起-動線『本日の格言』

| | コメント (8) | トラックバック (0)

♪治らななおしてみせ

脳梗塞で倒れ、リハビリに励んでいる父に贈る、♪藤井風さんの詞


うつむかないで 怯えないで
          (♪もうええわ)

寂しいよね 苦しいよね
こんなままじゃ こんなままじゃ
          (♪青春の病)

あなたは弱音を吐いて
わたしは未練こぼして
          (♪帰ろう)

どれほど朽ち果てようと最後にゃ笑いたい

無くしてしまったものを振り返って ほろり
時には途方に暮れてただ風に吹かれて ゆらり

新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり
常に ここに 常にここに ここに
          (♪きらり)

ほんの少しだけで それだけで
ふりだしに帰り得るもの
でも藻掻いた分だけ 強くなって
救いは必ず来るもの

もう恥じることなんてない
他に怖いものなどない
          (♪罪の香り)

比べるものは何もない
勝ちや負けとか一切ない
ない ない

あれもこれもが有り難し

苦しむことは何もない
肩落とすこた一切ない
ない ない
          (♪まつり)

意地はっても すぐに崩れるし
見栄はっても すぐに剥がれるし

前に進むことしか出来ん道じゃから
泣いとる時間もないようになる
          (♪さよならべいべ)

あとがナイから
ここで戦うだけなの
この旅は そんなに そんなに 甘かないわ
          (♪キリがないから)

いつか行き着く
場所はたった一つだけ
          (♪それでは、)

明日なんか来ると思わずに燃えよ
クールなフリ もうええよ
強がりも もうええよ
汗かいてもええよ
恥かいてもええよ

簡単じゃないかもね
でも難しくはない
          (♪燃えよ)

へでもねーよ それでえーの?

自分次第で別世界
作り変えられるみたい
          (♪へでもねーよ)

泣くくらいじゃったら笑ったるわ アハハ…
          (♪もうええわ)

毎日がバースデイ
          (♪燃えよ)

あぁ今日からどう生きてこう
          (♪帰ろう)

| | コメント (0)

♪帰ろう ♪旅路 へ

藤井風さんの♪旅路は、♪帰ろうに応答しているように思える。

(少年の)
あの日のことは 忘れてね
(わたしが先に 忘れよう)
幼すぎて 知らなかった
(全部終わったみたいだね 大間違い)
恥ずかしくて 消えたいけど
もう大丈夫 旅路は続く
(…町の喧騒 後目にひとり行く)

(少年の)
あの日のことは 忘れるね
(ください ください ばっかで)
みんなだって 彷徨ってた
(弱音を吐いて 未練こぼして)
この宇宙が 教室なら
(さわやかな風と やさしく降る雨と)
隣同士 学びは続く
(生きてきた意味なんかわからないまま)

果てしないと思えても
(もう二度と 交わらないのなら
それが運命だね)
いつか終わりがくると
知らなかった

昨日までより
優しくなれる気がした
(すべて忘れて すべて流して)

あーあ
僕らはまだ先の長い旅の中で
誰かを愛したり 忘れたり
色々あるけど
(一つ一つ 荷物 手放そう)
あーあ
(憎みあいの果てに何が生まれるの)
いつの間にかこの日さえも懐かしんで
全てを笑うだろう
全てを愛すだろう
(あの傷は疼けど この渇き癒えねど
 もうどうでもいいの 吹き飛ばそう)

お元気ですか
この町は相変わらず青春です
(わたしのいない世界を
上からながめていても)
誰もがみな走ってます
まだ見えない旅路の先へ
(待ってるからさ、幸せ絶えぬ場所)

お元気ですか
僕たちはいつになれど少年です
(少年の瞳は汚れ
5時の鐘は鳴り響けどもう聞こえない)
心の奥底ではいつも
永遠を求めています
(何ひとつ 変わらず回るから)

