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故きを温ねて新しきを知る 【食】

『食べるというのは極めて動物的な行為であるから、さらけ出して人に見せるものではない。』 山﨑武也『古風の研究』を読んで①

 私はグルメというわけではないし、こだわりがあるわけではありませんが、食べることは好きです。おいしいものをいただきたいし、好きなときに、好きなように食べたいと思っています。その食べるという行為は、生きていくうえでは欠かせない、原始的なものです。人間的というよりも動物的といってよいのでしょう。大きく口を開けて、頬張れば、口の中や喉の奥までのぞかせることになります。場合によっては品を欠いた振る舞いのように見えるときもあります。私の父はものを噛む際に唇をしっかり閉じないでいるため、音が漏れてきます。(そんなに音を立てて、自分で気がつかないのかな)と思うほどの音がたちます。一緒に食事をするときは気になってしかたがないです。本人にとっても周りの者にとっても気持ちのよいことになるはずですが、進言することに二の足を踏んでしまっています。長年の癖で、言っても直るだろうかという疑問もあります。というわけでいつも静観して過ごしています。やはり親しき仲といえども、人前ということを少しでも意識することで、気持ちよく、おいしく、食事をいただくことができるのだと思います。これに関して、読んでいて面白く感じたのは、
 『人の家に招かれて食事をご馳走になるとき、主婦は料理をしたりサービスをしたりするだけで、食卓に加わることはなかった。もてなしをするのに忙しいという口実であったが、実際には人前で食べるところを見せないためでもあった。』
というのです。【へぇ】ボタンがあったら、数限りなく押しているところです。

 私自身のことで言えば、私も幼い頃は、「食事はきちんと座って、行儀よくして食べなさい」と言われていたのだろうと思います。箸でお茶碗を叩いたり、ものをこぼして辺りや服を汚したりして、咎められていたのでしょう。大人になった今では、立っていたり、歩いたりしているときにものを食べていることもあります。これなども品を欠く行為といえるのですね。また、家で食事するときですら、テレビを見ながら、あるいはその日にあった出来事などを話しながら、食べていることだってあります。これについてもあまり推奨されることではないとのことです。食事をいただけるということの有り難味をも十分に味わえるには至れない振る舞いなのです。
 『本当に食べ物を楽しもうと思ったら、口はしゃべることに使わないで、もっぱら食べることに使うべきだろう。』(同書より)
 もっとも私も彼女と外食するときは、家で食事をするときよりも静かに黙々と食べています。家で食べないメニューだったり、味付けが違ったりすることもありますが、何よりおいしいので、自然とそれを堪能したいという思いが出ていて、そうなるのだと思います。料理を生業としている人たちがつくったものですから、しっかり噛みしめ、味わいたいと思うのが自然でしょうね。もちろん家で彼女がつくってくれる料理もおいしいのですが、親しい仲、二人しかいない空間での食事なので、おしゃべりをしながら食べています。そうすると食べ物をこぼしてしまったり、飛ばしてしまったりということが時々起きてしまいます。やはりこれはいくら親しくても少し恥ずかしい思いをしますね。それに家での手料理というものは、より直接的に愛情がこもっているわけですから、こちらのほうこそもっぱら食べることに専念して味わうべきものなのかもしれません。

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