物の1つになっている。そんな奥様はB型というスパイスを付け加えることがあり、これが味わいに変化をもたせ、独特なものとなる。時折このスパイスの分量を間違うこともあり、骨の多い魚料理で、小骨を取り損ねて、食べている時に出てきた時のように、こっそりと口に手をやり、よけておくようにしている。それはそれ、寛容さ、時に忍耐をもって味を整えていく。まだ子供がいない僕らには多分に友情という分量が多い気がする。子供という希望をもう少し多くして、味にバリエーションを加えていくことも考えていこうと思う。それまでのあいだはアビーという猫がまろやかさを添えてくれることだろう。

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ロマネスク:『東京タワー』を読みながら

誰も知らぬパンドラの匣のロマネスク
 6章  I (僕)の唄

   『東京タワー』を読みながら ~母と、僕と、妹と、父~

 今日、僕はマンションの窓から見えるホテルとその先の雲の多い空を時々見ながら、猫のアビーがまん丸くなって眠る座椅子の端にお尻を乗せて、胡座をかいた足にクッションを置き、それの上にリリー・フランキー氏の『東京タワー』を広げて、読み始めた。
 幼児の頃の記憶。ご多分に漏れず、それほど多く残っていないが、鮮烈に覚えているのが、母と買い物に行ったスーパーマーケットで、僕が迷子になった時のことがある。子供にとっては山のように高く思える、いろんな商品を並べてある棚がいくつも並ぶレーンの、とある所で僕は何かの商品に気を取られているうちに母を見失っていた。大声で泣いたような気もするし、泣かなかったような気もするが、今となってはよく覚えていない。背の高い商品棚におびえたのか、僕は母を探すということを思いつくこともできないまま、スーパーを後にして、通ってきた道を辿り、一人で家に帰って行った。母は母で、僕がいなくなったことを心配したのだろうけれど、僕はお構いなく一人で家に帰った。結局のところ、母はレーンひとつ挟んだ向い側にいたに過ぎなかった。僕はきっと泣かなかったのだろう。泣いていたら、母を含めて、買い物をする人たちが何らかのリアクションを示してくれていたことだろう。あの頃はご近所づきあいというものがあったくらい、平和で穏やかな時代だったのだから。今の時代はどうだろうか。いじめが見過ごされがちな今日でも、幼い子が泣いていれば、見ず知らずの大人たちはそうした子に声をかける人情くらいは残っているだろうか。
 これからの話は、『東京タワー』を読むことで、“、”句読点一つ分くらいずつ、家族から遠ざかってしまっている僕自身を家族に、特に母につなぎ合わせようと試みていくものである。

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猫のアビー、献立に迷う

Ab9「こんばんは何にしようからしら? 毎日、毎晩のことで困るわ。いいわ、今日はあり合わせの物で済ませてしまいましょう!」

「これとこれがあるから、ブレンドしましょう!」

「はい、出来上がり! さぁ、食べましょう!」

… … …カリ、カリ、カリ… … …

「ねえ、アビー、それ、いつものとおんなじだよ」

「わかってるわよ。あたしは今日、奥様の立場に立って、気持ちを汲み取ろうとしたのよ。あなたもあたしを見習って、少しは料理をつくってさしあげたら?。いつもブレンドしてれば、いいってもんじゃないわよ」

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猫のアビー、春風と対峙する

Ab53 この春は風が強い日が多い印象がある。ビュービューとか、ヒューヒューとか音を立てて、窓越しのベランダを風が通り過ぎて行くたびに、アビーはその風の音がとても気になるらしく、窓の近くで陣取って表を見ては、右へ左へと見えない風を目で追いかけている。鳥がいるわけではない。ビニル袋がベランダで踊っているわけでもない。風の流れが見えているかのごとく目で追っている。闘争心剥き出しである。時には風に向かって飛び掛ろうとまでしている。しかしガラスに阻まれ、肉球を押し付けるだけである。
「ちょこざいな! すばしこいやつめ! いずれのときか、捕まえてみせる」
Ab52 Ab51 Ab54

