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二人は時々途方もなく淋しい

「夫は散らかし屋だし物事に無頓着で感情を軽視しすぎる(と思う)し、私は我慢弱く感情的で譲歩というものを知らない(と夫は言う)のだ。…(略)…
 二人はときどき途方もなく淋しい(一人の孤独は気持ちがいいのに、二人の孤独はどうしてこうもぞっとするのだろう)。」
(江國香織『いくつもの週末』を読んで②)
 私は気になりだすとすぐに整理したり掃除したりする。物事には執着しないようで、こだわりがある。感情の起伏は激しいと思っているけれど、それをなかなか表にあらわさない。そう思っているのは本人だけで、意外に複雑な気持ちの揺れや動きが周りにはわかってしまうらしい。一方、彼女はしっかり考えをもっていて、当然しっかりした行ないをして、安心して一緒にいられる。こういうと気を悪くするかもしれないが、しっかりした考えにのっとっているから、発する言葉がストレートだ。もう少しオブラートに包んでくれればいいのに…と思うけれど、私はしょっちゅうグサッときながら、グッと我慢してしまう。そう、考え込んで、黙ってしまうのだ。考え込むと、いろんな角度から、いろんな情報を集めて、いろんな答えを探り出し、身構える。こうなってくると思い出す、一つの檻の中に別々の生き物が暮らしているということを。私は時々、二人の孤独を感じて、沈み込む。独りの孤独はとっても楽しいのに、二人の孤独はとてつもなく寂しいし、空しい。孤独を埋めるために二人寄り添っているところもあるのだけれど、二人でいることで孤独をまざまざと感じてしまうというのは皮肉だ。私は元々独りが好きで、孤独には慣れているつもりなので、とりたててその孤独を解消しようとは思わない。生を受けたときも、生を活きている今も多くのものとつながっているものの、最期は独り逝くのだから、結局人は孤独な存在なんだと割り切っている。孤独はつきもの。いちいち気にしていても仕方がない。でも、二人の孤独は傷ついて、どうも不快だ。どうせ孤独であるとしても、二人の孤独は感じずに、独りの孤独を味わっていたい。そのためにも私は私なりに自分の気持ちを表現していく必要があるのだと思う。

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