果てしないと思ってた
ものがここには無いけど
(怖くはない 失うものなどない
最初からなにももってない)
目にしてきた
手に触れてきた
(生きてきた意味)
全てに意味はあるから
(あぁ今日からどう生きてこう)

あーあ
僕らはまだ先の長い旅の中で
何かを愛したり 忘れたり
色々あるけど
(先は長い 忘れないから)
あーあ
(何も あげられなかったね)
これからまた色んな愛を受けとって
あなたに返すだろう
(ああ すべて与えて 何も持たずに)
(与えられるものこそ 与えられたもの)
(ありがとう、って胸をはろう)
(あなたは灯ともして
 わたしは光もとめて)
永遠なる光のなか
全てを愛すだろう

| | コメント (0)

♪ガーデン♪ 草を薙ぐ風 井に映る月 泰らかなり

平易な詞で紡がれる藤井風さんの♪ガーデン

!?となるのが、♪私のガーデン 果てるまで

この『ガーデン』を隠喩として想いをめぐらせてみる。

これを『人生』『いのち』あるいは『大切なひと』だと思って聴いている。

 

春夏秋冬、季節はめぐり、その身を置いて、人生の流れに身を任せる。

咲いては枯れ、出会いあり別れあり、失くすもの得るものがある。

なるようになるだけ、受け入れて、ありのまま。

素敵な温かみを、綺麗な時間を、素敵な時間を守り続けたくて、

果てるその日までずっと。そして、掴んだ手を解き放とう、空の果てへ。

鳥は春を告げて、雲は夏を帯びて、夜が秋を呼んで、私は旅をつづける。

やがて来る冬に抱かれ、果てるその日まで。

流した涙だけ、ふりまいた愛だけ、豊かに生かされ、私は目を閉じる、空の果て。

| | コメント (0)

『 JISEI (時勢)録』2019/05/02

今日たまたまテレビをつけたら、【偉人たちの健康診断】をやっていて、内容が「織田信長の隠れた病」ということだったので少し流し見てみた。その本題に行く前に履いていた履物が取り上げられていた。足半だ。

(おっ、これは)

実は持っていながら、お蔵入りしていたのだけれど、
久しぶりに取り出して履いている。数年前に買ったものだ。
私は足裏の横アーチが落ちていて、魚の目や、タコのようなものができて、痛みを覚えては、切り取ってを繰り返す日々を送っているのだ。
そんな折、足半は浮足やら横アーチやら足裏を鍛えるにはもってこいということを知り、買ったのだ。ところが、鼻緒の一部分が足に合わず、痛みが生じてしまうので履くのをやめていたのだ。数年ぶりに履いてみたら、いまのところ不調を感じない。番組を見た勢いに乗じて、今日からまた室内履きとして使い続けてみようかと思っている。

 

| | コメント (0)

『 JISEI (自省)録』2019/05/02

”一つ一つの行動を一生の最後のもののごとく行い”

  マルクス・アウレリウス『自省録』2-5 (抜粋)

いまだに立ち止まれず、振り返れず、流されている私は愚か者である。
それは生きる目的、目標を持っていないからなのだろう。

”あらゆる衝動と思念とを向けるべき目的を持っていない人たちも愚か者なのである。”
   マルクス・アウレリウス『自省録』2-7 (抜粋)

 

| | コメント (0)

『 JISEI (自省)録』2019/05/01 

神 神々 摂理 自然 全宇宙
私もこれらの一部である。
偶然かつ必然であり、調和であり、変化であり、善である。

このようなことが腑に落ち、受け入れられるように思えるようになった。
気持ちが落ち着き、平静でいられるように思える。
安心して生き、死ぬことができように思える。
私は自然と一体であり、自然に帰り、その摂理に身を委ねていく。

   マルクス・アウレリウス『自省録』2-3 (参照)

| | コメント (0)

『 JISEI 録』(時制)2019/05/01

過去はすでに過ぎ去ったものであり、変えることはできない。
未来は来るかどうかわからないから、気にしても仕方がない。
いまを生きることが大切だと言われるが、それもまたすぐに過ぎ去ってしまい、
働きかける間もなく、手の施しようがない。