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猫のアビーと ザ・椅子取り合戦

Ab37 最近、猫のアビーがお気に入りの場所は僕の座椅子だ。これを買った当初は僕が家にいない時には奥様も座って、大好きなテレビを見ているようだった。そんな奥様も最近は僕が家にいる時でも座椅子に座って、テレビを見つつ、いつの間にか眠ってしまい、僕は仕方なくクッションに鎮座し、読書するということが多くなってきた。それに加え、アビーまでもが座椅子が大好きになってしまったようだ。僕らのお尻が当たって、凹み始めた辺りがアビーにとってはいい具合らしい。眠たくなったり、走り疲れて休みたくなったりすると、僕や奥様が座って、投げ出している足に噛みついてきて、『ちょっとどいてくれる! あたし、眠いの』と睨みつける。1歳を過ぎて、足腰が強くなってきたのとともに、噛みつき具合も一段と強くなってきたような気がする。僕らはすぐに降参して座椅子を明け渡すことになる。そしてアビーは我が物顔したのち、スヤスヤと眠るのでした。 Ab39Ab41_1 Ab50

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閉まった!

 先日、我が家の自室に閉じ込められたことを書きました。当時、自分に厭きれるとともに悲痛な思いで、奥様への唯一の手段としてブログにアップしたメッセージにコメントをいただいたベルリンさんにお礼とともにその顛末を後日談として書いてみます。
 我が家には、ベルちゃんとリンちゃんのようにじゃれあう(時には取っ組み合いをする!?)お友達がいない、お留守番上手のアビーという名の猫がいます。彼女の成長は目を見張るものがあり、その跳躍力は今や台所への出入り阻止を僕らに完全に諦めさせるに至っています。そんなアビーは玄関へと続く廊下にあるドアの取っ手に飛び掛り、開けて脱走するという技をも身につけていました。
Door1 今では取っ手を垂直方向に回してビス止めするというアイディアを奥様が仕入れてきて、脱走を完全に阻止することができています。しかし、それまではフェンスに加工を施し、水平方向にあった取っ手を回されないようにあてがうことで対処していました。そのフェンスも今は必要はなくなったのですが、念には念を入れるため、玄関近くの廊下に最後の砦として置いてあります。このことが今回の事件のポイントになります。
 淋しがるアビーを連れて、パソコン部屋で奥様の帰りをDEPAPEPEを聞きながら、ネットしていました。アビーを脱走させないために部屋のドアは閉めました。脱走すると、まだきれいな状態を保っている壁紙をずたずたにされてしまうので、目の届く範囲で目を光らせておくためです。しばらくネットに興じて、リビングに帰り、本を読みながら、奥様の帰りを待とうとアビーを抱いて、部屋を出ようとしたら、取っ手が回りません。それはそれはビクともしません。何が起きているのかわかりませんでした。力を込めて回そうとしましたが、壊してしまっても仕方がないので程ほどにしておきました。でも、(なぜ、開かないんだろう?)…と考えていたら、「あっ!」、そうです、廊下に置いてあったフェンスがちょうど取っ手の下にはまり込んでしまったことに気づきました。Door2_1 愕然としながら、自分の馬鹿さ加減に笑い出してしまいました。(こんなこと、ありかよ?)と思わず「ダーシーテー!!」と唸ってしまいました。僕はアビーに「どうしようかぁ。rudynが帰ってくるまで出られないよ」と軟禁状態の自分たちを励ますように話し掛け、抱っこしていたアビーをフロアに下ろしました。僕はまたネットしながら待とうとしていました。その時、救世主が現れました。それは、……rudynこと、僕の奥様……ではありませんでした。アビーです。日常的におトイレを済ませては猫砂を床に飛び散らかし、追いかけてはドアの下の隙間から前足を伸ばして、捕まえようとしているアビーです。そのアビーが閉じ込められた部屋のドア下の隙間に前足を差し入れました。「そうだ! アビー、偉いぞ! 隙間からフェンスの脚を何かで突き放せばいいんだ!」てなわけで、部屋にあったハタキの柄を差し入れ、フェンスをどかし、軟禁状態から解放されたわけです。一重にアビーのおかげなのです。苦難に陥った僕をアビーが救ってくれました。これがエイプリル・フール前夜に起こった、一足早いサプライズでした。
「まったく馬鹿なんだから、あたしの人間ときたら。やっぱりあたしがいなくちゃ、生きていけないのね」1050552_img

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