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変えたい訳

 変えたい訳は、母にあるかもしれない。母は健在だが、最近はある意味、終わってしまった、と僕は思っている。

 今の母の様子をみていると無性に腹が立ったり、不安になったり、あせったりする。母親似の僕は母親の今の姿が鏡に映っている僕自身のように思えたのだ。やりたいことをやっていない、やれていない。言いたいことはあっても、言いたい人には言わず、他の人に言ったり、自分の中に抱え込んだりする。やれていないこと、言えないことが溜まっていくと、やがてやろうとも、言おうとも思わなくなっていき、自分で自分を腐らせていくことになるのだという気がした。このままでは僕も腐っていってしまう、そう思えて、あせったり、不安になったり、腹が立ったりした。動かなきゃ、変えなきゃ、と無性に気持ちが湧き上がってきた。やりたいことがあれば、やらなきゃ。思っているだけじゃ、やっていることにはならない。言いたいことがあれば、言わなきゃ、誰にもなんにも伝わらない。これまでは、やらなくてもいいや、言わなくてもいいや、人は人、自分は自分。受け入れにくいことがあっても自分の中に抑えこんでしまえばいいと思っていた。抑えこむことはできたし、それが苦ではなかったし、そうすることを楽しんでいた。でも、こういうことをつづけていくと自分を腐らせてしまうんだなと思った。母がそれを身をもって教えてくれた。僕という人間はひとりしかいないのだな、なんて改めて思った。その僕の人生は僕自身で進んでいくしかないのだな。それならば、腐ってしまわないように、思うがままに、ありのままにいってみようと思った。

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『んなか』日々暮らし随書言想」カテゴリの記事

コメント

自分がありのままの自分になることができたら、
自分という枠を超えて自由に弾け飛べそうな気がします。
「変える」というよりも、本当の自分の欲しているものが見つかって
それを求めていくことができたら本望ですよね。

投稿: taramama | 2005年2月 9日 (水) 21時37分

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