やがて死が未来から現在にやってきて、すぐに過去に去っていく。
このようないのちにおいては生きているうちはひたむきに生きていく他ないのかもしれない。
生きることを、生きるのだ。

| | コメント (0)

『 JISEI (時世)録』2019/05/01

最近LINE上の記事でバターコーヒーなるものを遅ればせながら知り、 昨日は出かけのついで、合間を縫ってファミリーマートでバターコーヒーを買い、飲んでみた。
(おおー、新たなテイスト!)おいしいと思った。
勢いに乗って、KALDIでグラスフェッドバターを買って帰ってきた。
今朝は珈琲をフレンチプレスで淹れ、バターをレンジで溶かし、珈琲に溶かし、 MCTオイルのかわりにこめ油を入れ、飲んでみた。
(んんー、これはこれでおいしい!)ちょっとしたマイブームになりそうだ。

| | コメント (0)

『 JISEI (自省)録』2019/05/01「ヒョウ|ショウ|ジョウ」

最近、自分のキーワードとして「ヒョウ|ショウ|ジョウ」を事あるごとに口にしている。

「ヒョウ|ショウ|ジョウ」 漢字にすると「表象情」だ。

表象とは、現われた形、姿のことだ。情とは、感情、気持ちのことだ。
ことばのあいだに | を入れたのは、区切りを入れ、別々のものだということを意識づけるためだ。

【100分 de 名著】で取り上げられた『自省録』において、マルクス・アウレリウスは自分の外部にあるもの、つまり表象にのみに心を動かされると、人間は運命に翻弄され、心の動揺を招くというようなことを自分(=君、お前)に向けて綴っている。

表象、それは他人であり、自分以外のものすべてはそのようにあるものであって、自分が働きかけて変えられるものではない。
それらの表象を通じて、自分のなかに生まれる情や主観においてネガティブになる必要はなく、愚の骨頂であり、時間の無駄であるとしている。
日々の暮らしのなかでいろいろ遭遇する様々な表象にその都度、情をもって、たとえばイライラしたり、不満に思ったりするような場面に行き当たったときに

こころのなかで(ヒョウ|ショウ|ジョウ)「表|象|情」

とつぶやいたり、時には声にして、表象に対して自分がネガティブな反応や情を抱くのを止めたり、落ち着かさせたりするときに効果があると個人的に実感できている。

「ヒョウ|ショウ|ジョウ、あなた(=自分)は…
 こんな(=表象)で自分の情(=気持ち)を乱されることはないよ」と。

| | コメント (0)

JISEI (自省) 録(2019/04/28)

この世のなかにはいろんな人がいる、いろんなものがある。
いま使われている意味における善いも悪いも
ストア哲学派が意味する善いも悪いも含めて
いろいろいる、いろいろある。
この世のなかに、この自然のなかに、この宇宙のなかに、この摂理のなかに。
そしてこの世界に表象(あらわ)れているすべてのものはバラバラのようで、ひとつであり、ひとつながりになっている。
よく見聞きする、人はひとりでは生きていけないということがそのことを表している。
個々に見ると善きも悪しきもあるのだけれども、それらはひとつのなかにある。
他を見て、悪しく見えたとしても、それは自分のなかにあり、自分に返ってくる。
汝も我もすべてひとつのなかにあるのだから。
たとえ悪しく思えたとしても、それを表すことはできない。
その悪しき物事に働きかけることはできる。他者を変えることはできないというけれど、良きも悪しきもひとつの内なるもののなかにあるのだから、働きかけることができるものだ。
すべてはそれぞれのものへ、それぞれはすべてのものへつながり、働きかけあっている。
このことを知り、受け入れることでこころのなかは平静がもたらされ、令く(よく)、和やかなものとなる。

 

| | コメント (0)

『 JISEI 録』(時制・過去)(磁性)(自製)

