« 自分がいちばん大事だと思っているもの | トップページ | 幸せを感じるためのオペラ会食 »

歩み寄るということをあまりしない

「私たちは歩みよるということをあまりしないので、おなじ部屋のなかにいてもべつべつのことをしている。一つの檻に入ったべつの動物みたいに。」(江國香織『いくつもの週末』を読み始めて)
 本来、人間というものは複雑な、心の動きをするものかもしれませんが、私も他者と歩み寄るということをあまりしない性質だと思います。理想としては、水がいろんなふうに姿をかえるように自然体で過ごせればいいなと思っています。しかしそうはなかなかいきません。こだわりがあるというか、我が強いというか、非を認めないというか、謝らないというか。
 私と彼女においても好きな音楽も好きな食べ物も、好きな映画も好きな本も好きな過ごし方も全然違います。全然違ってもかまわない、と思っていたし、違うほうが当たり前とも思っていましたが、それでも時々、同じだったよかったのに、と思います。ある意味、不気味かもしれませんが、感じ方も、表現方法も、行ないも、同じとはいかないまでも、少しでも多く似ていたらいいのに…と感じることがあります。結局はお互い様なのでしょうが、(俺ならそうはやらないな)とか、(そういうふうには感じないな〉とか、(もっと違う言い方をするなぁ)とか、しょっちゅうあります。でもそれを面と向かって伝えることはあまりしたことがありません。伝えたほうがいいのかもしれない、と頭では思っていても、気まずくなったらどうしようとか、これ以上自分の傷が深くなるくらいなら、このまま我慢していたほうがいいな、とか考えて、二の足を踏むことになります。うーむ、これも違うなぁ。私の行動、反応が遅い場合が多い、あるいは過敏に、被害者的に反応してしまうということに問題があるのだと思います。よく、「まず動け、それから考えよ」と、「考えが先で、それから行動する」とパターンが取り上げられるが、私は後者のほうです。考えてからでないと、しかもよく考えてからでないと、動かない、動けないのです。(今のはどういうことだろう。どうしてほしいんだろう。どうすればいいのか。おれはどうしたいんだろう)って考え込んでしまいます。それだと周りのほうがどうしても動きがはやいことのほうが多いので、一歩も二歩も遅れをとってしまうのです。まぁ、それを良しとしてマイペースで生きてきたのですが、共同生活をするとなると往々にして不況和音が生じかねないことがわかってきました。今のところ、どうしようもないのですが、私は少しずつ改める、学ぶ、成長するということを意識して暮らしていく必要があると感じています。実に難しいことだと頭を抱え込みたくなります。これまでずっと(私は私、あなたはあなた。あなたにとやかく言われる筋合いはないし、私は自分がやりたいようにするだけ。あなたのことは認めるけれど、私のことは認めてもらわなくてもかまわない)というスタンスで生きてきたし、これを変えようとも思っていないのですから。でもそうも言っていられないので、自分の気持ちを感じ、整理し、少しでも多く、きちんと表現していくようにすることで、周りとの関係で程よい距離を保っていけたらいいと思います。

|

« 自分がいちばん大事だと思っているもの | トップページ | 幸せを感じるためのオペラ会食 »

『んなか』日々暮らし随書言想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 歩み寄るということをあまりしない:

« 自分がいちばん大事だと思っているもの | トップページ | 幸せを感じるためのオペラ会食 »