僕の、かつての『朝の時間割』は
朝4時頃に起きて、30~60分、瞑想することだった。

ところが、

瞑想は役に立たない

というような文章に触れ、一気にぶれてしまいやめてしまった。

『良き人生について―ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵』を読み終え、その磁性に惹きつけられて、私勝手に名づけた、自製〈ストイック・メディテーション〉、
すなわち、
〈Stoic=ストア哲学派的な瞑想〉をやってみようかと思い返しているところです。

つまり(引用 p.127)、
”坐禅とはもちろん完全に異なる。禅僧は坐禅しているあいだ、何時間も心をできるだけ空っぽにして座っている。反対にストイックが寝る前に瞑想するとき、心はきわめて活発に動いている。彼はその日の出来事について考える。心の平静が乱された出来事はあったか? 怒りを経験したか? 羨望は? 性欲は? なぜそれらの出来事は心を乱したのか? 心を乱されるのを避けるために、できることがあったのではないか?”

無にならなくていい。マインドフルネスとも違う。まさしく目を瞑(つむ)って想うのだ。
このような瞑想なら、無になる(=無駄になる)ことはなさそうだ。
できていない『振り返り手帳術』を頭のなかで行なうのだ。
そしてそのことを書き留めることにつながるかもしれない。

あとは時間割して、実践あるのみ。

| | コメント (0)

『 JISEI (自省)録』2019/04/24

少し昔、仏教や瞑想に関心をもったことをきっかけにヨガのクラスを受けるようになった。
仏教はなかなか手ごわいと感じるなか、老子を読むようにもなった。
老子のいう、あるがままも、なかなか雲をつかむような感じがした。
『ハンナ・アレント―伝えることの人間学』を読んで、アレントに関心を持ちつつ、いろんな哲学者の関連本を読むようになった。
ソクラテス、ニーチェ、レヴィナス、プラグマティズム関連が印象に残っている。
手を広げることはできないが、シモーヌ・ヴェイユ、ラーマクリシュナ、マルティン・ブーバー、空海、道元、良寛、マインドフルネス関連などが気になる。
『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』を読んで、荀子を知ることになった。
荀子は性悪説も唱え、あるがままでは良くないんだとしていることで関心が強まった。
あるがままの、老子と違ったものの捉え方をどのようにしているのか、と。

そして、【100分 de 名著】を通して、マルクス・アウレリウスの『自省録』を知る。
仏教に通じる面を感じつつ、わかりやすさ、受け入れやすさが心地よい気がする。
老子の道〈タオ〉に通じつつ、荀子の性悪説を超えて、自然の摂理に身を委ねたい。
プラグマティズムと通じるような実践、実用的なことばや考えを身につけたい。

 

| | コメント (0)

普段『んなか』こころんなか我んなか 20150212

来たる明日人間ドックの結果受け何告げられむ身引き締めらるる

同僚にヨタを告げれどすんなりと頷かれしヨタも甲斐なし

腹巻し深く眠れし夜なればイビキ聞こえず夢のみ待たるる

逢瀬とは意異なるかな嫁ぐ儀は 想いは千千に浮きしさ迷う

「お疲れ様」気遣いに満ち有り難き 聖き女よりチョコいただけり

ロボットのような振る舞い不気味なり 助言聞く耳あれど通じず

足早に駆け込む職場様々に 静かなりし朝ざわざわ明けむ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

普段『んなか』こころんなか我んなか 20150211

起きてなほ十二時間をも勤めなり 身置きてこころ先に帰りぬ

あかぎれの痛み覚えて手をやれば 目からもヒリリと走る旋律哀し

病む人の多きに傾ぎ驚けり 健常の身に潜みし病

挨拶を交わし交わされ返されず こころも軽く重く浮き沈みし

渡されし新聞の記事読み捨てて 別の記事推し差し戻しけり

灯と光 ガラスを照らし燦々と眩く包まれ気分も晴れむ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«普段『んなか』こころんなか我んなか 20150210